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再就職は武田信玄! ~ 御旗楯無も御笑覧あれ ~  作者: 浦賀やまみち
林の章

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第26話 藪を抜け、秘宝を求めて




「義輝様、頭を低く! 

 ここからは、こうです! 腹這いで!」

「お、おう……。」



 岩清水祭の一件を境に、周囲の態度は一変した。


 その最も顕著な例が義輝様である。

 毎朝、藤孝殿が二条城への迎えのために屋敷へやって来るようになり、それまでは決して口にしなかった景虎に関する話題を、振ってくるようになった。


 しかも、それだけでは飽き足らず、どこへ行くにも俺を連れ立たせようとする。

 何らかの理由で断れば、断ったことが心底心苦しくなるほど、義輝様は落胆する。


 今、俺は義輝様がかつて都落ちの際に逃れた『朽木』を、大晦日の前々日から訪れているのだが、この状況もまた大変だった。



「いいですか? 気付かれたら終わりです。

 儂が岩なら、義輝様は木。気配を殺して、自然と一体になってください」

「お、おう……。」



 事の発端は、一か月ほど前。

 義輝様と碁を打っていた時のことだ。


 現代にいた頃はまったく興味がなかったが、影武者になるための必修科目として覚えた碁である。

 もちろん、幼少の頃から教養の一環として碁を仕込まれてきた義輝様に、勝てるはずもない。


 勝負というよりは、指導といったほうが適切か。

 その時も腕を組みながら次の一手をじっくり考えていると、義輝様が不意に手を打ち鳴らし、こう提案してきた。



『そうだ。大晦日と正月を朽木で過ごさないか?

 随分と世話になった者がいてな。ぜひ紹介したいのだ。

 そうそう、お前の好きな温泉もあるぞ?』



 俺は即答で断った。

 京の北に位置する朽木はさほど遠くないが、今は冬。京都へ一日で戻ってくるのは厳しかったからだ。



『申し訳ありません。初詣三昧の予定ですので……。

 せっかく京に来ているのですから、これは譲れません』



 神道に深い関心を持つ者として、正月の初詣は義務に等しい。

 京には名だたる神社が多数あり、正月に京を離れるなど、もってのほかだった。



『信玄様の尊王精神には、頭が下がる思いです。

 そういえば、河内の枚岡神社には、もう行かれましたか?』



 義輝様はやはりひどく落胆した。

 その場に同席していた藤孝殿が取りなしてくれ、俺が次の一手を打つと同時に、朽木行きの話は立ち消えとなり、記憶の底へ沈んで消えてしまうはずだった。


 ところが、五日前になって、急に朽木行きの話が浮上した。

 信君を筆頭とする護衛たちが忙しなく旅支度をしているのを不思議に思い、その理由を知って驚愕した。



『えっ!? ……朽木に?

 んんっ!? ああ、そんな話もあったが……。あれは断ったはずだぞ?』



 なんと俺の知らないところで、朽木行きが決定していたのだ。


 どうやら事情聴取の結果、義輝様は俺の説得が無理だと悟り、俺の知らないところで桃や信君といった外堀を少しずつ埋めていたらしい。

 俺が知らなかったのも、まさに義輝様の策に他ならない。


 二週間ほど前、義輝様の奥方二人が桃を誘い、三人は足利家の別荘がある嵐山へ二泊三日の小旅行に出かけた。

 その際、桃はこう言い含められたようだ。



『武田様はお忙しい方ですから、こちらで準備を済ませておきましょう。

 そして、当日になったら驚かせるんです。きっと大喜びなさいますよ?』


『お正月を迎えると、都はうんざりするほど騒がしくなります。

 武田様ほどの方ですと、初詣をゆっくり楽しむ余裕があるかといえば……無理でしょうね』



 正直なところ、桃が小旅行に誘われたとき、俺は妙だと感じていた。


 俺と義輝様が同行者に含まれていれば理解できる。


 だが、参加者は桃と義輝様の奥方二人だけ。

 小旅行が初めての顔合わせとなるのに、面識のない相手を旅行に誘うだろうかと、疑問に思った。



「ほら、あの茂みです。あれを抜ければ……。」



 しかし、俺は桃に女友達を作ってあげたかった。

 岩清水祭の一件の影響もあってか、京都での桃の知己は、俺の機嫌を損ねまいとする義務的な関係ばかりだった。


 だから、不審感をすぐに捨てた。

 たまには女だけで楽しんでこいと、桃を笑顔で送り出してしまった。



「な、なあ……。こ、こんな場所、いつ見つけたんだ?

 こ、この屋敷を子供の頃から幾度となく利用している俺でさえ……。」



 その結果が今だ。


 陰謀が明るみに出たとき、朽木行きの中止を宣言したが、男は女の涙に勝てないというのは本当だった。

 桃が顔を両手で覆い、声を押し殺して泣き、何度も何度も謝る様を目の当たりにしては、白旗をあっさりと上げるほか、手立てはなかった。



「いけませんな……。そこに秘宝がある。

 ならば、恥も外聞も捨て、そこへ突き進む。それが男というものです」



 それゆえ、俺が今、自然と一体になっているのは慰めであり、当然の権利だ。

 俺が望んだ女の友情が、桃と義輝様の奥方二人の間にしっかりと結ばれているのを、この目で確認しなくてはならない。


 そのためなら、藪が肌をチクチクと刺そうと、湿気を含んだ土が顔や手足を汚そうと、ただ前に突き進むほかない。



「……そ、そうか?

 いやいや、駄目だろ! やって良いことと悪いことがある!」



 唯一の誤算は、危険な旅路へ出発するにあたり、義輝様に見つかってしまったことか。


 覚悟を決めた以上、退くなど以ての外。

 同行を許したが、そのうるささが命取りになると、義輝様はどうして分からないのか。



「しっ! 静かに!」

「お、おう……。」



 やはり、同行を許すべきではなかった。

 小さな後悔を抱きながら、最後の藪をゆっくり、音を立てぬように掻き分けると、熱気の壁が顔を焼いた。



「はわーーー……。良いお湯ぅ~~……。」

「やっぱり、ここの温泉は良いわね」

「湯上がりは肌がつるつるになりますしね」



 少し見下ろす角度、目標まで約五メートル。

 湯気をほかほかと上らせる白い濁り湯の岩風呂に、三つの肌色。そこには、桃源郷が広がっていた。




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