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再就職は武田信玄! ~ 御旗楯無も御笑覧あれ ~  作者: 浦賀やまみち
山の章

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幕 間 上杉輝虎、雷に打たれし覚悟




「しかし、今だから言おう……。

 儂は荒廃した京を憂いてはいたが、去年まで上洛の意思は持っていなかった」



 信玄の提案は、帝も義輝様も、儂も、村上殿も、誰もが大きな利を得ている。


 だが、肝心の発案者である信玄だけは、利を得ていない。


 間違いなく、帝は喜ばれるだろう。義輝様も同様だ。

 帝は、その勤王精神の高さに相応しい新たな官位を信玄に下賜し、義輝様も、自らの期待に応えた信玄に幕府の官職を与えるに違いない。



「なぜかと言ったら……。

 御所が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ。……そのことを承知していたからだ。

 さらに、義元殿からも上洛の意思を聞いていた手前、出しゃばるのはいかがなものかと考えていた」



 しかし、今の戦国の世において、官位も官職も、残念ながら名誉の色が強い。

 関東管領である儂が関東を実際に支配していないように、家格を示す箔であり、その地を治める大義名分に過ぎない。



「そのような事情が……。

 言葉は悪いですが、以前の煮え切らぬ態度は、まさにそれが理由でしたか」



 確かに、官位や官職を何よりも欲する者は存在する。

 だが、信玄もそうかと問われれば、違うと断言できる。



「ああ、そうだ。

 ところが、義元殿がまさかの討ち死に……。その知らせが届いたとき、儂は焦った」



 長年の戦費と数多の将兵を用いて手中に収めた善光寺平を、信玄は手放すのだ。

 その代わりに得る利が何か、いくら考えても、儂には全く分からなかった。



「人間五十年……。

 そう考えれば、儂の時間はそう多くは残っていない。

 今、動かなければ、間に合わぬのだ」



 だが、人間五十年。

 信玄の口から発せられたその言葉が耳に届いた瞬間、全てを理解した。


 雷が脳天から足の裏まで突き抜けたかのような驚愕に、身体がブルリと震えた。

 考えに没頭するあまり、いつの間にか付していた視線を慌てて上げると、信玄は覚悟を決めた強い眼差しで大空を見上げていた。


 その口元には、爽やかな笑みがあった。


 そう、信玄は己に残された半生と武田家の全てを賭け、天下を正そうとしているのだ。


 その大いなる義の前に、打算など存在しない。

 儂と同盟を結び、後方の安全を確保できるなら、北信濃程度の代償など安い。その眼差しと微笑みが語っていた。


 穴があったら、今すぐ入りたい。

 儂の今の心境は、まさにそれだった。


 この会談の直前、儂と爺が話し合っていたことと言えば、信玄と同盟を結ぶなら、どこに境界線を引き、どこまでの土地を手に入れられるか、ということだけであった。



「では、改めて申し上げよう。

 上杉殿……。今までのわだかまりを捨て、武田家と和を結んではくれまいか?」



 人は、変わろうと決意すれば、これほどまでに変われるものか、と感服した。


 その気高さを知った今、躊躇いはなかった。

 信玄から同盟の是非を改めて問われ、頷こうとしたその瞬間。



「そして、今すぐは無理でも、儂と共に京を目指さないか?」

「なっ!?」



 続けざまに信玄の口から、とんでもない言葉が飛び出した。


 驚愕のあまり、身を乗り出し、顔を突き出し、目を見開き、口も大きく開く。

 さぞや間抜けな姿を晒しているに違いない。


 しかし、口を真一文字に結んだ信玄は床几から立ち上がり、儂との間にあった距離を中央まで歩み寄ると、右手をゆっくりと差し出した。



「お前の強さは、儂が誰よりも知っている。

 お前も、儂の強さを誰よりも知っているはずだ」


「ならば、儂ら二人が手を結べば、天下無敵!

 浅井、朝倉、六角はもちろん、三好も敵ではない!」


「儂と共に、義輝様を、そして天下を支えようではないか!」



 昨日までの好敵手から贈られた、最大の賞賛に魂が打ち震える。

 今、この場に一人きりだったなら、涙が止めどなく流れていただろう、感動が押し寄せてくた。


 同時に、儂は理解した。

 信玄の大望を耳にして、それを気高いと感じる一方で、それを実行に移せる立場にある信玄を、心の底から羨んでいる自分がいたことを。



「おおっ!? まさしく、まさしく! その通りにございます!

 御二人が揃えば、怖いものなし! 三好なんて、ちょちょいのちょいですな!」



 藤孝殿は頭上で拍手喝采。大はしゃぎの大興奮である。


 当然の反応だ。

 藤孝殿が我々に同盟を結ばせようと奔走していたのは、あくまで準備段階に過ぎない。

 本命は同盟成立の後、儂か信玄のどちらかが大兵力を率いて上洛することにあった。


 その苦労がまだ続くと思いきや、信玄が大兵力を率いての上洛が確定した。

 さらに儂も大兵力を率いて上洛することになれば、義輝様の元へ大手を振って帰還できる。



「ま、待て! い、いや、待ってくだされ!」



 慌てて、開ききった右の手を勢いよく突き出す。


 義輝様を支えようとする志は、信玄に劣らぬものを持っている。

 だが、今の儂には、大兵力を率いての上洛ができない事情があった。



「ふっふっ……。解っておる、解っておる。

 昨日まで槍を突き合わせていた者同士が、今日は轡を列べるなど、難しいことくらいは分かっておる」


「だから、上杉殿は北から、儂は南から京を目指すのだ。

 はっはっはっ! 今度はどちらが先に京へ辿り着けるかで勝負だ! 上杉殿、儂は負けぬぞ?」



 しかし、信玄は差し出した右手を下ろさない。

 下ろさないどころか、悪巧みを誘うようにニヤニヤと笑いながら、こちらへ一歩、二歩、三歩と歩み寄ってくる。



「お待ちを! 和を結ぶのに異存はございません!

 なれど、上洛に関しては……。そのお誘いは……。私は……。」

「関東か?」

「そうです! 私は関東管領! 関東に平穏を導く役目がございます!」



 信玄との距離は、たったの数歩。

 今すぐ立ち上がり、差し出された右手を握りたかったが、その数歩が、果てしなく遠く感じられた。




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