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影獣の王  作者: Kinoko
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1.陽介の日常

 朝の街はまだ静かだった。陽介は徒歩でバイト先の飲食店に向かう。通い慣れた道で、角を曲がると見慣れた店の看板が目に入る。高校の時からお世話になっている中華料理店だ。孤児院を出た後も、この店の近くに部屋を借りて、昼間は働き、夜は大学に通う生活を続けている。


 歩くたびに舗道の石や街路樹が目に入り、昨日と同じ景色に安心する。店の前を通る小学生や通勤の人々の足音も、まだ少なく、朝の空気はひんやりとしている。自分にとっては日常の風景で、安心できる場所だ。


 店に着くと、厨房にはもう朝の仕込みが少しずつ始まっている。まな板や鍋、フライパンが並ぶ作業台の間には、食材の段ボールや袋が散らばり、空間が妙に物寂しい。包丁で野菜を切る音や、鍋がコンロに置かれる音が、小さく響く。


 店長はホールの確認をしながら、新人スタッフ田中に仕込みの一部を任せている。陽介は手早くエプロンを締め、今日の作業に取り掛かる。高校時代は笑顔で接客していた自分も、今では包丁を握り、鍋を扱う。仕事の手順は増えたが、動作は体に染みついていて、無駄なく動ける様になった。


 遅めの昼休み。陽介は外に出て、賄を取り出して食べる。通りを行き交う人々の笑い声、自転車のベル、車のクラクション――雑多な音が、厨房の喧騒とは違う柔らかさで耳に届く。陽介は深呼吸をして肩の力を抜くと、ふと空を見上げる。白い雲がゆっくり流れているだけだ。


 通りを歩く学生や家族連れ、楽しそうに話す声。自分もいつかあの輪に入れるだろうか。ーー夜は大学に通い昼は仕事している自分に、自由な時間はそんなにない。友人たちとカフェで笑う時間も、趣味を楽しむ余裕も少ない。


 楽しそうに過ごす他の人の姿を見て、わずかに侘しさが波打つ。陽介はご飯を口にかき込んだ。変わらない日常の中で、ほんの少しだけ、自分が取り残されている気がした。


 陽介は箸を軽く握り、ゆっくり息を吐く。周囲の声は心地よく、空は穏やかだ。それでも、自分の心の奥は、静かにざわついていた。


 午後のシフトも無難にこなし、大学へ向かう。教室の前で、集まっている友人たちの輪に自然に入る。

『ねえ、今度飲み会あるんだけど、来る?』

『陽介も来るでしょ?』

 陽介は軽く頷き、笑顔を作って返す。声は明るく、自然に聞こえた。


――けれど、誘いに対して心のどこかで迷いがあった。学校も遅く、昼間はバイトもある。行けば楽しいかもしれない。でも、行かなくても誰も困らない。


 友人たちが輪を作って教室の扉を開き入っていく、陽介は少し遅れて教室に入る。みんなの話し声に混じる自分の笑い声は、ほんのわずかで、すぐに周囲の声に埋もれていく。


 教室の照明に照らされた自分の影を見ながら、陽介は一歩一歩、他の人たちの輪から距離を置いて歩いた。笑いながら話していても、どこか一歩引いた位置にいる自分を、陽介は意識せずにはいられなかった。


 帰り道、街灯に照らされる夜の歩道を歩く。遠くで笑い声や自転車のベルが聞こえる。手にした鞄の重みを確かめながら、陽介は思う。


『今日も無事一日が終わった』

 口には出さず、ただ足を進める。夜の空気が冷たく、体温に触れるだけの静けさの中、陽介はゆっくりと深呼吸した。


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