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再就職は武田信玄! ~ 御旗楯無も御笑覧あれ ~  作者: 浦賀やまみち
林の章

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第24話 盃を交わす夜




「よく儂が京に来ているとわかったな」



 御所の東にある仮住まい。

 屋敷の裏手にそびえる裏山の木々は、すっかり葉を落とし、枝だけの寂しい姿を晒していた。


 そんな今日、懐かしい顔が訪ねてきた。



「ご謙遜を……。今や、この畿内で大殿の名を知らぬ者などおりませぬよ」



 影武者の養成を終えると、諸国見聞のために武田家を離れていた勘助さんである。


 忙しい日々を送っているのだろう。

 無精髭と呼ぶには長すぎる顎髭は、もみあげとつながりかけており、以前にも増してワイルドな印象を漂わせていた。


 なにはともあれ、久しぶりの再会に、まずは一献。

 つい先ほど陽が沈み、酒を酌み交わすにはちょうど良い時間でもあった。


 お互い、素顔をさらせたらこれ以上の喜びはないが、ここは諏訪の屋敷の奥書斎ではない。

 障子に目あり、壁に耳ありと自戒しつつ、少なからずの寂しさを感じながらも、今はお互い主従の役に徹していた。



「むっ!? ……あの一件か」

「はい、岩清水祭での出来事です」



 だが、刹那の瞬間、行灯の淡い明かりが揺れる中で、勘助さんが素顔を覗かせた。

 鋭い眼差しに射抜かれ、思わず身体がビクッと震える。



「まあ、そのぉ……。ついカッとなってな。やはり、まずかったか?」



 呷りかけていた盃を下ろし、必死に頭を働かせるが、うまい言い訳は浮かばなかった。


 岩清水祭で、俺と三好長慶が揉めた出来事は、瞬く間に噂となって広まった。

 すでに一か月以上が経っているにも関わらず、人々の口々に話題となり、信長から先日届いた手紙によれば、その噂は尾張にまで届いているらしい。



「いや、逆ですな。大殿、京に来て、感じませんでしたか?」

「ん? 何がだ?」



 あの時、三好長慶は軽い気持ちで桃を要求したに違いない。


 戦国時代における女性の社会的地位は、現代と比べれば圧倒的に低かった。

 家の利害のために結婚や離婚を強いられるのは普通で、女性の意見は夫が首を縦に振らなければ通らない一方、夫の意見は必ず受け入れねばならなかった。


 ましてや、桃の身分は愛妾であり、正室ではない。

 実家も北信濃ではそれなりに名の知れた一族だが、副王とまで影で称される事実上の天下人とは比べものにならなかった。



「畿内の者たちは、東国を田舎者や野蛮人と蔑む傾向が強いと」

「ああ、なるほど……。確かにあるな」



 ならば、桃を差し出し、それを奇貨とする方が断然有利だ。


 桃の実家は文句を言ってくるだろうが、最終的には押し黙るほかない。

 それが戦国時代に生きる者たちの足し算、引き算である。


 さらに付け加えれば、三好長慶としては、俺がどう応えても問題はなかった。


 俺が受け入れれば儲けもの。

 受け入れなくても、俺が返答に窮したという評判が三好長慶の株を上げる。


 どちらに転んでも、俺を権威の下に置くことができ、損はない。



「大きな声では言えませんが……。

 北条が関東管領を退けれも許されているのは、それが理由です」

「では、西国はどうなのだ?」



 評判を聞く限り、三好長慶は非常に慎重な男だ。

 当時はその場の思い付きで発言したように思えたが、実際には練りに練られた策だったに違いない。


 しかし、現代の感覚を持つ俺は、三好長慶が想像すらしていなかった第三の選択肢を選んだ。


 見事なくらいにプッチーンと切れてしまった。

 全身がずぶ濡れの冷たさに震えながら我を取り戻すと、背中を羽交い締めにされ、両手両足を掴まれていた。

 総勢五名に拘束され、目の前にいたはずの三好長慶の姿は、どこにもなかった。



「三好家以前に、大友家が勢威を誇っていたこともありますが……。

 瀬戸内が道を近づけ、古来は大宰府も置かれていたせいか、東国ほどではありません」

「むぅ……。それは悔しいな」



 翌日、二条城への登城命令が届いた。

 義輝様は深いため息をつきながら、『本当に大変だったんだぞ?』と前置きしてから、顛末を語り始めた。


 どうやら、いきなり俺が雄叫びをあげ、三好長慶を殴りつけ、その勢いのまま馬乗りになったらしい。

 顔を何度も、何度もボコボコに殴ったという。


 起床したときには赤く腫れ上がり、痛みを訴える湿布巻きの両手を見て察してはいた。

 だが、生まれてから一度も人を殴ったことがなかっただけに、驚くほかはなかった。



「大殿がおっしゃった通り、南蛮の船も次々と入ってきています。

 文化の面で言えば、今は畿内よりも九州の方が栄えていると言えるでしょう」



 それともう一つ、驚いたことがあった。


 俺の意思とは関係なく与えられ、義務感と女性への好奇心から始まった桃との関係。

 それが今では、事実上の天下人を殴ってでも奪われたくないものに変わっていると、思い知らされた。


 その夜、寝室でそれを桃に告げると、彼女は涙を流しながら情熱的に俺を求めてきた。


 当然、朝までハッスル。

 翌日も、そのまた翌日も、桃とハッスル、ハッスルの連続。


 五日目の朝には、護衛のため隣の部屋で寝起きしている寝不足気味の信君から、『声を少し抑えてくれ』と苦情を訴えられる始末だった。



「やはりか……。宗教の面ではどうだ?」

「……危ういですね。

 九州では『キリシタン』が流行にまでなっています。

 畿内まで及べば、既存のものと争いが生じる可能性は高いです」



 あの場には公家たちもいたため、騒ぎは武家社会だけでなく、公家社会にまで及んだ。


 畏れ多くも帝から参内せよとの勅使が届いたときには、もう生きた心地がしなかった。

 御簾の前で平伏するまで、念仏のように『信繁さん、ごめんなさい。勘助さん、ごめんなさい』と、何度も何度も唱えていたほどだ。



「……とはいえ、信仰心は止められない」

「はい、九州では大名ですら『キリシタン』になっています」



 しかし、意外なことにお咎めは一切なかった。


 岩清水祭で騒ぎを起こした件自体はやんわりと窘められた。

 だが、帝の本題は、事の一部始終を俺本人の口から聞くことにあり、時折上品な笑い声すら漏らして上機嫌だった。


 その上、正四位下『刑部卿』の官位まで賜った。

 刑部とは裁判と刑罰を司る役職で、現代に言えば最高裁判所長官のようなもの。


 つまり、司法トップの地位を与えることで、帝自らが無罪放免の太鼓判を押してくれたのである。



「上手く棲み分けができれば良いんだが……。」

「……無理でしょうな。

 仏教ですら宗派が幾つも分かれ、今では武力をもって争っているのですから」



 そうとなれば、もう何も怖くはない。

 俺は三好長慶の顔色を気にするのをやめた。


 どのみち、春を迎えれば京都を離れる身。諏訪へ戻れば、二度と会うこともない。


 しかも三好長慶は、あと数年で黄泉路に旅立つ。

 その後、三好家はあれよあれよと衰退の一途を辿ることを、俺は歴史で知っている。


 すると途端、明らかに周囲の態度が好意的になった。

 口に出して言う者は一人もいないが、どうやら三好長慶の専横を面白く思っていない者は少なくないらしい。



「まあ……。今、そこを考えるのも無駄か」

「……ですな。将来への課題としましょう」



 さて、肝心の三好長慶だが、岩清水祭の件でさぞバツが悪かったのだろう。

 三好長慶がこう言った、ああ言ったと文句を人づてに聞いても、本人は俺の前に現れず、遠目にもしばらく姿を見かけなかった。


 やがて、俺の知らぬうちに本拠地の岸和田城へ帰ったそうだ。めでたし、めでたしである。


 しかし、それでも思う。もう少し上手くやれなかったのか、と。


 それこそが、先ほど勘助の眼差しに怯んだ理由だった。

 影武者失格と判断された時には即座に首を差し出すと約束していたのだから。


 しかし、杞憂のようで、ひとまず安心した。

 確かに先ほどの眼差しには嗜めが含まれていただろうが、盃と言葉を交わす勘助の表情は上機嫌だった。



「当面の問題として……。一つ、提案があります」

「んっ!? 何だ?」



 俺は笑顔で酒瓶を傾け、勘助の盃に新たな一杯を注いだ。




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