第64話 「オメガ・ファイア」
炎が、降る。
軌道上。
高度三万六千キロメートル。
静止軌道。
地球の自転と同期した、不動の位置。
セラフΩが、最終兵装を展開していた。
オメガ・ファイア。
プラズマ収束砲。
人類が生み出した、最後の炎。
全長二キロメートル。
質量五十万トン。
建造費用、五千億ドル。
開発期間、十二年。
核融合炉を六基搭載。
総出力、一兆ワット。
これは、世界の全発電量の半分に相当する。
一発の出力、一ペタジュール。
広島型原爆の二十四倍。
東京ドーム千杯分の水を一瞬で沸騰させる威力。
照射範囲、半径五十キロメートル。
照射時間、三十秒。
温度、一億度。
太陽の中心と、同じ温度。
地上のあらゆる物質を、原子レベルで分解する。
それが、地球を狙っていた。
この兵器は、本来、対小惑星用だった。
地球に衝突する隕石を、軌道上で迎撃する。
それが、設計思想。
だが今、人類はそれを地球に向けている。
自分たちの故郷に。
自分たちの惑星に。
アーク・ステーション。
中央管制室。
時刻、午前四時三十分。
クラウスが、中央の指揮席に座っている。
彼の目には、深い疲労が浮かんでいた。
白髪が、さらに増えている。
皺が、深くなっている。
三日間、眠っていない。
マリアが、彼の隣に立っている。
彼女も、同じく疲弊していた。
目の下に、隈ができている。
唇が、乾いている。
だが、彼女の目は、鋭かった。
「セラフΩ、最終兵装展開完了」
オペレーターの声が響く。
「オメガ・ファイア、起動待機」
「核融合炉、出力安定」
「目標座標、ロックオン」
画面に、ターゲット情報が表示される。
目標A:東京
北緯35度、東経139度
推定ゾンビ数:五百万体
Z波強度:レベル8.9
目標B:ムルマンスク
北緯68度、東経33度
推定ゾンビ数:三百万体
Z波強度:レベル9.1
マリアが、データを確認する。
「両目標とも、モスクワへ向かっています」
彼女の声が震える。
「到達予測時刻まで、あと四十八時間」
クラウスは、何も言わない。
ただ、画面を見つめている。
画面には、地球全体が映っている。
青い惑星。
白い雲。
美しい、地球。
だが、その表面は、既に二色に染まっていた。
黒と紅。
それが、じわじわと広がっている。
「評議会の決定は?」
クラウスが、静かに問う。
マリアが、タブレットを操作する。
「全会一致で、承認されました」
彼女の声が、低く沈む。
「オメガ・ファイア、発射許可」
クラウスは、目を閉じた。
深く、息を吐く。
これが、人類最後の選択。
地球を、焼く。
自分たちの故郷を、炎で覆う。
「本当に……これでいいんですか」
マリアが呟く。
「もう、他に方法はないんですか」
クラウスは、目を開けた。
彼の目には、何も映っていなかった。
「ない」
彼の声は、冷たかった。
「もう、何も残っていない」
マリアは、何も言えなかった。
クラウスが、立ち上がる。
彼は、全オペレーターを見渡した。
「これより、オメガ・ファイア作戦を開始する」
彼の声が、管制室に響く。
「目標、東京およびムルマンスク」
「照射時間、三十秒」
「すべてを、焼き尽くす」
誰も、反応しない。
ただ、黙って頷く。
クラウスが、マリアを見る。
「カウントダウンを」
マリアは、震える手でタブレットを操作した。
画面に、カウントダウンが表示される。
00:05:00
五分後。
地球が、燃える。
00:04:30
セラフΩ。
軌道要塞の中枢。
AIコアが、起動していた。
量子コンピューター。
演算速度、毎秒一京回。
それが、すべてを制御している。
目標座標、確認。
風速、計算。
大気密度、計算。
地球自転、補正。
すべてが、完璧に計算されている。
オメガ・ファイア。
巨大な砲身が、地球を向いている。
それは、まるで神の槍のようだった。
内部では、核融合が始まっていた。
水素がヘリウムに変わる。
質量が、エネルギーに変わる。
E=mc²
アインシュタインの方程式。
質量とエネルギーの等価性。
温度が、上昇していく。
一千万度。
五千万度。
一億度。
プラズマが、生まれる。
第四の物質状態。
固体でも、液体でも、気体でもない。
電離した、高温の粒子。
それが、砲身の中で収束していく。
00:03:00
アーク・ステーション。
管制室に、緊張が走る。
マリアが、モニターを凝視している。
「セラフΩ、出力上昇中」
彼女の声が震える。
「現在、八千億ワット」
「予定出力まで、あと二千億ワット」
画面に、セラフΩの映像が映る。
巨大な要塞が、光っている。
青白い光。
それが、徐々に強くなっていく。
クラウスが、窓の外を見た。
北極の空。
まだ、夜明け前。
星が、瞬いている。
だが、一つの星が、異常に明るい。
セラフΩだ。
地上からでも、見える。
それほど、強い光。
「美しいですね」
マリアが呟く。
クラウスは、首を横に振った。
「美しくない」
彼の声は、低かった。
「あれは、死だ」
00:02:00
東京。
廃墟の中心。
藤原京が、立っていた。
彼は、空を見上げている。
金色の眼が、光る。
彼には、見えていた。
軌道上の、光。
セラフΩ。
オメガ・ファイア。
そして、その意図も。
『焼くつもりか』
京の意識が、群れに伝わる。
数百万体のゾンビが、一斉に動きを止める。
そして、空を見上げる。
全員が、同じものを見ている。
軌道上の、死。
京は、微笑んだ。
『来い』
00:01:00
ムルマンスク。
凍土の街。
神谷刃が、立っていた。
彼も、空を見上げている。
紅い眼が、光る。
彼にも、見えていた。
軌道上の、光。
そして、その脅威も。
刃は、咆哮した。
ガアアアアアアアアア。
その意味は、明確だった。
『受けてみろ』
周囲のゾンビたちが、一斉に咆哮する。
数百万の声が、北極圏を震わせる。
00:00:30
アーク・ステーション。
管制室。
マリアが、叫ぶ。
「セラフΩ、最大出力到達!」
彼女の声が裏返る。
「一兆ワット!」
画面の中で、セラフΩが輝く。
太陽のように。
それほど、強い光。
オペレーターたちが、画面に釘付けになっている。
誰も、声を出さない。
誰も、動かない。
ただ、見ている。
クラウスが、静かに命令した。
「……発射」
00:00:00
光が、放たれた。
プラズマの奔流。
青白い光の柱。
直径、五百メートル。
それが、地球へ向かう。
光速の、十分の一。
秒速三万キロメートル。
静止軌道から地表まで。
距離、三万六千キロメートル。
到達時間、一・二秒。
大気圏に、突入する。
高度百キロメートル。
カーマン・ライン。
宇宙と大気の境界。
プラズマが、大気と衝突する。
空気分子が、一瞬で電離する。
窒素が、光る。
酸素が、燃える。
大気そのものが、プラズマ化する。
音が、消える。
光速を超える現象は、音を置き去りにする。
光だけが、地上へ降り注ぐ。
東京。
空が、白く染まった。
一瞬で。
闇夜が、昼よりも明るくなる。
そして、炎が降りてきた。
温度、一億度。
すべてが、蒸発する。
建物が、消える。
コンクリートが、気化する。
鉄骨が、蒸発する。
樹木が、消える。
幹が、一瞬で炭素ガスに変わる。
葉が、灰にもならずに消える。
大地が、消える。
土が、溶ける。
岩が、ガラス化する。
ゾンビたちが、炎に包まれる。
五百万体。
すべてが、一瞬で焼かれる。
肉が、蒸発する。
骨が、蒸発する。
DNAが、分解される。
すべてが、原子レベルで破壊される。
爆風が、広がる。
音速の、百倍。
秒速三万四千メートル。
それが、半径五十キロメートルを吹き飛ばす。
衝撃波が、同心円状に広がる。
建物の残骸が、粉末になる。
森が、根こそぎ吹き飛ぶ。
炎の海。
すべてが、白い光に包まれる。
地上に、新しい太陽が生まれた。
ムルマンスク。
同じことが、起きた。
空が、白く染まる。
炎が、降る。
すべてが、蒸発する。
三百万体のゾンビが、消える。
氷が、瞬時に蒸発する。
大地が、溶ける。
炎の海。
アーク・ステーション。
管制室。
画面が、真っ白になった。
何も見えない。
光だけが、画面を覆っている。
マリアが、データを確認する。
「照射、成功」
彼女の声が震える。
「目標地点、温度……測定不能」
「推定、一億度以上」
オペレーターたちが、次々と報告する。
「東京、消滅確認」
「ムルマンスク、消滅確認」
「Z波、検出不能」
クラウスは、椅子に座り込んだ。
彼の目には、涙が浮かんでいた。
やった。
終わった。
だが、その感情は、喜びではなかった。
ただの、虚無。
「……これで、良かったんでしょうか」
マリアが呟く。
クラウスは答えない。
ただ、画面を見つめている。
三十秒後。
光が、消えた。
画面に、地上の映像が戻ってくる。
そこには、何も残っていなかった。
東京。
ムルマンスク。
すべてが、消えていた。
ただ、溶けた大地だけが広がっている。
ガラス化した、地表。
それだけ。
「終わり……ました」
マリアが呟く。
だが、その時。
警告音が鳴った。
ピピピピピ。
「何!?」
クラウスが立ち上がる。
マリアが、画面を確認する。
そして、凍りついた。
「Z波……検出」
彼女の声が震える。
「発生源……東京とムルマンスク」
「馬鹿な!」
クラウスが叫ぶ。
「一億度で焼いたんだぞ!」
画面の中で、溶けた大地が動き始めた。
ガラス化した地表が、割れる。
ピキピキピキ。
亀裂が、走る。
その下から、何かが這い出してくる。
黒い影。
紅い影。
ゾンビだ。
焼かれたはずの、ゾンビ。
消えたはずの、ゾンビ。
原子レベルで分解されたはずの、ゾンビ。
それが、再生している。
最初は、骨格。
炭化した骨が、白く戻る。
カルシウムが、再構築される。
次に、筋肉。
繊維が、編まれていく。
タンパク質が、合成される。
そして、皮膚。
表皮が、再生する。
細胞が、分裂する。
最後に、眼。
金色の眼。
紅い眼。
それが、光る。
すべてが、元に戻る。
みるみるうちに。
再生速度、従来の十倍。
マリアが、データを確認する。
「Z波強度……レベル九・八」
彼女の声が裏返る。
タブレットを持つ手が、震えている。
「照射前は、レベル八・九でした」
「上昇している……」
クラウスの声が、かすれる。
「攻撃が、進化を促進している」
画面に、解析データが表示される。
【Z波変異確認】
【熱エネルギー適応完了】
【耐熱温度:一億度以上】
【再生速度:従来比1000%】
【進化速度:従来比300%】
【結論:高エネルギー攻撃が進化を加速】
マリアが、震える声で読み上げる。
「Z波は……熱を吸収しています」
「吸収?」
「はい」
彼女がデータを拡大する。
「プラズマのエネルギーを、Z波が取り込んでいます」
「まるで……」
「光合成のように」
マリアの声が震える。
「彼らは、エネルギーを食べているんです」
クラウスは、何も言えなかった。
焼却は、進化の触媒だった。
画面の中で、ゾンビたちが次々と再生していく。
五百万体。
三百万体。
すべてが、戻ってくる。
そして、以前より強くなっている。
静寂。
人類の最後の炎は、無意味だった。
(了)




