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ROYAL BOUNTY  作者: アオキチ
リンプイン監獄

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5/15

監獄長の訪問

 食堂から早足で居房に帰ってきた。


 まだ胸の奥が、物理的な質量を持っているように昂っている。ローシャの姿は見えないが、今はその不在さえも都合が良かった。


 反芻はんすうする記憶は、いつの間にか熱を帯び、居房の闇の中で一人、演説を再演していた。あの一瞬、確かにあの空間は俺のものだった。


 暗い居房の壁を見つめながら、食堂での出来事を思い返し、口元が、勝手に緩んでいた。


「……あの時間、あの場所は、俺が世界の主役だったんだ」


 独り言が、冷たい石壁に反響して消える。

 この幸福が、永遠に、あるいは少なくとも明日までは、体温を繋ぎ止めてくれるのだと、無防備な悦楽に浸かっていた。


 その悦楽を、乾いた、それでいて重厚な響きが断ち切った。


 ザッ、ザッ、ザッ。


 石床を叩く靴の音は、一人のものではない。先頭を行く正確な足音に合わせ、背後に控える複数の看守たちが、寸分狂わぬリズムで軍靴を鳴らしている。


 統制されたその行進音は、居房の空気を一瞬で凍土へと変えた。


 音は房の前でピタリと止まった。金属が噛み合う無機質な音が響き、鉄扉が重々しく押し開かれる。


 そこに立っていたのは月光に照らされ輪郭さえも冷徹に、生物としての温度を感じさせない、切り出された影。


 彫像のように直立不動で控える看守たち、背後の巨躯の看守らのような威圧的な体躯ではない。


 だが、制服越しでも伝わるその肉体は、しなやかに一切の贅肉を排し、鋼の密度を詰め込んだ機能美そのもの。


 彫刻のように整ったかおには、規律を嘲笑う不敵な少年性が宿り、その瞳だけが、底知れぬ死の色を湛えていた。


 額にある鈍色の角は、他の看守と同じはずなのに、なぜか、別の生き物のように見えた。


「持て成し不要だ、私は《ガリウ・イチ》。ここリンプインの監獄長だ。詩人のアンコールを聴きにきた」


 ガリウは物腰柔らかく、まるでお忍びの貴族のような優雅さで歩を進める。


 彼が放つのは、あまりに清潔で、鼻の奥がツンとする薬品の匂いと、乾ききらない血のような鉄の匂いが洗い落としきれずに絡みついているみたいだ。


「食堂で皆を惹き付けるあの力……。実に見事なものだった。私にも、その"力"を見せてみろ」


 穏やかな瞳、牧師のような眼差し。俺がその言葉の真意を測りかねて硬直した、――その刹那。


 優雅に差し出されたはずの手が、吸い込まれるような淀みのなさで俺の喉笛に食い込んだ。


 ミシリ。


 喉の軟骨が悲鳴を上げ、視界が急速に火花を散らしながら暗転していく。果実から水分を絞りだす、食事のように命を鷲掴みにする。


 潰れかけた視界の奥で、わずかな光を拾う。眼前には涼しい中に反応を楽しむ無邪気なかおが潜んでいる。


 周りに助けを求め視界の端を彷徨わせるが――そこにあったのは冷たい石壁と、それ以上に冷徹な日常だった。


 監獄長が振るう暴力を前にして、控える看守たちの眼には驚きも嫌悪も、高揚感さえない。


 ただ何の変哲もない一日を消化するように、彼らの眼は、淡々と俺の死に際を眺めていた。


「私から目を背けるのはガッカリだよ」


 絞めあげる首から手を離す。急いで生命を吸い上げる間際。肘を短く畳んだガリウから急に視界が覆われる。


 ガキッ。


 自分の頭蓋の中で、乾いた枝が折れるような音が響いた。鮮血が散る、部屋に差し込む月光に照らされ反射する。


 鼻の感覚が一瞬で消し飛び、ただ熱だけが急騰する。鼻の下を、雨水が垂れるように血がゆっくり流れ、口を伝い、アゴ先まで水路を繋げる。


 本能が防衛するように膝をつき、両手で感覚を喪失した鼻を覆う。徐々に痛みが迫り上がり、鼻の奥を突き抜けた衝撃が、強制的に涙を絞り出す。


 鼻水と鼻血で呼吸が上手く出来ず、舌が微痙攣を起こし、冷たい空気が喉をひりつかせる。


「期待を裏切る脆弱さだ。これが異邦人? お前は殻から出たことがないのか?」


 そんな姿など気にも留めず、髪を掴み立ち上げる。ガリウの瞳には慈悲などない。


 自分を楽しませる玩具が、動かなく音が出なくなり、不服そうな傲慢な顔付きだ。


「質量が雫ほど、何より牙も角も持ち合わせてない。殺されるのに抗うことなき生物など興を削ぐ」


 掴んでいた髪を離し、崩れ落ちる体を蹴りとばす。壁に打ち付けられ体が反響する。


 ――一瞬の空白。


 すぐさま景色は火花が爆ぜ、色褪せて白く霞み、闇が残った痛覚さえも塗り潰した。



 短いノイズが辺りを散らす。ボンヤリした景色の中に入ってきたのは、異形の輪郭を持ったローシャだった。


 意識が覚醒していくにつれ、体中に激痛が走り、痛みにのけ反り、顔をあげる。

 ベリっと音をたて、頬には乾いた血が貼り付いていた。


 そして記憶は無情にも鼻を砕いた先にあるガリウの冷徹な瞳を掘り起こした。


 恐怖に駆られ傷ついた全身を、庇うように身をすくめ、小さく震えながら石壁の隅で、自分以外の世界を拒絶した。


 ローシャは隅で震える弱者を見下ろすことなく、励ますことなく近づく。

「誰の仕業かなど、知る必要ない。貴公は今後どうしたい?」


 危害を加える事のない言葉さえ振り払うように俺は咽び、うめいた。

「ここで殻に籠るなら、この先は虐げられる弱者に成り下がるぞ」


 目の前に立ち尽くすローシャは無機質な瞳でこちらを見下ろした。

 だが、そんなこと、先ほどの恐怖を刻みこまれ支配された心には言葉の意味など空虚にする。


「……その震え、その無防備さ。この監獄では、それは"獲物"という合図だ」


 声音に、一切の温度が消えた。


「我とて、いつ貴公の喉笛を食い破るか分からぬぞ。この地では、"獲物"は"どうぞ料理してくれ"という招待状に等しい」


 その言葉が終わるより早く、ローシャの長い指が胸ぐらを掴んだ。

 悲鳴を上げる間もなく、体は冷たい石壁から無理やり引き剥がされる。


 思考するよりも先に手を払い、渾身の力で突き飛ばした。

 ――だが、手応えは皆無だった。


 大岩を突いたような無慈悲な反動に、ふらついた足取りは体勢を崩し、無様に後ずさる。


 この世界の住民でない俺の面倒を見てくれたローシャは、今は害を成す敵にしか見えない。


 獣のように吠え、全身の関節が軋むのも構わず、全体重を預けた渾身の右拳を心臓に目掛けて叩きつける。


 ローシャは軽やかに左でいなし鳩尾みぞおちに膝をメリ込ませた。返す刀で頭を鷲掴みにし壁に打ち付ける。


 頭蓋を固定する食い込む指を、両手で引き離そうとしても深く突き刺さった杭だった。一人では外すことさえ叶わない絶望。


 だが、諦めることもなかった。

 言葉を押し潰すほどに奥歯を噛み締め、唸りをあげ、自分を追い込む暴力に精根尽きるその時まで。


 俺は対峙し抵抗を続ける。


 正面から瞳を射抜き、淡々と告げた。

「……珠の肌から、牙が生えたか」


 その言葉を最後に、意識は深い闇へと沈んでいった。

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