第49話 義、その責
「元は今川の臣でありながら、相模を掠め取り!
関東に百年の騒乱を招いた北条の大罪! ……断じて、許せるものではありません!」
覚悟の上での挑発だった。
それでも、上杉輝虎の激昂を背中に浴びた瞬間、胸が飛び出しそうなほど心臓が跳ねた。
土下座して謝りたい衝動を必死に堪え、視線だけを左右へと走らせる。
すると、犀川の両岸に控える両軍が、こちらの様子に何事かとざわめき始めているのが見て取れた。
心を落ち着かせるため、震える息を大きく吐き出し、深呼吸をひとつ。
駄目元のはずだった武田家と上杉家のダブル上洛の提案に、どうやら芽がある。
ならば、是が非でも花を咲かせてみせたい。
「もちろん、承知している……。だが、しかしだ。
そもそも鎌倉公方と関東管領が争わなければ、北条が今のような大領を有するどころか、大名にすらなっていなかったはずだ」
上杉輝虎に背を向けたまま、語り続ける。
所詮『鶏が先か、卵が先か』といった類の揚げ足取りに過ぎない。
だが、それもまた紛れもない真実だった。
「畿内が乱れている時代だからこそ……。
両公方と両上杉家は、その教訓を胸に刻み、東国をまとめ、宗家を助けねばならなかった」
「ところが、実際は逆だ。
私利私欲に走り、内紛を重ねてきた。
罪を問われるべきは……。北条だろうか? 彼らにこそ、あるのではないだろうか?」
幸いにも、上杉家と北条家の確執は根深いものの、上杉輝虎個人と北条家との因縁は浅い。
さらに、同じ上杉家でも、輝虎が家督を継いだ山内上杉家として見れば、昨年の侵攻によって故地『上野』を、いつでも容易に取り戻せるだけの実力を示している。
「もし彼らが役目をきちんと果たしていれば、今の戦国の世はとっくに終わっていたかもしれない。
少なくとも、畿内の乱れが関東に及ぶことはなく、東日本はとうに治まっていたはずだ」
つまり、上杉輝虎は山内上杉家の家督を継いだ者としての大義は、すでに果たしていると言ってよい。
残るは関東管領としての大義を、いかにして納得させるかだが、それについては、格好の説得材料があった。
「そして、北条家を語るうえで外せないのが……。
初代の時代から頑なに守られてきた『四公六民』の租税だ」
「むっ……。」
「どうした? 上杉殿」
「いえ……。」
それにしても、乗ってきたというべきか、我ながら舌がよく回っている。
実を言えば、今語っている内容は台本をアレンジした即興だ。
本来の台本では、上杉輝虎の正義感に訴えるのではなく、むしろ責め立てる算段だった。
去年、上杉輝虎が北条家を攻めるにあたり、初手に奇襲を選んだ事実。
義を掲げながら宣戦布告すらなかった点を突き、北条家と上杉家を一時的に停戦へ持ち込むのが狙いだった。
この会談も、もとは稲の刈り入れを終えた秋に行う予定だった。
それを前倒ししたのは、上杉輝虎が檄文で予告した通り、関東へ出兵する兆しが見えたからに他ならない。
無論、タダで動く話ではない。
武田家が総力を挙げて軍事行動を起こせば、上杉輝虎の目は必然的に武田家へと釘付けになる。
その結果、北条家を間接的に救うことになる以上、停戦の成否にかかわらず、今回の戦費は北条家持ちになっていた。
さらに成功した暁には、上洛費用の援助が追加で約束されている。
「今の世は、五公五民が当たり前……。
一度、戦が起これば、六公、七公すら珍しくない」
だが、どうせなら停戦にとどまらず、その先の大成功を狙ってみたい。
北条幻庵の爺から提案は受けていたものの、俺も、信繁さんも、勘助さんも、『成功以上』は望めまいと考えていた。その大成功をだ。
この熱意を現代に生きていた頃に持っていられたなら、と最近しみじみ思う。
斜に構えていたと言えば聞こえはいいが、現代に生きていた頃の俺は、一日一日を大切にしてはいなかった。
学生時代は勉強にも運動にも、本気で打ち込んだ覚えがない。
社会人になってからも同じだ。
仕事に全力を注ぐフリを続けていた。注いだつもり、で満足していた。
何をするにしても、『これくらいでいい』と、自分で自分の限界を決めていた。
「事実、儂も……。いや、八公のときもあった。
それを考えたら、民にとって北条家の支配は、まさにこの世の極楽と言ってよい」
しかし、戦国時代にタイムスリップしてからは違った。
晴信の影武者だと疑われた瞬間、俺の人生は文字通り、そこで終わる。
だからこそ、こうして即興の言葉が次々と浮かぶのも、日々積み重ねてきた努力の成果だ。
常に信繁さんや勘助さんが傍にいてくれるとは限らない。
いつでも台本が用意されているわけでもない。
完璧な晴信を演じるには、筆跡や立ち居振る舞いを真似るだけでは足りなかった。
戦国時代へ飛ばされた直後の三か月で身につけたものなど、ほんの最低限に過ぎない。
晴信が持っていたであろう知識や交友関係を、一年、二年、三年とかけて少しずつ学び、自分の血肉としてきた。
それが認められたからこそ、こうした大舞台を信繁さんと勘助さんの二人から任されるようになったのだ。
そして何より、信繁さんと勘助さんの期待に応えたいと思える自分がいる。
こんな気持ちを抱いたのは、現代に生きていた頃には一度もなかった。
「北条家と相対する大名にとっては、これほどの脅威はない。
下手をすれば、民自らが『北条こそ良し』と言い出し、一揆を起こしかねない。
この声こそが軋轢を生み、関東の大名たちに『北条悪しき』という風潮を形作っているのだ」
今だからこそ分かることがある。
影武者としての修行を終えた頃、俺は信繁さんや勘助さんから『信用』はされていたが、『信頼』まではされていなかった。
住む家と贅沢な食事、それに可愛い女でも与えておけば十分。そう思われていたに違いない。
信繁さんが忙しい合間を縫って諏訪の屋敷を訪れていたのも、第一の目的は俺の監視だったのだろう。
もちろん、それを愚痴るつもりはない。
信用してもらえただけでも、ありがたい話だ。
二人からの信頼を感じるようになったのは、三年目を過ぎてからだった。
それまで笑い飛ばされたり、聞く耳を持たれなかった未来の知識を、改めて尋ねられるようになり、それが武田家の政策に深く関わるようになってからのことだ。
「では、武田殿は……。北条を許せと?」
「いいや、許すのではない。正すのだ」
「正す?」
俺の判断は、間違っていなかったと確信する。
上杉輝虎の声には、先ほどまでの激しい猛りがない。
こうして問いを返してくること自体が、こちらの言葉に耳を傾け、説得を受け入れ始めている何よりの表れだった。




