プロローグ
白い石で組まれた王宮は、朝の光を受けてもなお冷たかった。
高く連なる柱と回廊は、人のためというより、秩序そのものを形にしたようだ。
王宮の廊下は騒然としていた。護衛たちの慌ただしい足音、侍女たちのざわめき、侍臣の声——しかし、そのすべてが遠く、かすかな響きに変わった。耳に残るのは、床を踏みしめる規則正しい足音だけ。高い天井と長い廊下は、人の声を遠ざけ、足音だけを残す。
この奥にあるものが、国の未来を映すなどと、誰が本気で信じられるだろう。
その部屋は、特に静かだった。そこは王宮の景色から一角して異様だった。部屋の壁はざらつく石でできており、ところどころに湿り気が光を反射していた。一定間隔に灯がともり、闇を切り裂くように淡く輝く。鼻をかすめるのは、冷たくもあり、どこか爽やかな香り、この場所には馴染まない、違和感のある匂い。空間はどっしりと落ち着いており、壁と天井の距離もほどよく、視界の端まで石の肌が続いている。
ここは人が住む場所ではない。秩序と決まりのために造られた石の箱だ。扉を閉めると、外の気配が完全に断たれる。灯りは最小限。最奥に置かれたものだけが、ぼんやりと白く浮かび上がっている。
それは、水晶だった。
けれど透明ではない。中は透けず、曇りでもなく、ただ白い。説明できなくても、水晶だと分かってしまう白さだった。その表面に、赤い線が刻まれている。
管理を任されている男は、いつものように水晶に近づいた。確認し、記録に残す。それだけが日課であり、役目だった。しかし、目にしたのは想定外の光景だった。赤い線が、二つに重なっている。
男は息を呑み、体を硬直させる。手は止まり、視線は水晶に釘付けだ。光は静かに揺れるだけだが、異様な緊張感が部屋を満たす。これまで何度も見てきた水晶は、決して嘘をつかない。目の前の二重の線は、秩序に反している証だった。
心臓が早鐘のように打ち、指先が微かに震える。呼吸が詰まり、体の動きが鈍る。男は水晶から目をそらせず、ただ重なった線を見つめ続けた。外の世界は遮断され、灯りだけが淡く揺れている。部屋に漂う冷たい香りが、異界であることを改めて告げる。
長い沈黙の末、男はやっと視線を伏せた。記録を閉じる。手が震える。
隠さなければ
──国も、人も、信じるものも、すべてが秩序によって守られてきた。しかし、今、目の前の赤い線は、それを揺るがしている。今まで、一度もこれが二重になった事がないのだから。




