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ROYAL BOUNTY  作者: アオキチ
リンプイン監獄

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8/16

生存のご褒美

 呼びかける言葉すら、研究者が走らせる猛烈な羽ペンの音にかき消された。


 狂ったように羊皮紙をなぞるその速度は、もはや聖母の優雅さなど微塵もない。


 ミラーラはもう周りが見えていない、瞳に映るのは俺ではなく、そこにあるのは底なしの知識欲だけだ。


 これ以上ここにいたら、魂まで勝手に定義されかねない。逃げるように、重厚な図書室の扉を引いた。


 ガチャン、と真鍮の錠が降りる。その瞬間、扉の向こうから。


「……素晴らしいわ。既存の魔導体系では説明がつかない。世界の理が書き換わる、坊やの"定義"を完成させてあげるわ!」


 歓喜の叫びが漏れ聞こえてきた。背中を伝う嫌な汗を拭い、俺は監獄の冷えた廊下を足早に去った。


 向かう先は、訓練場だ。親方やミラーラに比べれば、まだルーガディやローシャのほうが、物理的で道理が通っているはずだ。


 訓練場の重い扉を開けると、鉄錆と、古びた革、そして隠しきれない血の匂い。そこにはローシャと、岩山のような体躯のルーガディが立ち塞がっていた。


 ルーガディは、俺の視線まで腰を落とすと、困ったように眉を下げて微笑んだ。その一言一句は、教育者としての落ち着きがあった。


「……ひどい顔だ。だが、心臓の鼓動は昨日より力強い。いい傾向だ」


 ルーガディは俺の肩をズシリッと掴み、足元に転がった薄い鉄盾を拾い上げ、丁寧に握らせた。


「……この監獄が君を押し潰す前に、私が君に生き延びる資格を授けてあげたいんだ。これは、心からの献身だと受け取ってほしい」



 ルーガディはそう言って立ち上がると、流麗りゅうれいな所作で巨大な木槌を肩に担いだ。



「ルーガディ……待ってくれ……」

 後頭部から背筋を通り足に浸透するような、恐怖が駆けていく。


「言葉というものは、常に真実を伝えるわけじゃない。だが! この衝撃は嘘をつかない。構えてくれ。君の限界を、一緒に見つけに行こうか」


 ルーガディの瞳に宿る知性が、鋭い選別者のそれに変わった。

 踏み込みの予備動作すら見せないまま、風が悲鳴をあげて善意が襲う。


「――っ!?」


 視界が瞬転した、恐怖に瞼が張り付き、情けなく腰が引ける。無軌道に突き出した盾に、木槌が直撃した。


 爆ぜるような衝撃が全身を駆け抜け、左腕の感覚がなくなる。抗う術もなく、俺の体は弾き飛ばされた。


「大丈夫かい?  まるで淑女のような反応だったが……。あぁ、立てないかい?  貸してごらん、手伝おう」


 倒れ伏した俺の胸ぐらを軽々と掴み上げ、強制的に立たせた。その顔には、友人のような笑みで満ちている。


「……待ってくれ!  説明してくれ、いきなり何なんだ!」


 状況が追いつかない。なぜ、さっきまで穏やかに話していたルーガディが、殺意すら感じる木槌を振り下ろしてくるのか。


「……貴公。この世界に"今からあなたを殺します"などという親切な合図があるとでも思っているのか?」


 その問いに応えたのは、ルーガディの背後で腕を組んでいた、ローシャの声だった。その瞳には、甘えを許さぬ氷が宿っている。


「理屈を求める前に、身を守る術を覚えろ。死人に説明は不要だ。ルーガディ」


「もちろんだ。聞いたかい?  君の疑問は、この木槌を完璧にいなせた後に、ゆっくりとスープでも飲みながら聞こうじゃないか」


 ルーガディは巨大な木槌を担ぎ直した。一振目に比べ筋躯が絞られていく。


 ミリッ、――嫌な音が鳴る。


 筋躯が目に見えて絞り込まれ、鋼のような密度へと変貌していく。それは、温厚な隣人が解体者へと変貌する合図だ。


「私を信じてくれないか? 君なら、致命打の速さでも――死なないはずだ」



 音が、消えた。



 ルーガディが踏み込んだ瞬間、視界から彼の巨躯が掻き消える。もはや速度の概念すら意味をなさない。


 ――刹那。


 ガリウのかおがよぎり反射的に、俺の体は後ろへと跳んでいた。


 生存のための本能が、思考よりも先に俺を突き動かす。だが、そのわずかな後退すら、ルーガディの間合いだった。


「――っが、あ!!」


 後退する最中に盾をわずかに傾け、衝撃を後ろに逃がす。

 回避の途上、逃げ場のない空中で激突した。


 衝撃を殺しきれず、俺の体は枯れ葉のように後方へと吹っ飛ぶ。


 背中から地面を転がり肺の空気が強制的に排気された。


 思考が巡る。

 偶然か、無意識に体現したのか、その問いに答える暇をこの監獄の教育は与えてくれない。


「いい反応だよ、だが命のやり取りは影の如く迫りくるぞ」


 木槌を掲げるルーガディ、倒れ伏し呼吸すらままならない。


 俺の頭上に逃げ場のない垂直の一撃を、振り下ろそうとしていた。


 だが、俺は既に血と汗に濡れた手で。

 砂を深く掴んでいた。


「――っらあ!!」

 掴んだ砂をルーガディ顔面へ叩きつける。

 不意を突かれ、彼の端正な眉がわずかに跳ねた。


 その一瞬の隙。

 俺は地を這うような低さで身を捩る。


 「あんたの献身、分かりやすかったよ。振り下ろす。息を止めるこの瞬間だ!」


 吐き捨てると同時に、

 全体重を乗せて薄い鉄盾を

 水平に振り抜いた。


 狙いは振り下ろしの重圧を支える、

 ルーガディの軸足。


 ガチンッ、と硬質な衝撃

 親方の教え通り一点集中。


 鋼の如き筋躯を盾の縁で

 叩き切るように打ち据えた。


 影が落ちる。死を確信させる恐怖が重力に従い垂直に加速する。


 巨大な木槌の軌道が、ミリ単位で俺の鼻先からズレる。


 空を切る暴力。地を砕く轟音その直撃を回避した。俺は泥を舐めながら横転し、その勢いのまま跳ね起きた。


 無防備になった体勢を崩した

 ルーガディの驚愕に染まる顔。


 横面よこっつらに体重を乗せ鉄盾を叩き込んだ。鉄の塊が、ルーガディの頬を硬く。鋭く打ち据えた。


 ガァン。


 ――乾いた鈍い音。それと同時に砂埃と静寂が訓練場を支配した。


 俺の左腕には岩を殴ったような痺れが残っている。

 ゆっくりと。ルーガディが顔を正面に戻す、口の端から垂れる一筋の血。


 だが、その瞳に宿っていたのは、怒りでも殺意でもなかった。それは、成長を目の当たりにした歓喜だった。


「素晴らしい……。  痛みの中に正解を見出す、その執念!  君はまさに、この世界に相応しい適応を持っている!」


 喜びに震えるルーガディの背後。ずっと腕を組んで静観していたローシャが、一歩、前へ踏み出した。


 その氷のような瞳が、わずかに細められる。それは、獲物を眺める目から、初めて『戦士』の端くれを認めた者の目への変化。


「……見事」


 短く、吐き捨てるような肯定。だが、その一言には、先ほどまでの冷徹な突き放しを拭い去るほどの、確かな重みがあった。


「満身創痍、命まで追い込まれ、ようやく成長したか」


 ローシャの視線の先に映るのは、鼻は砕かれ、手に血を滲ませ、全身に無数の傷を負い、震える足で立っている戦士だった。


 「やれば出来るじゃねぇか。まぁオレッチの子分なら当たり前か」


 訓練場の扉から、すすと油の匂いを漂わせて親方が姿を現した。


 親方が胸を張った直後。背後の影が揺らぎ、そこから音もなくミラーラが染み出すように現れた。


 ミラーラは親方の存在など視界に入っていないかのように、細い指先で肩を無造作に弾いた。親方は前のめりに肺の空気を吐き出しながら転がる。


 ミラーラは俺の前に立つと、透き通った、けれど底の知れない瞳で、俺の負った無数の傷を検分するように凝視した。


 「……激しすぎる鼓動、紫に沈んだ打撲痕、肉の綻び。身体の規律が乱れきっている。無茶するわね」


 ルーガディは一歩後ろに下がり、俺の背中を優しく押してくれた。ローシャは小さな咳払いして、俺を見据えた。


 「貴公に良い知らせと悪い知らせがある。心して聞くがよい。良い知らせは貴公の名を皆で考えた。今この場で授けよう」


 名前? 俺に……。ガリウに家畜のように扱われ、尊厳を奪われてきた俺に、この人たちは『人』としての証をくれるというのか。


 「《ハミトン・ローゼ》。この世界のある英雄譚に出てくる名だな」


 熱くなったものが目元に溢れた。監獄の冷たい床の上で、初めて自分の居場所を見つけた、この世界で孤独だった俺が家族として受け入れられた。


「あ……ありがとう……俺に名前っ……ありがとう」


 震える声で感謝を絞り出した、その直後だった。ローシャの瞳はやはり、無機質なままだった。



「悪い知らせは日が七つ落ちる時、貴公の処刑が決まった」

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