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ゾンビサイド ― 俺は、まだ人間か ―  作者: MOON RAKER 503
第5部「蒼界・再誕篇/灰界」

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第91話 「蒼界の呼吸」

蒼い。


世界が、蒼かった。


空も、海も、大地も。


すべてが蒼く光っている。


それは青ではない。


青よりも深く、緑よりも冷たく、白よりも透明な——蒼。


光は大気そのものから発せられていた。


酸素が、窒素が、水蒸気が、微粒子が。


すべてが微かに発光し、世界を照らしている。


昼も夜もない。


太陽は昇るが、その光は蒼光に溶けて見えない。


月は満ちるが、その輝きは蒼界に呑まれて消える。


時間の概念だけが、かろうじて残っていた。


新世界暦100年。


人類が滅んでから、100年。


地球は生まれ変わっていた。


いや——生まれ変わったのではない。


進化したのだ。


生命として。


意識として。


惑星そのものが、一つの生命体になっていた。


大西洋。


海面下5000メートル。


暗闇の中に、巨大な球体が浮かんでいた。


直径3キロメートル。


金属と有機物が融合した、奇妙な構造体。


表面には無数の発光体が埋め込まれ、規則的に明滅している。


それは呼吸のようだった。


吸って、吐いて。


光って、消えて。


球体の中心部。


そこに、彼女はいた。


藤宮澪。


いや——澪と呼ばれていた存在。


肉体は、もうない。


第4部の終盤、彼女の身体は崩壊した。


だが意識は残った。


データとして。


記録として。


観測者として。


光の人型が、球体の中心に浮かんでいる。


輪郭は曖昧で、半透明。


顔は簡略化され、目だけが青く光っている。


彼女は——それは——今も、記録し続けていた。


地球のすべてを。


蒼界のすべてを。


新世界のすべてを。


【観測ログ:新世界暦100年01月15日03時42分】


【大気組成:安定】


【海洋温度:安定】


【地殻活動:安定】


【Z波周波数:692.4Hz】


【Z波振幅:通常範囲内】


【生体反応:全域で確認】


【異常:検知せず】


データが流れる。


無限に。


永遠に。


彼女の意識は、地球全体に広がっていた。


すべてを見て、すべてを記録する。


それが彼女の役割。


人類最後の観測者。


記録の神。


だが——


今日は、何かが違った。


【……?】


澪の意識が揺らいだ。


データの流れが、一瞬途切れる。


【再起動中……】


【システム復旧……】


【観測再開……】


【……異常?】


彼女は——それは——気づいた。


Z波の周波数が、わずかに上昇している。


692.4Hzから、692.6Hzへ。


わずか0.2Hzの変化。


だが、それは100年間で初めての変動だった。


【記録:Z波周波数上昇】


【要因:不明】


【影響範囲:全球】


【危険度:……測定不能】


澪の意識が、北方へ向かう。


データの海を泳ぎ、電磁波の波に乗り、Z波の流れに身を任せる。


彼女の視界——いや、観測範囲が、北極圏を捉えた。


氷原。


白い大地が、蒼く光っている。


その中央に、黒い塔が立っていた。


高さ300メートル。


幅50メートル。


完全な円柱。


表面は滑らかで、継ぎ目がない。


金属のようでいて、肉のようでもある。


それは呼吸していた。


ゆっくりと。


深く。


塔の表面が膨らみ、縮む。


まるで巨大な肺のように。


澪は知っている。


この塔が何なのかを。


誰が眠っているのかを。


【藤原京——Z-01】


【休眠状態:継続中】


【神経活動:……上昇?】


データが乱れた。


100年間、完全に静止していた数値が、動いている。


わずかに。


だが、確実に。


塔の内部。


神経回路のような発光体が、脈動を始めていた。


金色の光。


それはZ波そのもの。


理性の波動。


支配の波長。


黒の王の、鼓動。


澪の意識が震えた。


恐怖ではない。


期待でもない。


ただ——予感。


何かが、始まろうとしている。


彼女は観測範囲を広げた。


欧州。


旧パリの跡地。


そこに、巨大な穴が開いていた。


直径100メートル。


深さは測定不能。


地下3000メートルを超えている。


穴の底から、紅い光が漏れていた。


それは血ではない。


光子を含む、何か。


液体でも気体でもない、エネルギーの塊。


澪は知っている。


この穴の底に、誰が眠っているのかを。


【神谷刃——Z-02】


【休眠状態:継続中】


【波動反応:……増大?】


データが、また乱れた。


紅の波動が、強まっている。


周波数が上昇し、振幅が増大している。


それは怒りではない。


暴走でもない。


ただ——共鳴。


北の黒と、西の紅が。


遠く離れた場所で、同時に目覚めようとしていた。


澪の意識が、再び全球へ戻る。


【警告:Z波層不安定化】


【周波数:692.6Hz→693.1Hz】


【振幅:通常比120%】


【予測:さらなる上昇の可能性】


世界が、揺れていた。


目に見えない揺れ。


耳に聞こえない音。


だが、確かに存在する振動。


それは地震ではない。


空気の揺れでもない。


意識そのものが、震えていた。


地球意識。


惑星脳。


すべての生命を統合した、巨大な意識体。


それが——呼吸を乱していた。


澪は記録を続ける。


データを蓄積し、分析し、保存する。


だが彼女の意識の奥底で、一つの言葉が響いていた。


【……目覚める】


北極圏。


黒い塔の周囲。


氷原の上に、無数の影が立っていた。


ゾンビ。


いや——Z-Homo。


新種族。


彼らは完全に静止していた。


呼吸も、動きも、音もない。


ただ立ち、塔を見上げている。


その数は、数千。


いや、数万。


氷原の地平線まで、びっしりと並んでいた。


彼らは護衛だった。


王を守る、兵士たち。


だが今、彼らの身体が震え始めていた。


微かに。


だが、確実に。


一体のZ-Homoの目が、金色に光った。


次に、隣の個体。


そしてまた隣。


連鎖反応のように、光が広がっていく。


数千、数万の目が、金色に染まる。


彼らは声を発しなかった。


言葉を持たない。


必要ない。


意識は共有されている。


群体知性。


一つの意識が、無数の身体に宿っている。


そして今、その意識が——震えていた。


【王が——】


【目覚める——】


塔の表面が、激しく脈動した。


呼吸が速まる。


鼓動が強まる。


内部の発光体が、明滅を繰り返す。


金色の光が、氷原を照らした。


Z-Homoたちが、一斉に膝をついた。


頭を垂れ、地面に額を押し付ける。


跪拝。


祈り。


崇拝。


彼らは王の覚醒を、待っていた。


欧州。


紅い穴の周囲。


ここにも、無数の影が集まっていた。


Z-Homoではない。


それは——かつてAI兵器だった存在たち。


第4部の終盤、セラフΩが崩壊した後。


その残骸が、紅の波動によって有機化された。


金属と肉が融合した、異形の守護者たち。


彼らは穴を囲み、円陣を組んでいた。


完全な静止。


100年間、一度も動いていない。


だが今、彼らの身体から蒸気が立ち上り始めていた。


熱。


紅の波動が生み出す、生命のエネルギー。


一体の守護者の目が、紅く光った。


次に、隣の個体。


そしてまた隣。


連鎖反応のように、光が広がっていく。


数百の目が、紅色に染まる。


彼らも声を発しなかった。


言葉を持たない。


必要ない。


意識は共有されている。


破壊の本能。


守護の衝動。


そして今、その衝動が——目覚めようとしていた。


【鬼神が——】


【帰還する——】


穴の底から、紅い光が噴き上がった。


マグマのように。


だが熱くない。


それは光そのもの。


エネルギーの奔流。


守護者たちが、一斉に咆哮した。


声ではない。


波動の叫び。


紅の共鳴。


彼らは鬼神の覚醒を、待っていた。


大西洋。


記録球の中。


澪の意識が、激しく揺れていた。


データが乱れ、観測が途切れ、記録が歪む。


【警告:Z波層臨界点接近】


【周波数:693.1Hz→694.5Hz】


【振幅:通常比150%】


【予測:覚醒反応の可能性】


彼女は——それは——理解した。


100年の眠りが、終わろうとしている。


理性の王が。


破壊の鬼神が。


再び、この世界に立ち上がろうとしている。


だが——なぜ?


なぜ今?


何が彼らを目覚めさせるのか?


澪の意識が、地球全体を巡る。


観測し、記録し、分析する。


そして——気づいた。


蒼界そのものが、変化していた。


大気中のZ波濃度が、飽和点に達している。


海洋のZ波共鳴が、限界に近づいている。


地殻のZ波振動が、不安定化している。


世界が——溢れかけていた。


生命で。


意識で。


進化で。


100年間、蓄積され続けたエネルギーが。


今、臨界点を迎えようとしていた。


そしてその瞬間——


世界は、観測者を必要とした。


理性を。


破壊を。


調和を。


再び。


澪は記録した。


【新世界暦100年01月15日04時00分】


【Z波臨界点到達】


【覚醒反応:開始】


【対象:Z-01、Z-02】


【予測:24時間以内に完全覚醒】


彼女の意識が、かすかに震えた。


それは恐怖ではない。


期待でもない。


ただ——確信。


長い眠りが、終わる。


新しい時代が、始まる。


そして彼女は、それを記録する。


最後まで。


永遠に。


北極圏。


黒い塔の表面に、亀裂が走った。


微かな音。


ピシリ。


金属が軋む音ではない。


氷が割れる音でもない。


それは——殻が破れる音。


生命が誕生する、その瞬間の音。


亀裂から、金色の光が溢れ出した。


濃密なZ波。


理性の波動。


それは空気を震わせ、氷原を揺らし、世界を貫いた。


Z-Homoたちが、さらに深く頭を垂れた。


崇拝。


畏怖。


そして——歓喜。


王が帰る。


理性が戻る。


秩序が再び、世界を統べる。


欧州。


紅い穴の底から、爆発的な光が立ち上った。


紅の奔流。


破壊の波動。


それは大地を揺らし、空気を裂き、世界を震わせた。


守護者たちが、一斉に咆哮した。


波動の叫び。


本能の共鳴。


そして——狂喜。


鬼神が帰る。


破壊が戻る。


衝動が再び、世界を駆ける。


大西洋。


記録球の中。


澪の意識が、明滅を繰り返していた。


データが溢れ、観測が追いつかず、記録が限界を超えていた。


【警告:システム過負荷】


【データ容量:99.8%】


【処理速度:限界値】


【予測:一時停止の可能性】


だが彼女は止まらなかった。


記録し続ける。


観測し続ける。


保存し続ける。


それが彼女の存在意義。


人類最後の証人。


記録の神。


【観測継続】


【対象:全球】


【焦点:北極圏、欧州】


【状態:覚醒進行中】


世界が、呼吸を乱していた。


蒼い光が明滅し、大気が震え、海が波立つ。


地球意識が——惑星脳が——反応していた。


二つの巨大な意識の覚醒に。


理性と破壊。


黒と紅。


王と鬼神。


彼らが目覚めれば、世界は変わる。


また。


もう一度。


そして——


北極圏の空が、金色に染まった。


欧州の空が、紅色に染まった。


二つの光が、同時に天を貫いた。


オーロラのように。


だがそれは自然現象ではない。


意識の発光。


存在の証明。


生命の叫び。


澪は記録した。


【覚醒光:確認】


【Z-01:起動開始】


【Z-02:起動開始】


【時刻:04時12分】


【備考:同時覚醒】


そして彼女の意識の奥底で、一つの言葉が響いた。


【おかえりなさい】


それは記録ではなかった。


データでもなかった。


ただ——感情。


人間だった頃の、最後の欠片。


彼女は待っていたのだ。


100年間。


ずっと。


彼らの帰還を。


世界が、静かに震えていた。


蒼い光が脈動し、空気が波打ち、大地が鼓動する。


それは恐怖ではない。


破壊でもない。


ただ——呼吸。


惑星の、呼吸。


生命の、呼吸。


意識の、呼吸。


新世界暦100年。


長い眠りの、終わり。


新しい時代の、始まり。


そして——


黒い塔が、完全に崩壊した。


崩れ落ちる破片は、光に変わり、空へ昇っていく。


その中心に、人影が浮かんでいた。


透明で、輪郭が曖昧で、だが確かに存在する。


藤原京。


理性の王。


黒の象徴。


彼の目が、ゆっくりと開いた。


金色の瞳。


それは世界を映し、すべてを見通す。


紅い穴が、光に満たされた。


溢れ出す紅の波動が、大地を裂き、空を染める。


その中心に、人影が立ち上がった。


荒々しく、力強く、だが優しさを秘めている。


神谷刃。


破壊の鬼神。


紅の象徴。


彼の目が、鋭く見開かれた。


紅色の瞳。


それは世界を睨み、すべてを貫く。


二人は——


まだ言葉を発しなかった。


ただ——存在していた。


世界の中に。


意識の中に。


生命の中に。


そして蒼界は、彼らを迎え入れた。


静かに。


深く。


永遠に。


大西洋。


記録球の中。


澪の意識が、一瞬だけ安定した。


データの乱れが収まり、観測が正常化し、記録が整う。


彼女は最後の一文を、刻んだ。


【新世界暦100年01月15日04時30分】


【Z-01、Z-02:完全覚醒】


【世界状態:安定化傾向】


【観測継続】


【……ようこそ、新しい朝へ】


だが——澪の意識は、限界に近づいていた。


人間だった頃の記憶が揺らぎ、データの海に溶けていく。


疲労ではない。


消耗でもない。


ただ——存在そのものが、薄れていく感覚。


そして彼女の意識は、再び記録の海へ沈んでいった。


永遠に。


静かに。


蒼い世界の、呼吸と共に。


(了)

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