選択肢と、判断と
しばらく、二人とも何も言わなかった。洞窟の入口は、外よりはましだが、決して快適ではない。小さな羽音が、うっとおしく耳元でなる。僕は、それを払いながら岩に腰を下ろし、背中を壁に預ける。濡れた服が冷たく貼りついた。
「……ねえ」
沈黙を破ったのは、ルリカだった。
「今の状況、どう見てる?」
質問の仕方が、もう落ち着いている。感情じゃなく、判断を求めている声だった。
「船は無事じゃない可能性が高い」
「探しに来る?」
「来るかもしれないし、来ないかもしれない」
僕は正直に思ったことを言った。
「海が荒れてた。判断としては、一度は港に入ってからだと思う」
「つまり、すぐじゃない」
「それが普通だと思う」
船に残ってる面々の顔が浮かぶ……。結構、まともな判断をする面子に思えるが、実際はわからない。
ルリカは、短く息を吐いた。
「じゃあ、ここで待つのは賭けね」
「そうなるかな、ただ、山本さんだっけ……、彼女の判断は僕にはわからない」
そういうと、ルリカは少し驚いた顔をして、それから少し考える。
「……彼女なら、多分、一度港にまでいって、役所に圧力かけて探させる……かな」
ただ、ここにすぐに助けが来るかはわからない。そもそも、探索がすぐに為されるかもわからない。
火を焚ければ、狼煙くらい上げられるが、今は火も使えないし、そもそも、それも風が止んでからになる。明日、朝以降の天候次第になるだろう。
彼女は、洞窟の奥をちらりと見る。
「進めば、何かある可能性」
「留まれば、いつまでも待つ可能性」
「……嫌な二択」
「一応、雨の中、荒れた波にさらされながら、岸壁をつたって岸を探しながら移動するという手もある」
多分、僕一人ならば考えてみる可能性。だが、彼女には難しい選択だろう。
「それは選択肢とは言わない」
「じゃあ、選択肢はそれしかない」
ルリカは苦笑した。
「あなた、こういうサバイバル慣れてるでしょ」
「まあ……うん」
「私は、舞台の上なら慣れてるけど」
彼女は肩をすくめる。
「こういう裏側は初めて」
少し間が空く。
「火はおこせる? HPが徐々に減ってる……」
ルリカはそう懸念を口にした。僕は、そう告げられて初めてそれに気づく。最近では、榊原との朝練のとき以外、ほぼ確認しなくなっている数値だった。いつからかはわからないが、自然とそうなっている。
「……現状だと難しいかな。火は出るけど、燃やせるものがない」
そう正直に言うと、ルリカは大きくため息をついて、いきなり外套を脱いだ。そして、それを思い切り絞ると、しみ込んだ海水が滴りだす。
ただ、僕はいきなりの衝撃から目が離せなかった。張り付いた薄手の上着。むき出しになった肩と、そこから伸びる紐は、豊満な胸を包みこむ真紅のビキニにつながっていた。同色のミニスカートからはすらりと伸びた脚、白のニーハイに強調された絶対領域が流れる水滴で輝いている。
つい、見とれてしまっていると、ルリカがその視線に気づいて言う。
「あんたも脱がないと、死ぬわよ」
その声色には、とがめるようなところはない。非常に事務的な口調だった。僕は、そう急かされて、我に返り、彼女の言葉に従った。
お互いに大体の装備を脱いで、絞り、海水にも雨水にも当たらない洞窟の奥の岩場にそれを広げる。ここで、ようやく一息ついた。HPの減少は緩やかにはなったが、それでも確実に減ってはいた。
ルリカの恰好は、ビキニの上下に、ミニスカートを腰に巻き付けているだけ。そして僕は、いわゆる「ふんどし」一丁の恰好である。
「さて、じゃあやりますか」
ルリカは何か覚悟を決めたように言う。僕は素直に尋ねる。
「何を?」
「乾かすのよ。当たり前でしょ」
そういうと、彼女は僕の前に一歩出る。
「ただ、これは伏見稲荷に伝わる秘伝スキル。絶対に誰にも言わないこと」
そう凄まれて、僕は黙って頷く。
「あと、私もまだちゃんと使えない微妙な力。失敗するかもしれない。それでもいい?」
「本音は、被害の程度によるといいたいけど、このままじゃHPはゼロになる。選択肢はなさそうだ」
僕が了承したのを確認すると、彼女は、僕らが脱ぎ捨てた装備の横に座り込み、それにそっと手を当てる。
指先から衣の縁に、細い、青白い何かが走る。音はしない、火花も出ない。ただ、熱が出ていることが感じられる。
「……いなり、……電気か」
僕は、思わずそう口にしていた。彼女はそれには直接は答えずに、言った。
「水を震わせる程度、微弱だけど、服が燃えたりはしない……はず」
それからは、僕はただ黙って、彼女が黙々と装備を乾かす様子を見守っていた。
どれくらい経ったかはわからない。最後に自分の外套を乾かし終わったルリカは、その乾き具合を確かめながらいった。
「まあ、こんなもんでしょ」
そういって、装備を身に着けだす。そして、座り込んでいた僕に視線を向けて告げる。
「あんたも確認して」
僕は立ち上がり、自分の装備に触れる。水気はほとんど感じない、そしてまだ少し暖かい。
「すごいな……」
ちゃんと口に出していった。ルリカはそれに少しだけ笑顔を向けて返しつつ、順に装備を着ていた。そして僕もそれに続く。
全ての装備を着付けると、ようやくHPが減少するデバフが止まる。そして、少しずつだが回復していくのが確認できた。
「助かった、ありがとう」
僕がそう正直にいうと、ルリカは少し驚いた顔をして、それから目を反らす。
「正直さ」
彼女は、視線を落としたまま続けた。
「死んでも、まあ仕方ないとは思ってた。ゲームだし」
淡々としているが、軽くはない。
「でも」
彼女は、指先で濡れた岩をなぞった。
「このキャラ? 役? 結構、気に入ってた」
「……」
「落ちるなら、もっと派手なとこが良かったな」
冗談めかして言うが、声は笑っていない。
僕は、洞窟の奥を見た。
「行こう」
「即決ね」
「待つ理由がない」
「……確かに」
ルリカは、一瞬だけ目を閉じてから、立ち上がった。
「で、聞いていい?」
「なに」
「さっき」
彼女は、こちらを見る。
「ガン見してたでしょ、私のこと」
心臓が跳ねる。そして、つい目が泳ぐ。
「いや、……」
「別に、いいのよ。私をおかずにしても」
いたずらっぽく笑う。やっぱり……こいつ、品がない。
「しないよ!」
ムキになって否定したことで、彼女はさらに調子にのる。
「私をおかずにしている男子が、世界にどれだけいると思ってるの? 私のファースト写真集、売上部数おしえてあげようか?」
「別にいい。そもそも、僕はそこに含まれていないし、これからも含まれることはないから」
そう正面から答えると、彼女は僅かに表情を変えた。
「なら……、なんで、飛び込んだの?」
答えを用意していなかった。
「特に……何も考えてなかった」
「でしょうね」
「体が動いただけ」
「最悪」
そう言いながらも、彼女はどこか納得した顔をしている。
「無駄死にだと思った」
「今は?」
「……ちょっと、考え直してる」
その答え。それだけで心が少し落ち着いた。
「じゃあ、行きましょ」
ルリカは、洞窟の闇を指さす。
「助けを待つより、前に進む」
「ああ」
「役割分担は?」
「僕が前」
「私は後ろで、水の確保と、祈り担当ね」
短いやり取りだったが、決まることは決まった。
僕は、洞窟の奥へ踏み出す。背後で、ルリカの足音が続く。
波の音は、もう遠い。




