味噌汁の味
食堂は、夜にしては少し騒がしかった。
ログアウト直後の時間帯は、試験参加者もスタッフも、一斉に解放されるせいで、いつもこんな感じになる。
私は、トレーを持って席を探しながら、少しぼんやりしていた。
体はここにあるのに、指先だけがまだ杖の感触を覚えている。杖が地面に置かれる感触。あれは、ほんの数時間前の出来事のはずなのに、ずいぶん前のことのようにも思えた。
「澄佳ちゃん、こっち」
鷺沢が手を振る。その向かいには三好がいて、すでに箸を動かしていた。
「こんばんは」
席に着くと、ようやく肩の力が抜ける。食堂の匂い。味噌汁の湯気。現実だ、と実感できる。
「今日は、一日お疲れさま会ってことでいいよね?」
鷺沢が、いつもの調子で言う。
「……会、ってほどでは」
「いいのいいの。形式は大事じゃないから」
三好が、小さく笑った。
「でも、確かに疲れたかも。現実に戻ると、どっと来るというか」
「それそれ。記憶の圧縮、地味に効くよね」
そんな他愛ない会話の流れで、ふと話題が広がる。
「そういえばさ」
鷺沢が、箸を止めて言った。
「今日は、恒一くんは来ないって」
私は顔を上げる。
「近衛くん、ですか」
「うん。家の用事だって。なんか……外で豪華ディナーらしいよ?」
語尾に、からかうような響きが混じる。
「豪華……」
三好が、少しだけ表情を曇らせて、でもすぐに整えた。
「まあ、あの御家ですから、そういう席があるのは仕方ないですね」
「まあねえ」
鷺沢は、どこか距離を取った言い方をした。
「直人くんと修司くんは、逆にいつも通り」
「いつも通り?」
「うん。例のファミレス。ドリンクバー付きの」
三好が、少しだけ肩をすくめる。
「さっき連絡が来た。『今日は無難にいつものところ』って」
その言い方が、どこか安心しているようにも聞こえた。
私は、何も言わずに味噌汁を一口飲む。口の中に広がる、うま味と塩味、そしてその温度が現実に戻ってきたことを実感させる。
そして頭の中には、今まで関わってきた他のプレイヤーたちの姿が浮かんだ。同じ試験に関わっていても、同じ出来事を経験していても、今、立っている場所は少しずつ違っている。
「……みんな、別々だね」
思わず、そんな言葉が零れた。
「まあ、そんなもんだよ」
鷺沢が、軽く言う。
「全員一緒に同じとこで立ち止まるほうが、たぶん不自然」
「そうだね」
三好も頷く。
「今は、それぞれが自分の立場に戻っているだけか」
その言葉は、誰かを庇うでも、責めるでもなかった。
私は、少し考えてから、静かに言った。
「……でも、また同じ場所に集まることも、あるかな」
二人は一瞬、視線を交わし、それから私を見る。
「そりゃあ、ね」
鷺沢が笑う。
「どうせ、同じ船に乗ってるんだし」
その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなった。
今は、食堂のテーブルを挟んで、ただご飯を食べているだけ。それでも、この距離感は、悪くないと思えた。
明日も、またログインがある。
巫女としてでも、学生としてでもない、ただの自分で、その事実を受け止めながら、私は箸を進めた。




