表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
再就職は武田信玄! ~ 御旗楯無も御笑覧あれ ~  作者: 浦賀やまみち
林の章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/68

第23話 宴の毒




「やあやあ、貴殿らはいつも仲が良いな。どれ、私の酌も受けてはくれぬか?」

「無論です。喜んで頂きましょう」



 俺はそう口では応じたものの、内心では舌打ちしたい気分だった。


 山城に隣接する摂津を中心に、丹波、和泉、阿波、淡路、讃岐、播磨の七カ国にまで勢力を広げる、まさに現時点での戦国乱世の覇者。

 あとは官位さえ得れば盤石と言われ、影では『副王』とまで称される、野心を隠そうともしない男『三好長慶』である。


 応仁の乱を発端に続くこの戦国の世。

 武家の棟梁たる征夷大将軍は都を追われることしばしばで、当代の義輝様も例外ではない。

 今こそ京都へ返り咲いてはいるが、その義輝様を都落ちへと追いやった張本人こそ、他ならぬ三好長慶だ。



「はい、三好様に酌をして頂けるとは光栄です」

「それで? 何を話していたのだ?」



 そう、義輝様が全国の大名に上洛を求めている裏には、この男の存在がある。

 三好長慶は表向きこそ義輝様を支える姿勢を見せているが、気に入らぬものには容赦がない。


 その背後には、圧倒的な武力がある。


 何事も三好長慶の承諾を得ねば動かないのが今の京都である。

 山城周辺の大名は言うまでもなく、室町幕府の重臣でさえ、長慶の機嫌を損ねぬよう、その顔色を伺わずにはいられない。



「ええ、その……。シチューの件でして」

「はい。信玄様が今井殿に自慢されたそうで、どうしても一度味わってみたい、と」



 ところが、その三好長慶は、晴信という男にだけは並々ならぬ警戒を抱いていた。


 武田家と三好家を比べれば、所領の広さこそ互角といってよい。

 だが、そこに住まう人口も、米の石高も、金の収入も、あらゆる点で三好家のほうが圧倒的に勝っている。それにもかかわらず、である。



「しちゅー? ……ああ、あれか。

 ふん、あんなもの大した代物ではないぞ。私はあの独特の臭みがどうにも好かん」



 どうやら晴信の知名度は、俺が思っていた以上らしい。


 過去、三度に渡る川中島の合戦。

 景虎との北信濃の奪い合いはとりわけ有名で、庶民ですら大半がその名を知っているほどだ。

 武家や公家の間では言うまでもなく、なんと帝でさえ謁見すれば、晴信を指して『あの』と呼ぶほどだった。



「確かに、南蛮渡りの香草が使われておりますゆえ、好みは分かれましょうね」

「ほう、藤孝殿は詳しいのだな。

 だが、これは知っているか? あの汁には、牛が使われているのだぞ?」



 御所と二条城を日々行き来していると、それを否応なく実感する。


 歩いている最中、妙な視線を浴びることが多々あり、周囲をちらりと窺えば、こちらを見ながら数人がヒソヒソと何やら密談中。

 そして、俺と目が合った途端、井戸端会議をしていた彼らは慌てて四方に散っていく。


 最初は、ただの物珍しさゆえだと思っていた。


 しかし、一向に収まる気配が無い。

 そこで、それとなく彼らを探ってみた結果、実に馬鹿馬鹿しくも、下らない事実が判明したのである。



「……らしいですね。私も後になってから知りまして」

「では、武田殿は今知ったわけだ。

 つまり、もう口にはできない、ということになるのか」



 俺たち一行が京に屋敷を借りたのは、あくまで旅の都合にすぎない。

 桜が咲く頃には甲斐へ戻ると公言もしている。


 だが、彼らはまるで別の意味に受け取っていた。


 近い将来、俺と手を結び、義信が大軍を率いて上洛する時に備えているに違いない。

 その下準備として、数年にわたる長期滞在を目論んでいる、と。


 まったく、勝手なことを言いやがる。



「はてさて……。それは、どういう意味でしょうか?」

「牛など口にするとは……。帝への反逆だぞ?

 それとも何か? 武田殿には、その覚悟でもあるのか?」



 その勝手な思い込みの筆頭が、目の前の男、三好長慶である。

 俺が京へ到着したその日、長慶は讃岐の城にいたらしいが、何を焦ったのか、翌日の夕刻にはもう京にいた。


 初対面の時から、口を開けば嫌味をねちねち、ちくちくと吐き散らすばかり。

 『自分に取って代わろうとしているに違いない』と疑心暗鬼になり、勝手に敵愾心を募らせてゆくのだから、堪ったものではない。



「ま、まあまあ! きょ、今日は祝いの日ですぞ!

 お、御二人とも、まだ酒が進んでおらぬようで……。わ、私の酌をどうぞ!」



 それでも、俺は耐えた。

 どれほど嫌味を浴びせられようとも、笑顔で聞き流した。


 時には鼻息が荒くなるほど腹の底が煮え立ったこともあったが、そこは必死に押し殺した。

 『これが、権力を持った者が患うという難病か……。』と自分に言い聞かせ、歯を食いしばって堪え続けた。



「おい、注ぎすぎだ」

「おっとっと!」



 事実、俺以外の相手に対しても、三好長慶は常に疑心暗鬼に晒されているのだろう。

 『副王』などと影で称されてはいながら、俺が彼に抱いた第一印象は『病人』だった。


 頬はこけ、骨ばった輪郭が目立つ。

 目の下には深いクマが刻まれ、顔色はいつも冴えなかった。


 とても七カ国を治める覇者とは思えない。

 そこまでして権力にすがりついて、果たして日々は楽しいのかと、思わず首をかしげてしまう。


 その点、たまに厄介な難題が降ってくることはあれど、基本的には気楽に過ごせる影武者という身分は、やはり最高だと言わざるを得ない。



「ところで、武田殿は先ほどまで女を連れておったな。あれは奥方か?

 甲斐は京から遠く、山中に在ると聞くが、なかなかの美人。京の女にも負けておらぬな」

「あれは側仕えで、北信濃の者にございます」



 今日も、聞き流していれば問題はない。

 顎先をわずかに動かして頷き、不安げな眼差しを揺らす藤孝殿に、安心しろと合図を送る。


 せっかくの祭りを、最後の最後で台無しにするわけにはいかない。

 賑やかさは変わらぬままだが、皆の視線が少しずつこちらに集まり始めているのを感じ、心の中で何度も『平常心、平常心』と唱える。



「ほう……。では、どうであろう?

 今も申したが、あれほどの美人は京にもなかなかおらん。私にくれぬか?」



 しかし、三好長慶が頬をニンマリと吊り上げ、下卑た笑みを浮かべたその瞬間。


 俺の頭は真っ白に染まった。

 藤孝殿が息を飲み、賑やかだった場が一瞬にして静まり返る。



「み、三好様! う、宴の席とはいえ、冗談が過ぎます!」

「冗談などではない。側仕えなら問題はあるまい。

 まあ、どうしても惜しいと言うのなら……。一夜だけでも構わんぞ?」



 間近で、獣の雄叫びが轟いた。

 ありったけの怒りを込めたその叫びは、慟哭のようにも聞こえ、ふと俺は、家族を目の前で喪ったあの日の自分を思い出した。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ