2.
週末の夜、陽介は駅の改札を抜け、居酒屋へ向かって歩き出した。夜7時、駅前は通り過ぎる人の声や靴音で賑やかだった。歩道にはカップルや友達同士の若者グループ、居酒屋やカフェから出てきた人たちが行き交い、時折自転車が通り過ぎる。陽介は鞄の重みを肩に感じながら、人混みを縫うように歩いた。街灯に照らされた舗道や建物の輪郭を見ながら、週末の雑踏の中にいる感覚が、逆に落ち着きを与えていた。
居酒屋に着くと、店の中は既に賑やかだった。木のテーブルに並ぶジョッキや小皿、湯気の立つ料理、乾いた食器のぶつかる音、笑い声が混ざり合う。陽介は奥の席に腰を下ろした。声は出さず、動作や反応で輪に加わる。手元のグラスを軽く傾け、水面がゆらぐのを確認し、口元には小さく笑みを作った。
『陽介、こっちこっち!』
隣から声が飛ぶ。陽介は小さく頷き、グラスを少し上げて応える。隣の友人が笑いながら話す間、陽介は箸を持ち直し、料理を軽くつまんだ。
テーブルの話題は授業、アルバイト、趣味など多岐にわたる。陽介は自分から話題を振らず、必要なときだけ小さく相槌を打つ。視線は友人の顔や箸先に向け、わずかに笑みを作る。
「昨日のアルバイト、また新人がミスしてさ」
「えー、どうしたの?」
「レジでパニック起こしてたんだよ」
趣味の話題になると、陽介はジョッキを軽く回し、目線を友人に向けて「俺もそれ、観たことある」と小さな声で言った。笑いながら話すほどではないが、口元は柔らかく、手の動きや視線も会話に沿っている。座ったままでも、輪に溶け込みつつ、自分の趣味をさりげなく出す。
『マジで?あのシーン、俺も好きだわ』
『え、陽介も?』
『うん、思い出す度に笑える』
隣の友人が話しかけると、陽介は目を合わせ、短く返事を返した。声は小さいが、口元にかすかな笑みが乗る。陽介は箸を軽く置き、グラスを手に取り、笑顔を返す。
飲み会が終わりに近づくと、陽介は立ち上がり、グラスを元の位置に戻す。箸を置き、隣の友人に軽く会釈した。
『そろそろ帰るね。明日もバイトあるし』
声は小さめだが、柔らかく響き、笑みが自然に伝わる。友人たちは「お疲れ!」と返し、陽介は人混みの中へ静かに歩き出す。店を出ると、夜の街にはまだ人が多く、通りにはカップルや友人グループ、帰宅途中の人たちの話し声が響いた。自転車のベルや車のクラクションも混ざり、日常の騒音が街を包む。陽介は歩道の感触を確かめ、鞄の重みを意識しながら足を進めた。
角を曲がった先で、世界は突然変わった。
街の音が、一瞬で消えた。自転車のベルも、遠くの会話も、車のエンジン音も、全て消え、空気の流れもなくなった。風の感覚が消え、街灯の光も建物の輪郭も、足元の感触も失われたように静まり返る。目を上げると、夜空の一部が塗りつぶされたように黒く消えていた。月も星も、街灯の光も、建物の光も、全てない。
陽介は立ち止まり、足元を確かめる。鞄の重みはわずかに感じるが、地面の感触がつかめず、息を吸おうとしても空気の流れがない。全身に力が入らず、喉がつまったように動かず、視線だけが空に固定された。
『……な、何だ……?』
声を出すが、返ってくる音はない。自分の声すら、耳に届かない。視界に入るのは漆黒の空だけ。手足の感覚も薄れ、心拍だけが耳の奥で響くように感じられる。
陽介は鞄を握り直そうとするが、腕が重く、力が抜けていく。足がすくみ、立っていることすら難しい。目の前の光景は理解を超えており、頭が混乱して何も考えられなくなる。恐怖が体を支配し、呼吸が浅くなる。
立ち尽くしたまま、世界は静寂だけに包まれた。次の瞬間、陽介の意識は途切れ、暗闇の中へ落ちていった。




