8.陽介、飲食店で働く
森を抜けてさらに数日歩いたころ、陽介は、これまでの村とは規模の違う場所に辿り着いた。道幅が広く、荷物を積んだ馬車がゆっくり通っていく。土壁の家よりも大きな建物が立ち並び、村より少しだけ活気がある。けれど、街全体の雰囲気はどこか沈んでいて、人々の服も痩せた肩も、今までの村とそう変わらなかった。
陽介は門を抜け、道の端を歩きながら様子を伺った。人が多い場所は緊張したが、働ける場所があるなら、ここで生きていけるかもしれない。
大通りの先に飲食店だと分かる店が見えた。木の板に何か文字が彫られていて、料理の絵の描かれた模様が横に刻まれている。
陽介は中を覗いて、思い切って扉を押した。
中は人の声でいっぱいだった。旅人と思われる人たちが粗末な木の椅子に腰かけ、皿を前にして話し込んでいる。テーブルの上には硬そうなパンや薄いスープ、塩で焼かれた肉が小さく切られて置かれていた。陽介が戸口に立つと、カウンターの向こうにいた中年の女性が、怪訝そうに目を細めて陽介を見た。
陽介は胸に手を当て、喉がつまるような声で挨拶をした。
「……こんにちは。しごと……したい」
女性は陽介をじっと見て、次に陽介の服の汚れと、手についた小さな傷を一つひとつ眺めるように視線を滑らせた。そして、「皿、はこべる?」と短く言った。陽介はすぐに頷いた。
仕事は思っていたよりも単純だった。客の席に皿を運び、食べ終わった皿を下げる。こぼれたスープを拭き、空のカップを重ねて置く。陽介の動きは最初ぎこちなかったが、何度も繰り返すうち、段々と体が覚えていった。
客は旅人が大半だった。背中に大きな荷物を背負い、靴には砂がこびりついている。話す内容は早くて、陽介にはほとんど理解できなかった。
それでも、仕事をしていると、簡単な単語が前より聞き取れるようになってきた。
「これ、一つ」
「すこし、安くして」
「もう、ないのか?」
「ありがとう」
客はまず“お金を払ってから”食事を受け取るらしく、値段についての会話が多かった。
ときどき、陽介が理解しきれない単語で、値下げを要求されることもあったが、店主の女性、春花は慣れた様子で対処していた。
陽介はといえば、ただ皿を運んで受け取るだけで精一杯だった。
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ある日の夕方。
陽介が皿をまとめていると、店の戸が勢いよく開いた。風をまとって現れたのは、この街ではあまり見ない、体格の良い若い男だった。肩幅が広く、胸板は服越しでも分かるほど厚い。腰には短剣のようなものが下がり、旅人というより護衛や兵士のように見えた。
春花がその男を見ると、少しだけ丁寧な口調で言った。
「……青林さん、一人?」
「ひとりだ」
たったそれだけで、店の空気がわずかに緊張を帯びた。
陽介は皿を運びながら横目でその男を見た。青林と呼ばれたその人は、旅人とも村人とも違う、どこか場を制するような雰囲気を持っていた。しばらく迷った末、陽介は思い切って春花に尋ねた。
「……あの人、何する……人?」
春花は陽介の言葉を理解するまで数秒かかり、「あぁ」と短く声を漏らした。
「ようま……倒す人」
陽介は初めて聞く単語に疑問を持った。
「……ようま?」
「そう。人をおそって、食べてしまうの。怖いの。……ようま」
春花は包丁を置き、指で“異形”を表すような形を作った。
一瞬だけ呼吸を止めた。陽介は喉が強く締まった。あの日の残像が、頭の奥で濁った色をしたまま蘇った。ネズミの顔、蛇の胴、ライオンの尾。血に濡れた口元。異様に膨れた体。小山の叫び声。そして──小山の叫び声。
陽介は無意識に拳を握りしめ、動けないまま立ち尽くした。春花は陽介の指先が震えているのに気づいたのか、そっと声を落とした。
「……ごめんね。ヨウスケ、こわい。わかる」
陽介は小さく首を横に振り、皿を運ぶために足を動かそうとした。だが、胸の奥が波のように揺れ、杓文字を持つ手がわずかに震えた。
青林は何も言わず食事を済ませ、静かに去っていった。陽介は青林の大きな背中を見送りながら、“ようま”という単語と、小山の最後の姿が頭の中で重なり続けた。
仕事は少しずつ慣れていった。毎日聞いているうちに、短い文なら理解できるようになった。
「持ってきて」
「少し待って」
「次、こっち」
聞き返すことも減り、客の表情から意味を読み取ることも増えた。ただ、細い客ばかりの店内で、陽介は時々ふと胸が締める瞬間があった。
──小山は、もっと細かった。
忙しく働きながらも、その思いは消えなかった。ふとした拍子に、小山の優しい笑顔がどうしても浮かんでしまう。その度に、息が浅くなった。それでも陽介は、皿を置く手を止めなかった。




