怪物船と船長
「……腹、減ったな」
肉の焼ける匂いが、無一文の腹に貧しさを叩きつける。
賑わいに包まれ、祭りに沸く無数の出店と屋台。叫び、笑い、歓喜の声が溢れかえる。
遺物、賞金、魔導石。
必要な物はどれも持ってない。
しかし腹は減る。
「だから言ってるでしょ! それは私の獲物よ!」
狐耳の獣人は、白い尾が背後に流れ、朱の袴が足元に広がる。
短い羽織の下、黒い装束が体に沿い、腰には道具を詰めたベルトが幾重にも巻かれていた。
「現実を見ろ、この依頼紙は一人じゃ無理だ」
魚人の男は、胸の前で腕を組んだまま一歩も動かない。
その体躯は鋼を削り出したような胸と肩の厚みを持ち、ただ立っているだけで周囲の空気を押し潰していた。
黒を基調とした装いに、青白い肌が浮かび上がる。闇に紛れる捕食者みたいだ。
高圧的な獣人と、冷めた魚人の口論が目の前でぶつかる。
少し前まで、道すら分からなかったはずなのに――どうしてこうなった。
そうだ、あの夜明けから始まった。
監獄から逃げ出した俺は、軍国から開放領都を目指し、朝日を迎え、丘で立ち止まる。
どこにいるのか分からない……迷ってしまった。目印も案内板も見つけられない。
立ち尽くしていると、自然の静寂からかけ離れた、大地を引きずる音が聞こえてくる。
振り返ると、黒い物体が地面を擦りながら迫ってきた。
船か? いや、何かの死骸を継ぎ接ぎしたような塊。
先端はやや尖り、後部は膨らんだ不格好。釘や縄で固定されている箇所もあり、その隙間を木板が雑に塞いでいた。
欠けた部分は色の違う"鉄"で補われているが、光り方が艶めき、生き物みたいに生々しいな。
……何かおかしい。
"鉄"じゃないぞ? 禍々しい光沢の、そう――魔物の甲殻か?
ズザァッ……。
平たい腹は地面をえぐり、軋み、悲鳴をあげながら目の前に停まった。
「……乗るか?」
塊の中から低く乾いた、水底に引きずり込まれるような圧がある声だった。
縄梯子が吐き出され、選択を迫られる。どちらを選んでも後悔する、そんな判断しか出来ない。
塊がしびれを切らしたように唸り声をあげ、起き上がる。
怪物の胃の中に飛び込むようなものだ。監獄を生き抜いた俺は、梯子を掴む手に自信をのせて、揺れる塊をよじ登る。
濡れてもいないのに、鉄の錆びた匂いが鼻に張り付く。船の手すりを掴む、振動が振り払うように手を弾く。
怪物の背中に搭乗した。内部に繋がるであろう扉に近づく。
……やっぱり魔物の甲殻だ。
扉を開くと『ギチィィ』と殻がむける音がして、生理的な嫌悪が首の後ろから喉にかけて、こみ上げる
怪物の中を歩いて行く。歩くたびに場所ごとに音が違う、妙に軽い感覚がする、木板と……角膜か?
踏むたびに、嫌な軽さが足裏に残る。
操縦室であろう場所にたどり着く。ここまで誰にも会わなかった。声の正体が本当に怪物なのか?
「歓迎するぞ。ジャンバラヤ号に」
背後から声がした瞬間、そこに最初からいたかのように立っていた。
距離を取り、振り向き構える。
大きい……頭一つ高い、異様な存在。
黒いボディスーツに覆われた身体。
胸元は大きく開き、隆起した筋肉が露出している。肌は青みを帯びた白。湿ったような光沢が、異質さを強調する。
「誰だ!? このおぞましい物体はなんなんだ?」
「《ジェリコ・トゥレディチ》鯱の魚人だ。――そしてこいつは《ジャンバラヤ号》……船だ。」
耳は後方へと伸び、鋭く尖っていた。薄く、ヒレのような質感が一瞬だけ目に入る。
船だと? この不快な塊の怪物が?
「丘の上で何してた?」
「開放領都を目指してたんだが、道が分からず迷ってたんだ」
「歩いてたどり着こうとしてたのか? 面白い田舎者だな」
黄緑でも金でもない瞳が、こちらを見下ろす。
「軍国から街道を外れて歩いてきたのか? 魔物に出会わなかったのは運がいい。だが、この方向だと開放領都に辿り着けないぞ」
話が本当ならその開放領都はどう行けばいいんだ?
「そしてこの船は開放領都を目指している。船員もな」
……分かりやすい誘いだった。断った所で何も進展しない、構えを解いてその笑みに頷いた。
「まずは寝床の場所からだ、種族は……獣人か?」
俺の種族? 人間なんだが、もしかしてこの世界って……。
「まぁいい、この倉庫部屋を使え。燃料鉱石と殻は整備場に運んでくれ」
魔物の甲殻は何度見ても気持ち悪い。
触れた瞬間、『ピクリ』と何かが動き、反射的に手を引いた。
――今。……いや気のせいだ。そういうことにして、荷物を運ぶ。
整備場は工具が散乱している。魔物の甲殻に翅や角膜が雑多に置かれ、ジェリコは箱詰めの燃料鉱石を持っている。
「適当に置いてくれ。燃料を動力室に持ってくぞ」
動力室の扉を開けた瞬間、逃げ場のない熱風が肌にじっとりとへばりつき、体が汗を滲ませる。
大きく息を吸い込めば、空気中に舞う細かな煤が喉の奥に沈殿する。
唾液を飲み込むたびに、かすかな苦みが舌に残る。喉はカラカラに、熱と乾いた空気が肺を枯らす感覚。
「本来この魔導エンジンに魔導石を差し込んで魔力を補充して稼働させる。……だが、今そんなものはない、魔導核が死んでる。だから鉱石で無理を喰わせてる」
魔導石が差し込めるスロットの下の取っ手を、ガコンッと重く開く。投入口に燃料鉱石が流し込まれていく。
「開放領都に着いたら魔導石を購入する。他にも色々調達するため仕事する」
「仕事?」
「仕事つったら賞金稼ぎだろ」
この時の俺はまだ知らない。
この船に乗った時点で、もう引き返せなかったことを。




