Vol.073【甘く危険な香り】
繭の件はさておき、俺は美麗から空央の情報を聞けるだけ聞いた。
そして依頼の翌日――調べた内容を報告するため、彼女を事務所へ呼んだ。
2016年8月10日 PM12:20
篠原探偵事務所
みつき「こんにちは。」
篠原「あ、みつきさん!どうも!お待ちしておりました!」
みつき「約束通りですね。何かわかりましたか?」
篠原「どうぞ、お掛けください。ただいま紅茶をお入れします。」
みつき「ありがとうございます。」
俺はいれたての紅茶をそっとみつきに差し出した。
篠原「それでは早速、お話させていただきます。」
みつき「はい!よろしくお願いします。」
篠原「実は、桜沢空央さんに関する情報はいくつか仕入れております。」
みつき「本当ですか?」
篠原「ええ……ただ、生い立ちが少々複雑でして。さらに詳しく調べるとなると、もう少し時間がかかります。」
みつき「生い立ち……ですか?」
篠原「率直に申し上げますと、空央さんは幼少期に虐待を受け、児童養護施設で暮らしていたようです。」
みつき「養護施設……ですか?」
篠原「どうしました?何か気になることでも?」
みつき「いえ……なんでもありません。ただ、少し驚いただけです。」
篠原「でしょうね……あの容姿からは想像しづらい話ですから。」
みつき「はい……。」
篠原「さらに、空央さんには双子の妹がいるようです。」
みつき「双子!?空央さん、双子だったんですか?」
篠原「はい。名前は白石繭。これが妹さんの名前です。
空央さんの元の名前は白石空。桜沢家に引き取られた後、改名したようですね。
また中学・高校ともに優秀な成績で卒業し、現在は青陵学院大学に在学中です。」
みつき「そうですか……。で、その妹の繭さんはどこへ?」
篠原「それは今回の依頼には含まれていませんので、調べていません。
みつきさんが知りたいのは空央さんのこと、ですよね?」
みつき「……そうでしたね。すみません。」
篠原「あなたが撮影した写真――つまり、空央さんが出てきた会社ですが、
あれは彼女が面接を受けに来ていた時のものです。」
みつき「空央さん、もう面接を受けていたんですか?」
篠原「はい。しかも、かなりその会社に執着しているように見えます。」
みつき「どうしても入りたかった、と?」
篠原「そのようですね。理由については、直接本人に聞くしかありません。
人事部から話を聞いた限りでは、面接官の印象も“かなり熱心だった”とのことです。」
みつき「……」
篠原「そしてもう一つ。面接の際に、彼女の“趣味”が分かっています。」
みつき「それは……?」
篠原「ネバーランドっていうコミュニティアプリです!スマートフォンではかなり有名みたいですよ。若い女性の利用者が多いとか。みつきさんはやったことないんですか?」
みつき「私はスマートフォンを持っていないんです。」
篠原「珍しいですね。」
みつき「母にも不便だろうからと勧められてはいるんですが、私はそういったものにあまり興味がなくて。連絡が取れればそれで十分だと思ってます。」
篠原「そうですか。ちなみに、どんな携帯を使われてるんですか?」
みつき「……どうして、ですか?」
篠原「いえ、深い意味はありません。ただ最近は、若い方でスマホ以外の携帯を使っている人をあまり見かけないもので。」
みつき「情報がすべての時代ですからね。でも、それがかえって人を縛りつけることもあるんです。」
篠原「確かに……どこにいても“繋がってしまう”時代ですからね。」
みつき「これが私の携帯です。珍しいですか?」
篠原「久しぶりに見ましたよ、この型は。」
みつき「ガラケーと呼ばれる携帯ですね。時代とともに、いずれ完全になくなるんでしょうね。」
篠原「あはは……すみません、話がそれてしまって。」
みつき「いえ、大丈夫です。」
篠原「では、私からの報告は以上になります。ここからは、みつきさんのほうからご質問があればどうぞ。
私としては、100%ご納得いただきたいので、調べたことはすべてお話しします。
ただ、先ほども申し上げた通り、生い立ちの詳細については現在も調査中ですので、その点は後日という形でお願いします。」
みつき「わかりました。では、遠慮なく質問させていただきます。」
篠原「どうぞ。」
みつき「空央さんの親は、その後どうなったんですか?」
篠原「元々、空央さんの両親はギャンブルや虐待を繰り返していたようです。姉妹はろくに学校にも通えていなかった。
そして空央さんが小学校4年生、あるいは5年生に上がる頃、両親は育児放棄をした。その後も暴力は続いていたそうです。
ちょうどその頃、新宿歌舞伎町で姉妹による放火事件がありました。妹が焼死するという惨事です。原因は親の虐待と人身売買――。
その事件を知った二人は、自分たちの親と重ね合わせたんでしょう。
その直後、家を出て児童養護施設に身を寄せた……そういう流れです。」
みつき「あの悲惨な事件……ですか?」
篠原「ええ。事件としては大きく報道されませんでしたが……。
その前から話題になっていた“茨城の女児連続殺人事件”がなければ、もっと注目されていたはずです。
当時の子供たちにとっては、どちらも忘れられない事件でしょうね。
今、大人になっている世代なら……ちょうど、みつきさんくらいの年齢かもしれません。」
みつき「……そうですよね。」
みつき「それで、空央さんと繭さんは、どうして一緒じゃないんですか?」
篠原「施設に入ったその夜、繭さんがいなくなったという情報があります。
理由は不明ですが……。
ただ、空央さんは繭さんに対して――
“裏切られた”と、うわ言のように繰り返していたそうです。」
みつき「裏切られた……ですか?」
篠原「はい。相当、強い感情だったようです。」
みつき「その後の空央さんは?」
篠原「1年ほど施設で過ごした後、桜沢家に引き取られた。
そして桜沢空央に改名。そこからは優秀な成績で中学・高校を卒業し、現在は青陵学院です。」
みつき「話を戻しまして、その後、空央さんと繭さんのご両親はどうされたんですか?」
篠原「はい。その情報は警察側から聞くことができました。」
みつき「えっ、警察からも情報を得られるんですか?篠原さんって。」
篠原「ええ。警察も捜査するにあたって、立ち入れない領域というものがあるんです。組織ですから。言わば、私と警察は持ちつ持たれつの関係、といったところでしょうか。」
みつき「なるほど……。では、今はどうしているんですか?空央さんと繭さんのご両親は。」
篠原「父親は詐欺および大麻所持の容疑で逮捕され、現在服役しています。母親も同様に、夫婦で詐欺を行っていたため同日に逮捕されています。ただ、大麻所持には関与していなかったため、父親より罪は軽いでしょう。仮に今後この2人が出所したとしても、空央さんと繭さんのもとに戻ることはないと思われます。」
みつき「そうですか……。親子の縁というのは人それぞれで、永遠に繋がっているものもあれば、簡単に切れてしまうものもあるんですね。」
篠原「まさしく……儚いものです。」
みつき「ありがとうございます。よく理解できました。短期間なのに、ここまで……」
篠原「満足していただけましたか?」
みつき「もちろんです。
でも……繭さんのことは、何もわかっていないんですよね?」
篠原「先ほども言いましたが、繭さんの件については調べていません。
調べれば何かわかるかもしれませんが……調べますか?」
みつき「いえ……それは結構です。」
篠原「わかりました。では、ここまでの内容で納得いただけるなら、依頼料をお支払いいただきます。
それとも、まだ捜査を続けますか?」
みつき「……」
篠原「みつきさんの依頼は、桜沢空央の“過去の経歴”と“今後の動き”でしたね。
過去については、概ねご理解いただけたかと思います。
ただし幼少期の細かい部分は、現在も調査中です。分かり次第ご報告します。
そして今後の動きですが……
空央さんは、あの会社に入社し、そこで働く可能性が極めて高い。
この情報は確実です。」
みつき「わかりました。これまでの分はお支払いします。
……でも、さらに詳しく調べてください。」
篠原「さらに詳しく……ですか?」
みつき「はい。どんな些細なことでも構いません。
次の依頼は、すべてを、しらみ潰しに。」
篠原「みつきさん……あんた、一体!」
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綾瀬みつき。
これまで数多くの依頼を受けてきたが、
こいつは明らかに“異質”だ。
事件や浮気調査とは違う、
もっと底の見えない何か――。
しいて言うなら、
“何かが起きる前触れ”。
本来なら、ここで手を引くべきだ。
だが、
調査は簡単な割に、依頼料は惜しみなく払う。
こんな“上客”、そうはいない。
……思い過ごしか?
いや、違う。
引っかかる点が多すぎる。
空央の双子の妹、繭の話に対して、
みつきはほとんど反応を示さなかった。
同じ“双子”という重要な情報なのにだ。
それに……
あの写真。
まだ入社もしていない空央が、ツインライトプロダクションから出てくるタイミングを、なぜ知っていた?
偶然で済ませるには無理がある。
相当な監視でもしていない限り、あり得ない。
……そして、あの携帯。
この時代に、若い女がスマートフォンを持たず、あの古い機種を使っている理由。
俺は、気づいてしまった。
綾瀬みつき。
あんた、ただの依頼人じゃねぇな。
……いいだろう。
その正体、暴いてやる。
骨の髄まで調べ上げて、
依頼料ごと全部、いただく。




