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SB 1
健太は小学生の頃からずっとサッカーに夢中だった。まだJリーグがない頃、いつか日本代表のユニフォームを着ることを夢見て、朝から晩までサッカーに明け暮れていた。
高校は都内の強豪校に進学し、三年生の夏にインターハイの全国大会に出場し、大学はサッカー推薦で御茶ノ水の東京六大学に進んだ。
大学日本選抜にも選ばれ、卒業後は玉川エレクトロニクスの前身である玉川電機に入社し、営業部での仕事の傍らサッカー部で活躍した。
Jリーグが発足してから数年後、玉川電機サッカー部が母体となった川崎フロンティアがJ昇格を果たすまでその主力メンバーとして活躍してきたが、古傷や年齢の事を考えて、昇格を機にサッカーから離れた。
その頃上司の紹介で横浜の資産家の娘と結婚し、すぐに子宝に恵まれた。
サッカーを辞め家庭を築き、健太は営業の仕事に邁進してきた。
昔ながらの体育会気質で営業成績をグングン伸ばし、順調に昇進を重ね、三年前に本社第三営業部の部長に昇格した。
一人息子の克哉は、小学校から私立の一貫校に入学しずっとサッカーを続け、この春から大学二年生である。




