5.
小山と過ごすようになってから、二十日ほど経った。森に行き、草を摘み、煮物を分け合い、短い単語を繰り返す毎日。陽介は少しずつ言葉を覚え、「おはよう」「いく? もり?」「そこ、ちがう」そういった短い文なら、もう問題なく会話できるようになっていた。
覚えるたびに、小山がふわっと笑う。その笑顔を見ると、陽介は自然と胸が軽くなった。
──だが、村だけは違った。
二十日も経つのに、陽介と小山を避けるように距離をとる村人が多かった。誰も直接何かを言ってくるわけではないが、村を通るたび、空気が冷たくなったように感じる。小山が挨拶しても返す人は少なく、陽介と一緒にいるときは特にその視線が強かった。
最初は環境のせいだと思っていた。“そういう村なのだろう” と。しかし日が経つにつれ、陽介の中で別の考えが膨らんでいった。
──俺のせいか?
──俺がいるから、小山に冷たいのか?
小山は“気にしない”様子だったが、気にしていないように“見えるだけ”に思えてきた。いつもと同じふんわり笑う表情が、逆に胸の奥をざわつかせた。
ある日の朝、陽介はとうとう耐えきれず、小山に聞いた。
「……おれの、せい?」
小山は理解できないようだった。それで、陽介は説明した。
「むら、ひと、小山、つめたい。おれ、来たから」
小山は驚いたように目を瞬かせた。
「ちがう。ヨウスケ、ちがう。ぜんぜん、ない」
「でも……でも、小山、みんなに……」
陽介は脳裏で使える単語を探しながら、そのまま勢いで続けてしまった。
「俺が来てから、村の人、小山に……冷たい。だから……俺のせい!」
小山は首を振り、「ちがう、ちがう」と繰り返した。息が少し荒くなっている。
「わかんないよ……! なぜ、そんなに……」
陽介は声を押し殺しながら続けた。小山は短い単語で説明しようとした。普段より少し長い文を使って、丁寧に伝えようとしている。
「ちがう。むら……いろいろ。ヨウスケ、せいじゃない。……むかし、から。むら……こう」
陽介は眉を寄せた。小山の様な優しく、我慢強く、良い人を村人が嫌う理由を思い浮かべれなかった。
「“いろいろ”って何? “むかしから”って……何?」
小山は言葉に詰まり、息を整えようとして数秒黙った。理解してほしい気持ちは伝わるのに、単語が足りない。
「むら、ヨウスケ……こわい、じゃない。……べつ。べつ、の……こと」
陽介の胸に、説明できない苛立ちにも似た不安が残った。
「……わからない。なぜ、小山、いいひと、さやしい……」
言い終えた瞬間、小山の肩が小さく震えた。陽介は自分の声が強くなっていたことに気づき、息を呑んで黙った。それ以上は言えなかった。小山はゆっくり目を伏せ、しかし怒った様子はなく、ただ静かに「だいじょうぶ」とだけ言った。
それが余計につらかった。
その日から、二人の間には少しだけぎこちない空気が流れた。小山はいつも通りであるはずなのに、陽介自身が気まずさを引きずってしまい、話す言葉が少し硬くなった。しかし小山は変わらなかった。
ふんわり笑い、いつもの調子で「これ」「そこ、ちがう」と言い、陽介が失敗すれば笑って見せた。その優しさが、陽介の胸をさらに締めつけた。
──俺が離れたほうが、小山は楽なんじゃないか。
そう思うようになったのは、その数日後のことだった。
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静かな昼下がり。外で草を選り分けているとき、村の方から微かな悲鳴のような声が聞こえた。陽介は顔を上げた。
「……今の、声?」
小山も同じ方向を向き、急に表情が変わった。普段は滅多に見せない“焦り”が、そこにあった。
次の瞬間、小山は陽介の腕を掴んだ。
「いく! いく! にげる!」
強い声だった。普段の小山からは想像できないほど、力が入っていた。
『えっ、なんで──?』
陽介が混乱している間に、小山は森の奥へ向かう道を指した。しかしすぐに小山の歩みが遅くなった。二十日の間で気づいていた。小山は体力がない。
森へ入ってもすぐにふらつき、顔色が悪いこともしばしばあった。
「小山、せおう、おれ、はしる──」
陽介が手を伸ばすと、小山は強く首を振った。
「にげる! にげる! きた! はしる! にげる! きた、きた!」
意味は分からない。けれど“逃げろ”と“北へ”だけは明確に伝わった。
「わかった、でも──」
陽介が言い切る前に、森の方とは逆、村の方から、重く湿った足音のような気配が迫ってきた。
陽介が振り返った。そこにいたのは──
異形だった。
ネズミのような細長い顔に、蛇のようにくねる胴体。尻尾だけはライオンのように太く、草を押し分けながら揺れている。その口の周りは真っ赤に濡れていて、体の中央が大きく膨らんでいた。
その膨らみは、人の輪郭をしていた。
陽介は息を呑み、足が地面に縫い付けられたように動かなくなった。
異形の獣──化け物
ゆっくりと視線を陽介に向ける。呼吸が止まり、胸がつぶれそうになり、全身が冷えていく。そのとき。
「ヨウスケ!!」
小山の大声が森に響いた。陽介の体がはじかれたように動き、息が戻る。小山は陽介に背を向け、妖魔の前に立ちはだかった。そして、陽介には聞き取れない言葉を叫んだ。
「%$%%!!」
その瞬間、妖魔の視線が小山へ向いた。
小山は地面を蹴り、道を外れて森の外へ走り出した。足は遅く、体は細い。それでも必死に、ただ一方向へ逃げた。
陽介は背筋が凍るような恐怖の中で、ようやく体を反転させ、走り出した。理由も分からず、状況も理解できないまま、ただ──恐怖だけが背中を押していた。




