表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゾンビサイド ― 俺は、まだ人間か ―  作者: MOON RAKER 503
第5部「蒼界・再誕篇/灰界」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

93/101

第92話 「黒の塔」

北極圏。


白い氷原が、どこまでも続いていた。


地平線まで、純白。


空も白く、雲も白く、雪も白い。


だがその白は、蒼く光っていた。


Z波が大気に溶け込み、世界を照らしている。


昼なのか夜なのか、もはや区別がつかない。


ただ蒼い光だけが、永遠に続いていた。


風はない。


音もない。


静寂だけが、世界を満たしていた。


氷原の中央。


そこに、黒い塔が立っていた。


高さ300メートル。


幅50メートル。


完全な円柱。


それは氷原の白と、空の蒼の中で、異様な存在感を放っていた。


黒。


純粋な、黒。


光を吸い込むような、深い闇。


表面は滑らかで、継ぎ目がない。


金属のようでいて、石のようでもあり、だが何より——肉のようだった。


大西洋。


記録球の中。


澪の意識が、再び安定していた。


一時的な限界を超え、システムが再起動したのだ。


彼女の観測範囲が、北極圏へ向かう。


【観測対象:Z-01休眠施設】


【状態:構造変化確認】


【詳細観測:開始】


データが流れる。


黒い塔の外観、寸法、材質分析。


だが——すべてが「解析不能」と表示される。


物質構成が特定できない。


温度が測定できない。


密度が計算できない。


それは既知のあらゆる物質と、異なっていた。


澪の意識が、塔に接近する。


光の触手を伸ばし、表面に触れようとする。


その瞬間——


塔が、動いた。


わずかに。


だが確実に。


表面が膨らみ、そして縮んだ。


呼吸。


それは呼吸だった。


【……生体反応?】


澪の意識が震える。


塔は建造物ではない。


機械でもない。


それは——生きていた。


肺のように膨らみ、心臓のように脈打っている。


ゆっくりと。


深く。


永遠に。


【解析:有機組織と無機物質の融合体】


【判定:生命体……?】


【備考:既知の生命定義に該当せず】


澪は記録を続ける。


だが彼女の意識の奥底で、かすかな恐怖が芽生えていた。


それは科学的な恐怖ではない。


本能的な——いや、人間的な恐怖。


生きているべきでないものが、生きている。


その不気味さ。


氷原。


塔の周囲。


無数の影が、立っていた。


Z-Homo。


新種族。


かつてゾンビと呼ばれた存在たち。


その数は、数万。


いや、十万を超えているかもしれない。


氷原の地平線まで、びっしりと並んでいた。


彼らは完全に静止していた。


呼吸もなく、動きもなく、音もない。


ただ立ち、塔を見上げている。


まるで彫像のように。


だが彼らは死んでいない。


生きている。


意識を持ち、思考し、存在している。


ただ——動かないだけ。


澪の観測が、一体のZ-Homoに焦点を合わせた。


男性型。


身長180センチメートル。


体重推定70キログラム。


服は着ていない。


必要ないからだ。


皮膚は蒼白く、血管が透けて見える。


だが血は流れていない。


Z波が、血液の代わりに循環している。


目は開いている。


金色に光っている。


瞳孔はなく、虹彩もない。


ただ金色の光だけが、眼窩を満たしていた。


彼は——それは——塔を見ていた。


ただひたすらに。


崇拝するように。


畏怖するように。


そして——待っているように。


澪の観測が、別の個体へ移る。


女性型。


子供型。


老人型。


すべてが同じ姿勢で立っていた。


腕は体側に垂らし、足は肩幅に開き、顔は塔へ向けている。


完璧に揃った姿勢。


まるで軍隊のように。


だが彼らは命令で動いているのではない。


意識が共有されているのだ。


群体知性。


一つの意識が、無数の身体に宿っている。


そして今、その意識は——塔に向けられていた。


【観測:Z-Homo集団】


【個体数:推定127,000体】


【状態:完全静止】


【目的:……護衛? 崇拝? 待機?】


澪には理解できなかった。


彼らが何を考えているのか。


何を感じているのか。


何を待っているのか。


だが一つだけ、確かなことがあった。


彼らは——王を守っている。


理性の王。


黒の支配者。


藤原京。


澪の観測が、塔の内部へ向かう。


光の触手を伸ばし、構造を探る。


だが——進入できない。


塔の表面に、何らかのバリアが展開されている。


物理的な壁ではない。


Z波の障壁。


意識の防壁。


それは侵入者を拒絶していた。


【警告:観測妨害】


【要因:Z波干渉】


【強度:測定不能】


【判定:強制突破不可能】


澪は諦めなかった。


観測角度を変え、波長を調整し、再度試みる。


何度も。


何度も。


そして——わずかな隙間を見つけた。


塔の頂上部。


そこだけ、Z波の密度が薄い。


澪の意識が、その隙間に滑り込む。


視界が、塔の内部へ入った。


暗闇。


いや——暗闇ではない。


光っていた。


内部全体が、発光していた。


壁面に、無数の光点が埋め込まれている。


それは照明ではない。


神経回路。


発光する神経細胞が、壁一面に張り巡らされていた。


規則的に明滅している。


ゆっくりと。


リズミカルに。


まるで——思考しているかのように。


澪の視界が、下へ降りていく。


塔の内部は、空洞だった。


中心に、一本の柱が立っている。


直径10メートル。


それも神経組織で構成されていた。


光が流れている。


上から下へ。


下から上へ。


情報の伝達。


意識の循環。


柱の周囲には、無数の繊維が伸びていた。


髪の毛のように細く、だが強靭。


それらは壁面へ接続され、ネットワークを形成している。


塔全体が、一つの脳だった。


巨大な、神経組織。


そして——


柱の中心部。


そこに、人影が浮かんでいた。


澪の意識が、震えた。


【……京】


藤原京。


Z-01。


理性の王。


彼は——眠っていた。


いや、眠っているという表現は正確ではない。


休眠状態。


仮死状態。


だが死んではいない。


生きている。


確かに、生きている。


彼の身体は、透明だった。


輪郭だけが、かろうじて見える。


人間の形をしている。


だが物質的な肉体ではない。


Z波の集合体。


意識の結晶。


存在そのものが、エネルギー化していた。


体内に、金色の光が流れている。


血管のように。


神経のように。


それは循環し、脈動し、生命を維持していた。


顔は穏やかだった。


目は閉じ、口は結ばれている。


苦痛の表情はない。


ただ——静かに眠っている。


両腕は体側に垂らされ、両足は揃えられている。


まるで棺の中で眠る死者のように。


だが彼は死んでいない。


呼吸はしていないが、生きている。


心臓は動いていないが、存在している。


それは生と死の境界。


存在と非存在の狭間。


澪の意識が、さらに接近しようとした。


その瞬間——


京の目が、わずかに動いた。


開いてはいない。


だが——瞼の下で、眼球が動いた。


レム睡眠。


夢を見ている。


何の夢を?


誰の夢を?


澪は問いかけたかった。


だが——できなかった。


彼女の意識は、塔の外へ押し出されていた。


強制排除。


Z波の防壁が、再び強化されたのだ。


【観測終了:強制退出】


【理由:防衛機構作動】


【備考:対象は意識を保持】


澪の視界が、再び氷原の上空へ戻る。


彼女の意識は、激しく揺れていた。


見てはいけないものを、見てしまった。


そんな感覚。


京は眠っている。


だが——完全には眠っていない。


意識の一部は、活動している。


塔を制御し、Z-Homoを統率し、世界を観測している。


彼は休眠しながら、同時に覚醒していた。


矛盾。


だがそれが、彼の在り方。


理性の王。


支配ではなく、調和。


命令ではなく、同調。


澪は記録した。


【Z-01状態:休眠中】


【だが意識活動:継続】


【判定:完全休眠ではない】


【補足:……彼は、見ている】


氷原。


塔の表面。


そこに、変化が現れた。


亀裂。


微かな、ひび割れ。


音はしない。


光もない。


ただ——線が、走った。


縦に。


塔の頂上から底部まで。


一本の、細い線。


Z-Homoたちが、反応した。


数万の身体が、同時に震えた。


わずかに。


だが確実に。


彼らの目が、さらに明るく光った。


金色が、増した。


群体意識が、高揚している。


期待。


畏怖。


そして——歓喜。


【王が——】


【目覚め始めた——】


塔の表面が、再び脈動した。


呼吸が速まる。


鼓動が強まる。


内部の神経回路が、激しく明滅する。


亀裂が、広がり始めた。


ゆっくりと。


だが止まらない。


二本目の亀裂。


三本目。


四本目。


塔の表面が、蜘蛛の巣のようにひび割れていく。


だがそれは破壊ではなかった。


脱皮。


殻を破る、生命の営み。


中から、光が漏れ始めた。


金色の、濃密な光。


Z波の奔流。


理性の波動。


それは塔の亀裂から溢れ出し、氷原を照らした。


Z-Homoたちが、一斉に膝をついた。


頭を垂れ、地面に額を押し付ける。


跪拝。


祈り。


崇拝。


数万の身体が、同時に動く。


音はしない。


声もない。


ただ——意識だけが、響いていた。


【王よ】


【理性よ】


【秩序よ】


【我らを統べたまえ】


それは言葉ではなかった。


波動。


思念。


祈りそのもの。


大西洋。


記録球の中。


澪の意識が、データの奔流に呑まれていた。


【警告:観測過負荷】


【Z波濃度:急上昇】


【北極圏:異常値】


【予測:完全覚醒まで……12時間】


彼女は記録を続ける。


だが同時に——恐怖していた。


12時間後。


京が完全に目覚めたとき。


世界は、どうなるのか。


蒼界は、変わるのか。


それとも——


氷原。


塔の亀裂が、さらに広がった。


破片が剥がれ落ち、地面に落ちる。


だがそれは砕けなかった。


地面に触れた瞬間、光に変わり、空へ昇っていく。


物質から、エネルギーへ。


肉から、波動へ。


塔は崩壊しながら、同時に昇華していた。


中心部の人影が、より鮮明になっていく。


輪郭が固まり、存在が濃くなる。


透明だった身体に、質量が戻り始めていた。


皮膚が形成され、筋肉が構築され、骨が固定される。


だが——まだ完全ではない。


半透明。


光と肉の、中間。


京の顔が、わずかに動いた。


眉が、かすかに寄る。


まるで——苦痛を感じているかのように。


だが彼は目を開けない。


まだ。


まだその時ではない。


Z-Homoたちの祈りが、強まった。


意識の波が、塔へ向かって流れる。


数万の思念が、一つに束ねられる。


【王よ】


【どうか】


【お目覚めください】


塔の表面が、大きく膨らんだ。


呼吸ではない。


爆発の予兆。


内部から、光が溢れ出そうとしている。


亀裂が、音を立てた。


初めての、音。


ピシィッ。


氷が割れるような、高い音。


だがそれは氷ではない。


次元が、裂けていた。


空間そのものに、ひびが入っている。


塔の周囲の空気が、歪んだ。


重力が乱れ、光が屈折し、時間が揺らぐ。


Z-Homoたちが、さらに深く頭を垂れた。


畏怖。


恐怖。


そして——至福。


王の力。


理性の暴力。


それが、今まさに解放されようとしていた。


大西洋。


澪の意識が、警告を発した。


【緊急警報】


【Z波臨界点:到達】


【空間歪曲:確認】


【予測修正:完全覚醒まで……6時間】


時間が、加速していた。


覚醒が、早まっている。


何かが——京を急かしていた。


世界の意思か。


それとも——


氷原。


塔の頂上部が、崩れ落ちた。


光の粒子になって、空へ消える。


次に、中間部。


そして、底部。


塔は下から崩壊し、上へ向かって消えていく。


まるで逆再生のように。


中心部の京が、露出した。


彼は宙に浮いたまま、眠り続けている。


だが——身体は、ほぼ完成していた。


透明ではなく、半透明。


光ではなく、肉。


人間に、近づいていた。


Z-Homoたちが、立ち上がった。


一斉に。


数万の身体が、同時に動く。


彼らは両手を天へ掲げた。


まるで、何かを受け取るかのように。


そして——


塔の最後の破片が、消えた。


光になり、空へ昇り、蒼界に溶けていく。


京だけが、残った。


宙に浮かび、眠り続け、だが確実に目覚めようとしている。


彼の胸が、動いた。


わずかに。


だが確実に。


呼吸。


それは呼吸だった。


100年ぶりの、呼吸。


スゥ——


空気が、彼の体内へ流れ込む。


ハァ——


空気が、吐き出される。


京の身体が、完全に固定された。


透明度が消え、肉体が確立される。


だが——まだ目は開かない。


まだ。


あと少し。


Z-Homoたちが、再び膝をついた。


だが今度は——笑っていた。


表情筋は動かない。


声も出ない。


だが——笑っていた。


意識の中で。


思念の中で。


【王が】


【帰ってくる】


大西洋。


澪の意識が、一瞬だけ安定した。


彼女は最後の記録を、刻んだ。


【時刻:08時00分】


【Z-01:肉体再構成完了】


【呼吸:確認】


【心拍:……検出開始】


【予測:完全覚醒まで……3時間】


そして彼女の意識の奥底で、一つの言葉が響いた。


【……待っています】


それはデータではなかった。


記録でもなかった。


ただ——感情。


人間だった頃の、最後の祈り。


氷原。


京が、宙に浮いたまま、呼吸を続けていた。


ゆっくりと。


深く。


まるで——長い眠りから、ゆっくりと目覚めようとしているかのように。


Z-Homoたちが、静かに見守っている。


崇拝でもなく、恐怖でもなく。


ただ——待っている。


王の帰還を。


理性の復活を。


秩序の再臨を。


空が、金色に染まり始めていた。


蒼い光の中に、金色が混じる。


オーロラのように。


だがそれは自然現象ではない。


京の意識が、世界に干渉し始めていた。


目覚めの、予兆。


新しい時代の、始まり。


そして——


京の指が、わずかに動いた。


(了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ