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再就職は武田信玄! ~ 御旗楯無も御笑覧あれ ~  作者: 浦賀やまみち
山の章

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第43話 天地返しの策




「ふぅぅ~~~……。」



 夏の青空に、もくもくと立ち上る入道雲を眺めながら、大きく息を吐いた。


 勝頼にはこれまで何度も『緊張するな、落ち着け』と言ってきたというのに、まったくこのざまだ。

 四方に張られた陣幕が外の景色を遮っていても、時が迫るにつれて、胸は張り裂けそうなほどドキドキと高鳴っていた。



「父上、いよいよですね。緊張します」

「ふっ……。何度も落ち着けと言っているだろうが」



 関東管領に就いていた上杉憲政と養子縁組を結び、山内上杉氏の家督を継いだ長尾景虎。

 今は『上杉輝虎』と名を改め、俺が知る歴史通りに『上杉謙信』への道を歩んでいた。


 その上杉輝虎に挑むのは、大軍をぶつける決戦ではない。

 俺と輝虎、二人だけで繰り広げる舌戦だ。



「そうは言っても、やっぱり緊張します」

「仕方のないやつめ」



 義信の葬儀の前々夜、俺は信繁さんと勘助さんの二人にこう提案した。

 武田家を存続させるために進むべきは、北でも南でも東でもない。西へ、天下を目指す道だ、と。


 しかし、西を目指すには、十年にわたって戦い続けてきた上杉家が大きな障害となるのは明らかだった。

 上杉家と和解し、さらに強固な同盟を結ぶ必要があると訴えると、信繁さんと勘助さんは『天と地がひっくり返っても無理だ』と反対した。



「それにしても……。

 正直、今でも信じられません。上杉が和睦に応じるなんて」

「無茶を通せば、道理も通る、というやつだ」



 だが、このまま座視していれば、武田家は歴史通りに滅びる可能性がある。


 『天と地がひっくり返っても無理だ』というのであれば、さらにそれをひっくり返すくらいの無茶をしなければ、歴史は覆せない。

 そう俺は告げると、三つの勝算を提示した。


 一つ目は、上杉輝虎が深い友誼を結び、親友と呼べる義輝様が、武田家との同盟を渇望している点だ。

 もしこれが征夷大将軍としての形式的な要請であれば、同盟を結んだところで中身のない仮初めのものに過ぎず、同盟を持ちかけても上杉輝虎は耳を貸さなかっただろう。


 なぜかは分からないが、義輝様は俺を気に入ってくれている。

 上洛後も、月に一度か二度の頻度で手紙が届き、その中では常に上杉家との同盟について熱心に語られていた。


 『俺は諦めない。お前も諦めないでくれ』と、その一文を必ず添えてだ。


 おそらく、同じような手紙が上杉輝虎にも届き、その心を揺さぶっているに違いない。

 その証拠に、上杉輝虎が明確に断ったのは、俺と入れ替わるように上洛した際、義輝様から直々に提案を受けた最初の一度だけだった。


 その後は、経過報告を何度も届けてくれる藤孝殿の話によれば、返事を先延ばしにして誤魔化しているばかりだという。



「それより、勝頼よ。

 お前自身、上杉にわだかまりはないのか?」



 しかし、晴信と上杉輝虎の因縁を考えると、輝虎が首を縦に振るにはあまりにも時間がかかりすぎる。


 下手をすれば、十年以上も待たなければならないだろう。

 俺の知る歴史では、その十年後には信長が台頭を始めており、それではすべてが手遅れになってしまう。


 だからこそ、上杉輝虎の時間を無理やり前に進める必要があった。

 交渉のテーブルが置かれた部屋の前で行ったり来たりと彷徨う輝虎に、部屋のドアを開けさせるためのお膳立てを整える必要があった。



「はい、父上には申し訳ありませんが……。

 私にとって、三度に渡る川中島の戦いは、その……。軍記のようで……。」



 それが二つ目。今回、武田家総力を挙げた軍事行動だ。


 ただし、上杉輝虎を呼び寄せることに成功しても、戦端が開かれてしまっては意味がない。


 輝虎を呼び寄せつつも戦端を開かせない。

 そのための手段が、過去三度の川中島の合戦で命を落とした者たちを追悼し、英霊として讃える慰霊祭だった。


 なにしろ、上杉輝虎は正義感と信仰心、二つの心が強い男である。

 慰霊祭で讃えられる英霊が武田家の戦死者だけならまだしも、上杉家の戦死者も含まれるとなれば、もはや自分から手を出すことはできない。


 事実、上杉家の軍勢は善光寺平の入口に一度姿を見せたものの退いた。

 現在は善光寺平北東の三登山中腹に陣を構え、こちらの思惑を探るように静かに動く気配を見せていない。



「まあ、そんなところだろうな。

 儂が輝虎と初めて相対したのは、お前がまだ小さな頃だった」

「はい、父上と皆の武勇伝は、何度も聞かされました」



 言うまでもないが、この慰霊祭で祀られる英霊たちの中には、当然ながら晴信も含まれている。


 それだけに、信繁さんと勘助さんの張り切りぶりといったら凄まじかった。

 事情を知らない者が見たら、戸惑って引いてしまうほどだった。


 当初、俺は晴信が没した川中島の地に供養塔を建て、善光寺の僧たちに慰霊してもらう程度を考えていた。


 だが、信繁さんと勘助さんは『駄目だ! 駄目だ!』と唾を飛ばす勢いで猛反対。

 善光寺はもちろんのこと、信濃中の寺社から僧や神官を招き、大名の葬儀ですらこうはいかない三日三晩に渡る大々的な慰霊祭を実行してしまった。


 しかも、これだけでは終わらない。


 慰霊祭を行った地には、もともと誰が祀ったか分からない小さな八幡神の社がある。

 だが、八幡神の総本社である宇佐神宮から正式な分社様を招き、ゆくゆくは大きな神社にするという遠大な計画があり、その使者はすでに宇佐神宮へ遣わされているらしい。



「……済まんな」

「えっ!? 何がです?」

「今の武田家の当主はお前だ。

 ならば、輝虎と和を交わすのは、お前であるべきなところ。それを、儂が出しゃばってしまった」



 俺には遠い未来が見える。


 今は草原しか広がっていない慰霊祭を行った地が、神社を中心にしてやがて大きな街へと育っていくのを。

 この慰霊祭が後世に語り継がれ、諏訪大社の御柱祭と並ぶ、信濃を代表する祭りとなるのを。

 約四百年後、俺が知る川中島古戦場跡とはまったく異なる光景がそこに出来上がっているのを。


 ひょっとすれば、明治維新の廃藩置県で川中島が県庁所在地に選ばれ、長野県が川中島県になっている可能性すらある。

 とんでもないことをやってしまった感は否めないが、それでも俺は、信繁さんと勘助さんの二人をどうしても止められなかった。



「とんでもない! 父上だからこそ、和を結べるのです!

 それに、父上の十年にわたる思いを奪うなんて、私にはできません! 決着は、父上がつけて当然なのです!」



 武田家の存続のためとはいえ、晴信の末路はやはりあまりにも哀れだ。


 その死を知る者は、俺と信繁さん、勘助さんの三人だけ。


 死を隠すために首を断たれ、遺体は身ぐるみを剥がされて野ざらしにされた。

 葬式をあげることもできず、首を掘り起こされる万が一の心配もなく、人目の届かない諏訪湖の真ん中に沈めるのが精一杯だった。


 晴信は、宿敵である上杉輝虎と手を結ぼうとする俺をどう思っているのだろうか。

 もし怒っているのだとしたら、上杉輝虎を説き伏せるための三つ目の必勝策など、絶対に許さないだろう。そう思うと、つい苦笑が漏れた。



「そうか、そう言ってくれるか……。」



 そこで気づいた。

 実を言うと、青空を見上げて大きく息を吐く前から、右足が貧乏揺すりのようにブルブルと震えていたのだ。


 それを右手で押さえ込み、震えを無理やり止めていた。

 勝頼と会話を重ねているうちに、少しは収まるかと思ったが、まったく効果はなかった。


 このままでは、明らかにまずい。


 押さえ込んでいる力の入り具合から分かる。

 床几から立ち上がることはできても、満足に歩けそうにない。


 そんな情けない姿を、上杉輝虎はもちろん、勝頼や味方たちにすら見せられない。



「使番!」

「はっ!」

「高坂昌信に伝えよ。大至急、本陣へ参れと」

「御意!」



 こうなったら、最後の最後まで残していた、とっておきの切り札を使うしか道はない。

 陣幕の外に侍る伝令役を呼び、用件を伝えた。



「あの……。父上?」



 勝頼が強張った表情をこちらに向けた。


 当然の反応だ。

 信繁さんや勘助さんといった知略に富む者を呼べば、上杉輝虎との会談を前にした相談事だと予想できる。


 だが、俺が呼んだのは高坂昌信。

 武田四天王に数えられる、武田軍の切り込み隊長である。


 このタイミングで呼ぶのは不自然でしかない。


 もし俺に突然の心変わりがあり、上杉輝虎との決戦を選んだのではないか。

 そう即座に予測できる用心深さがなければ、戦国大名は務まらない。


 それゆえ、その理由をきちんと説明する必要があった。

 たとえ、それが息子として接している勝頼に対してであっても、言いにくく、恥ずかしいことであっても。



「どうも駄目だな……。」

「……何がです?」

「手を結ぶと決めたが、上杉輝虎は儂が宿敵と定めた男だ。

 いざ会うとなると、気が高ぶって仕方がない」

「はっはっ! さすがの父上でもですか?」

「当然だ。儂も人間だからな。ただ……。」

「ただ?」



 しかし、やはり恥ずかしさは隠せない。

 最終的に足を開いて座っている股間を左手で弄り、こちらの意図をジェスチャーで伝える。



「このままではどうにも収まりが悪くて歩き辛い」

「えっ!? ……あっ!?」

「もし、そうと知られたら、輝虎に笑われてしまう。

 だから……、まあ……。その……。お前も、もう大人だ。解るだろ?」

「しょ、承知しました!

 で、でも、時間が迫っていますし……。て、手短に! お、おい、お前たちも行くぞ!」



 その意味をすぐには理解できなかったようだが、一呼吸置いた後、どうやら察してくれたらしい。

 勝頼は床几から勢いよく立ち上がり、顔を真っ赤に染めながら陣幕を足早に抜け出していった。



「由布にはくれぐれも内緒だぞ?」

「わ、分かっています!」



 陣幕内に控えていた勝頼の近習衆も同じ反応だった。

 若い彼らは一様に、『さすが大殿! 大事な会談前に凄ぇ!』と言わんばかりの驚き顔で次々と出て行き、陣幕には俺一人だけが、思惑通りに残っていた。




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