岩の上、下は海
岩に手をかけた瞬間、指先の感覚が一気に戻ってきた。
冷たい。痛い。それでも、掴める。
僕は最後の波をやり過ごし、体を引き上げた。重心を低くして、足場を確かめる。岩は濡れているが、苔はない。崩れる気配もない。
次に、腕の中の重みを意識した。
「……立てるか」
答えは、すぐには返ってこなかった。ルリカは岩に座り込み、荒い息を繰り返している。外套から水が落ち、岩肌に黒い筋を作った。
僕は、彼女の体から腕を放し、半歩下がった。彼女が大丈夫かどうか返事はないが、目立った怪我などはない。ならば、まずは周囲の確認をしたかった。
波は、すぐ下まで来ている。だが、ここまでは届かない。岩壁が風を切っている。完全に安全とは言えないが、今すぐ攫われる場所でもない。
視線を上げる。
岩壁の割れ目。奥が暗い。だが、風が抜けている。
「洞窟かな」
自分の声が、やけに乾いて聞こえた。
僕は腰に手をやり、装備を確かめる。バックパックはない。ベストのポケットを一つずつ叩く。干し肉。少量の穀物。塩。……濡れているが、駄目になったわけじゃない。
腰の山刀は無事だった。鞘の中に海水が少し入っている。抜き身にして、軽く振ると水滴が八方に飛ぶ。刃には、全く問題がない。
次に、火打石。
手に取った瞬間、嫌な感触がした。石は問題ないが、種火をつける火口が完全に湿っている。あの繊維質のやつから、水がポタポタと垂れる。
「……すぐには無理か」
独り言がつい口に出る。火がなければ、暖は取れない。乾かすにも時間がいる。
ふと、気配を感じて振り返る。
ルリカが、こちらを見ていた。少し強がった顔で。
「私、何も持ってない」
その言い方は、ただの事実報告。ただ、その表情は、後ろめたさを隠しきれてはいなかった。
「水、綺麗な水、作れるだろ。巫女なら」
僕はそうとだけ言うと、ルリカは頷く。
「うん」
「それだけで十分だよ」
今、必要なのは役割だ。
「あの、岩の割れ目、洞窟になってそうだ。とりあえず、あそこまで行こう」
そういうと、僕はもう一度手を伸ばす。今度は彼女もその手を取って立ち上がった。
海に落ちないように、岩場を跳ねるように進む。僕は探索スキルのおかげで、こういった道には慣れているが、ルリカも難なくついてくる。バランス感覚はやはり流石だ。
やはり洞窟だった。岩の割れ目の奥から、冷たい空気が流れてくる。だが、波よりはましだ。ここにいれば、少なくとも船がどうなったかは分からないが、今すぐ死ぬことはない。
僕は、岩場をもう一度見回した。この岸壁を上まで確保なしで登るのは難しそうだ。これだけ海が荒れた状況で、岩場の海岸線を進むのも危険だ。いつ波にさらわれるかわからない。そう考えると進める場所は一つ。選択肢は、なかった。
「とりあえず中に入るか」
宣言というほどでもない。判断だ。ルリカは一瞬、洞窟を確認してから、頷いた。僕は先に立ち、足元を確かめながら割れ目に近づいた。岩は鋭いが、通れないほどではない。波の音が、少しずつ遠ざかる。
洞窟に入った瞬間、空気が変わった。
潮の音が、一段遠い。湿っているが、風がない。ここなら、体温を奪われる速度は遅い。
僕は、そこで初めて、自分の胸の奥を意識した。
――静かではない。
あいつは、騒いでいない。少しざわめいているが、先ほどまでとは違う。抑えているわけでもない。ただ、ついてきている感じ。それが、今はありがたかった。
「……ここで、少し休もう」
そう言って、岩に腰を下ろす。生き延びるための行動は、まだ始まったばかりだ。
明日は、二本投稿いたします。6時と16時です。
よろしくお願い致します。




