第62話 「再起動する空」
空が、燃えている。
大気圏。
高度十万メートル。
気温マイナス五十度。
気圧、ほぼゼロ。
セラフΩの降下ユニットが、地球へ向かっていた。
三千機。
それぞれが全長五メートル。
質量三トン。
最高速度マッハ二十。
自律型戦闘機械。
型番:AW-7 “アークエンジェル”。
開発期間、七年。
一機あたりの製造コスト、五億ドル。
総投資額、一兆五千億ドル。
人類が生み出した、最後の天使。
機体表面は耐熱セラミック装甲。
融点、三千度。
内部には量子コンピューター。
演算速度、毎秒十兆回。
武装は三種類。
プラズマ砲。
レールガン。
マイクロミサイル。
一機で戦車十両を破壊できる火力。
一機で都市ひとつを制圧できる機動力。
一機で核シェルターを貫通できる貫通力。
それが三千機。
人類最後の暴力が、地球へ降り注ぐ。
だが、地上は静かだった。
アーク・ステーション、中央管制室。
六十基のモニターが、同時に映像を表示している。
各降下ユニットからの視点。
軌道要塞からの俯瞰映像。
地上観測衛星からのデータ。
すべてが、リアルタイムで送信されている。
マリアがモニターを凝視している。
彼女の手が、震えている。
タブレットを持つ手が、汗で滑りそうになる。
「降下ユニット、高度八万メートル」
彼女の声が震える。
「速度、マッハ十五」
「耐熱シールド、正常」
「目標到達まで、あと三分二十秒」
オペレーターたちが次々と報告する。
三十名。
全員が、画面に釘付けになっている。
誰も、感情を込めない。
ただ、数値を読み上げるだけ。
クラウスは、画面を見つめたまま動かない。
彼の目には、無数の光点が映っている。
それは、まるで流星群のようだった。
青白い光。
炎の尾。
美しい、破壊の軌跡。
「美しいですね」
マリアが呟く。
クラウスは、ゆっくりと首を横に振った。
「美しくなんかない」
彼の声は、低かった。
「これは、墓標だ」
「墓標……?」
「人類という種の、最後の墓標」
マリアは、何も言えなかった。
画面の中で、降下ユニットが軌跡を描く。
三千の光。
三千の死。
それが、地球へ向かっている。
高度七万メートル。
ここから、戦いが始まる。
モニターに、警告が表示された。
【Z波干渉検知】
【強度:レベル4】
【発生源:地上全域】
【干渉範囲:半径五千キロメートル】
警告音が鳴り響く。
ピピピピピ。
甲高い音が、管制室を満たす。
マリアの顔が青ざめる。
「Z波が……活性化しています」
「予想通りだ」
クラウスの声は、冷たかった。
「彼らは、待っていた」
「待っていた?」
「我々が、何をするのかを」
画面に、地球全体の波動マップが表示される。
黒い波。
紅い波。
緑の波。
青い波。
それらが、一斉に脈動し始めた。
まるで心臓の鼓動のように。
ドクン、ドクン、ドクン。
地球そのものが、呼吸している。
マリアが、タブレットを操作する。
「波動の周期……人間の心拍数と同じです」
「何ですって?」
「毎分七十回。人間の安静時心拍数」
彼女の声が裏返る。
「まるで……生きているみたいです」
クラウスは、静かに頷いた。
「生きているんだ」
彼の声に、諦めが滲む。
「地球は、もう彼らのものだ」
高度六万メートル。
最初の異変が起きた。
「降下ユニット第一五七番、通信途絶」
オペレーターの声。
「第二三四番、軌道逸脱」
「第四〇九番、推進システム異常」
「第五六二番、量子コンピューター暴走」
「第七八九番、自爆シーケンス起動」
次々と報告が入る。
モニターに、赤い警告が表示されていく。
一つ。
二つ。
五つ。
十。
増え続ける、赤い点。
マリアが慌ててデータを確認する。
「Z波による電磁干渉……量子シールドが機能していません」
「修復は?」
「不可能です。干渉が強すぎる」
彼女の手が震える。
「三年前の……三倍の強度です」
クラウスは、静かに頷いた。
「三年前と、同じだ」
彼の声に、諦めが滲む。
「いや……進化している」
「進化……」
「Z波は、学習するんだ」
高度五万メートル。
降下ユニットの十パーセントが、既に機能停止していた。
三百機。
総額一千五百億ドル。
それらは制御を失い、大気圏で燃え尽きていく。
だが、残りの二千七百機は、まだ飛んでいた。
画面に、地上の映像が映る。
東京だった場所。
北緯三十五度。
東経百三十九度。
かつて三千万人が住んでいた、巨大都市。
今は、森。
緑。
そして、群れ。
無数のゾンビが、空を見上げている。
推定、十万体。
全員が、同じ方向を向いている。
動かない。
叫ばない。
襲いかからない。
ただ、観測している。
「目標、視認」
オペレーターの声。
「東京上空に到達。降下ユニット五百機、展開完了」
「ニューヨーク、五百機展開」
「ロンドン、五百機展開」
「パリ、五百機展開」
「上海、五百機展開」
画面の中で、機械たちが編隊を組む。
それは、まるで鳥の群れのようだった。
だが、それは生命ではない。
死を運ぶ、機械の群れ。
クラウスが、静かに命令した。
「……攻撃開始」
その瞬間、空が光った。
プラズマ砲。
青白い光が、地上へ降り注ぐ。
温度、一万度。
範囲、半径五十メートル。
出力、一発あたり十ギガジュール。
それが、一斉に放たれる。
五百発。
森が、燃えた。
樹木が一瞬で蒸発する。
大地が溶ける。
空気が沸騰する。
轟音。
ゴオオオオオオオ。
爆発音が、空を震わせる。
マリアが、目を背けた。
「……これが、人類のすることですか」
彼女の声が震える。
「これが、私たちの選択ですか」
クラウスは答えない。
ただ、画面を見続けている。
だが、その目には、もう何も映っていなかった。
炎の中で、ゾンビたちが動いた。
逃げない。
叫ばない。
ただ、立ち上がる。
焼かれても。
溶かされても。
立ち上がる。
「目標、健在」
オペレーターの声が裏返る。
「プラズマ砲、効果なし」
「何ですって!?」
マリアが叫ぶ。
画面の中で、ゾンビたちが再生していた。
焼け爛れた皮膚が、みるみるうちに再生する。
溶けた肉体が、元に戻る。
炭化した骨が、修復される。
Z波が、彼らを修復していた。
再生速度、毎秒一センチメートル。
三十秒で、完全に元通り。
「第二射、準備」
オペレーターの声。
「レールガン、装填完了」
「目標、ロックオン」
降下ユニットが、再び攻撃態勢に入る。
今度は、物理攻撃。
超高速の鉄の弾丸。
初速マッハ七。
質量、一キログラム。
運動エネルギー、一発あたり五ギガジュール。
戦車の装甲を貫通する威力。
空気が裂ける音。
ドン、ドン、ドン、ドン、ドン。
無数の弾丸が、地上へ降り注ぐ。
ゾンビたちが、吹き飛ぶ。
頭が砕ける。
胴体が千切れる。
手足が飛び散る。
肉片が、宙を舞う。
だが、群れは動かない。
後方から、新しい個体が前進してくる。
無限に。
無尽蔵に。
まるで、波のように。
「目標数、増加中」
オペレーターの声が震える。
「現在、推定十五万体」
「さっきは十万だったのに……」
マリアが呟く。
「どこから湧いてくるんですか」
クラウスは、静かに立ち上がった。
「彼らは、学習している」
「学習?」
「プラズマの温度を。レールガンの速度を」
クラウスの声が、低く響く。
「我々の攻撃を、観測している」
「まさか……」
「実験だ」
クラウスの目が、暗く沈む。
「我々は、実験されている」
その時、画面が揺れた。
降下ユニット第一〇一番。
突然、墜落する。
「何が起きた!?」
マリアが叫ぶ。
画面に映ったのは、一体のゾンビだった。
紅い眼。
紅い波動。
機体に飛びついている。
「あれは……」
オペレーターが呟く。
そのゾンビは、素手で機体を引き裂いた。
チタン合金の装甲が、紙のように裂ける。
引き裂かれる音。
ギギギギギ。
内部の量子コンピューターが露出する。
そして、破壊される。
降下ユニットが、爆発した。
オレンジ色の炎。
黒い煙。
「第一〇一番、喪失」
オペレーターの声。
「第一〇二番、第一〇三番、同様に襲撃を受けています」
「第一〇四番、墜落」
「第一〇五番、撃墜」
画面の中で、次々と機体が墜落していく。
紅い影が、飛び回っている。
それは、まるで赤い稲妻のようだった。
「速い……」
マリアが呟く。
「あれは、何ですか」
クラウスは、静かに答えた。
「覚醒種だ」
彼の声に、恐怖が滲む。
「Z-02……神谷刃」
画面の中で、刃が跳躍する。
地上から、一気に。
高度、千メートル。
跳躍速度、時速五百キロメートル。
人間には、不可能な跳躍。
彼は、降下ユニットに飛びつく。
そして、引き裂く。
何の躊躇もなく。
何の感情もなく。
ただ、破壊する。
爆発。
炎。
落下。
次々と、機体が墜ちていく。
「喪失数、五十機」
オペレーターの声。
「七十機」
「百機」
「百五十機」
数字が、増え続ける。
マリアが、椅子に座り込んだ。
「……勝てない」
彼女の声が震える。
「こんなの、勝てるわけがない」
クラウスは、何も言わない。
ただ、画面を見つめている。
画面の中で、刃が動き続けている。
紅い光が、空を駆ける。
それは、まるで神話の怪物のようだった。
だが、それは神話ではない。
現実だ。
人類が生み出した、新しい生命。
いや、人類を超えた、新しい種族。
クラウスは、静かに命令した。
「……全機、撤退」
「しかし……」
「撤退だ」
彼の声は、冷たかった。
「これ以上は、無駄だ」
オペレーターたちが、操作を開始する。
降下ユニットが、一斉に上昇し始める。
残存機数、二千三百機。
喪失機数、七百機。
総額三千五百億ドルが、失われた。
だが、刃は追ってこなかった。
彼は、地上に降り立つ。
そして、空を見上げる。
紅い眼が、光る。
言葉はない。
音もない。
ただ、意識だけが伝わってくる。
『もう、終わりか』
管制室が、静まり返った。
マリアが、小さく呟いた。
「……彼らは、遊んでいる」
「そうだ」
クラウスが頷く。
「我々は、もう敵ではない」
画面の中で、群れが動き始める。
焼かれた森が、再生していく。
Z波が、すべてを修復していく。
再生速度、毎時一キロメートル。
一日で、すべてが元に戻る。
空が、元に戻る。
青い空。
白い雲。
まるで、何事もなかったかのように。
クラウスは、椅子に座り込んだ。
彼の目には、もう何も映っていない。
ただ、空だけが映っている。
再起動した空は、もう人間のものではなかった。
マリアが、震える声で呟いた。
「……私たちは、何のために戦っているんでしょう」
クラウスは答えない。
ただ、静寂だけが、管制室を満たしていた。
静寂。
そして、人類は理解した。
戦いは、もう終わっていたのだと。
(了)




