第25話 戦国美食化計画、始動!
「もう一人、この京で女を作られてはいかがでしょうか?」
「えっ!?」
そう提案された瞬間、俺の心臓はドキリと跳ねた。
動揺で差し出していた右手が震え、酒瓶と勘助の盃が軽くぶつかり、カチンと音を立てた。
妾を新たに囲うか、愛人を外に作れ。
信繁さんから苦言を何度も受けており、さらに勘助からも言われるとなると、実に耳が痛い。
「今の大殿なら、一つや二つはその手の話を持ちかけられているのでは?」
「そ、それはっ……。」
俺は思わず泣き言を漏らしそうになる。
だが、それでは晴信のイメージとかけ離れてしまう。
慌てて右手で口を塞いだ。
信繁さんと勘助さんの二人がそう勧める理由は、至って明快だ。
たった一人の女性に情を注ぐことは弱点となり、晴信が抱えていた奥の乱れにもつながるからである。
「大殿はすでにご正室と京との結びつきを持っていますが……。
今後の武田を考えれば、もう一つくらいあった方が良いのです」
しかし、一夫一妻制が常識となっている現代の価値観を持つ俺にとって、これは意外と辛い。
実を言うと、諏訪の屋敷へ一度も訪れたことのない正室の三条の方以外、晴信が抱えていた三人の側室とは、すでに何度か閨を交わしている。
その際の禁忌感といったら、半端ではない。
それがスパイスとなって最中は大ハッスルしても、事後はいつも賢者タイムを超えた大賢者タイムに突入するのだ。
「理解はできる。
できるのだが……。うむーー……。」
ハーレムは男の夢。
その憧れを影武者になるまで確かに抱いていたが、どうやら俺はハーレムの主になれる器ではないらしい。
もっとも、よく考えてみれば当然のことだ。
複数の女性と深い関係になれる器用さを持っていたなら、現代で生きていた頃に女性と付き合えていただろうし、童貞もとっくに捨てていたに違いない。
「まあ、無理にとは申しませんが、心には留めておいて下さい。
ところで……。この屋敷、なかなか良いですな。どなたからの紹介で?」
首を縦に振れずにいると、勘助さんは深いため息を漏らし、話題を唐突に変えた。
奥座敷をキョロキョロと見渡し、次に縁側の向こう側にある、月明かりに照らされた池付きの庭を眺め、最後に天井をじっと凝視していた。
「ああ、藤孝殿だ。もう随分前に、家が潰えてしまった幕臣が使っていたと聞く」
釣られて天井を見上げるが、何もない。
見えるのは太い梁と茅葺きの屋根裏だけだ。
この奥座敷は、厳密に言えば寝室・書斎・控室の四部屋でワンセット。
それぞれ襖で仕切られているが、天井は繋がった一部屋になっており、天井裏は存在しない。
これは、京の暑い夏と寒い冬を快適に過ごすための生活の工夫である。
襖と雨戸を開け切れば風通しが良くなって涼しくなり、一部屋を温めればその予熱が他の部屋にも伝わり、炭の節約ができるのだ。
「……ということは、幕府の管理下にあったわけですな?」
「だろうな。初めて来た時、生活に必要な細々としたものは揃える必要があったが、家や庭の手入れは行き届いていた」
「なら、使えますな」
「うん?」
だが、勘助さんは戦国時代を代表する軍師の一人。
きっと俺には見えない何かが見えているのだろう。
それを物語るかのように、勘助さんは酒をなみなみと手酌で注ぎ、一気に飲み干すと、鼻息をフンスと強く吹き出した。
「拙者、一時のお暇を頂いた後、まずは西国まで足を伸ばしましたが……。
前もって大殿から話を聞いていたにも、あの鉄砲という代物には驚かされました」
「扱いが難しく、狙い撃つのはさらに困難で、射程は弓より短い。
目が飛び出るほどの値が付けられているため、物珍しいだけの酔狂品として扱われていますが……。違う!」
「今は戦国の世……。その有用性に誰かが気づけば、そう遠くない未来に性能は向上する!
数を揃え、大殿が仰った戦法を用いれば、戦の在り方は根底から覆されます!」
そして、身をやや乗り出し、口早にまくし立てるように熱弁した。
「おお! 解ってくれたか!」
それに感化され、俺の目は自然と輝き、気がつけば両親指を立てたダブルサムズアップを勘助さんに突き出していた。
なにせ、武田家滅亡の大きな原因、織田家の台頭と鉄砲の脅威は、なかなか理解してもらえなかった。
軍師としての勘か、勘助さんは半信半疑ながらも納得してくれたが、信繁さんは半信半疑にも至っていない。
勘助さんが納得したから、信繁さんも納得したという感が強かった。
「今、南蛮人の渡来は次第に増えていると聞きます。
これは、日の本が交易に値すると、南蛮で認知された証です。
これから新たなものが日の本へ、続々と押し寄せてくるでしょう」
しかし、勘助さんがこうも変われば、信繁さんの俺を見る目も変わるだろう。
そうなれば、俺の『戦国美食化計画』はさらに加速する。
あれも、これも手が出せるようになるのだ。
「戦に役立つ鉄砲だけではありません。
日々の生活に根ざした身近なものまで。そう、ありとあらゆるものが……。」
今、挑戦しているのはラーメンだ。
麺の材料である小麦の入手は難しくない。
これまで何度も試行錯誤を繰り返しているが、どうしてもラーメンの麺が作れない。
出来上がるのは、うどんばかり。
ラーメン独特のあの黄みと食感を出すための何かが、決定的に欠けているとしか思えない。
「その時、日の本は変わります。
当然、その変化はこの都から始まるでしょう。
しかし、甲斐や信濃は遠すぎる。どう足掻いても、乗り遅れてしまいます」
「なるほど……。確かにその通りだ」
だが、ここは千年の都。
勘助の言う通り、流行の発信地でもある。
足を少し伸ばせば、日本最大の商業港『堺』も存在する。
今、今井宗久がラーメンの本場である大陸の者を交易のために呼んでいないかどうか、あるいはラーメンを作れる者がいないかを探している真っ最中だ。
ただし、タイムリミットは京都を離れるその日まで。
現在、滞在は二ヶ月が過ぎ、残すはあと四ヶ月ほど。その後、どうするかが最近の悩みだった。
「ですから、そうした新たな波に乗り遅れないためにも、この都に武田の拠点を作るべきだと考えていました」
「そして、この屋敷はその拠点に申し分ありません。
大きさも手頃で、京の東に位置するのも良い。
万が一の際は裏山へ逃げ、煙に巻いて甲斐へ戻ることも容易です」
「それに、何と言っても幕府の管理下にあったのが良い。
これだけでも、ここを探ろうとする者に対する抑止力となり得ます」
しかし、その悩みは一気に解決した。
諏訪へ帰った後は、この屋敷を通して、今の日本にはない食材やレシピを諏訪へ送ってもらえばよいのだ。
俺は胡座をかいた両膝を両手で叩き、勘助さんの提案に喝采を送る。
「うむ、その言や良し! 思うがままに進めるが良い!
早速、儂はこの屋敷を正式に譲ってもらうため、明日にでも義輝様と藤孝殿の二人に申し込んでこよう!」
将来への期待に胸が膨らむ。
二度と食べられないと考えていた未来のメニューの数々を思い出し、涎が口の中に湧いて溢れてきた。




