第3話「交差する想い」
教室に着いたとき、そこにはまだ誰もいなかった。
卒業式が始まるまで、まだ少し時間がある。
アストは自分の席に鞄を置くと、窓際に立つオクトのもとへ歩いていった。
オクトは窓の外を眺めていたが、アストに気づくと静かに口を開いた。
「なあ、アスト」
「ん?」
「昨日の電話、覚えてるよな?」
「ああ。話があるってやつだろ。結局、何の話なんだ?」
オクトは窓の外から視線を戻した。
「俺、今日カナデに伝えたいことがあるんだ」
アストの表情が変わる。
「……カナデに?」
「ああ。好きなんだ、あいつのこと」
短い言葉だった。
けれど、冗談ではないことくらい、アストにはすぐに分かった。
「ずっと言えなかった。でも、卒業したら今までみたいにはいかなくなるかもしれないだろ。だから、今日こそ伝える」
「……そうか」
アストは少しだけ視線を落とした。
幼い頃から知っている親友。
そして、自分がずっと好きだった幼馴染。
「お前は、どうするんだ?」
「どうするって?」
「お前も、カナデが好きなんだろ?」
アストは黙った。
いつかは、この話をしなければならないと思っていた。
「……ああ。俺も、カナデが好きだ」
オクトは少しだけ目を細めた。
「やっぱりな」
「気づいてたのか?」
「見てれば分かる」
「そんなに分かりやすいか、俺」
「かなり」
即答だった。
アストは思わず顔をしかめた。
「お前、もう少し言い方ってものがあるだろ」
「事実だからな」
オクトは小さく息を吐いた。
「まあ、だからって譲るつもりはないけど」
「……俺だって、そのつもりはない」
「お前、いつからそんなに積極的になったんだ?」
「悪いかよ」
「いや、別に。ただ、今まで何も言わなかったくせに、急に本気だと言われてもな」
「それはお前も同じだろ」
アストの声が少し強くなる。
「お前こそ、ずっとカナデのことが好きだったなら、どうして今まで黙ってたんだよ」
「タイミングがなかったんだ」
「言い訳だろ」
「何だと?」
「俺だって、何も考えてなかったわけじゃない。言おうと思ったことは何度もあった。でも、考えすぎて、結局何もできなかったんだよ」
オクトは少し意外そうな顔をした。
「お前らしくないな」
「うるさい。俺だって、こういうことは得意じゃないんだよ」
オクトは一瞬黙った。
「……だったら、今度こそ逃げない」
「俺だって逃げるつもりはない」
「なら、遠慮はいらないな」
「最初からそのつもりだよ」
二人の視線がぶつかる。
いつもなら笑って流せるような言葉も、今だけはそうはいかなかった。
「だったら、正々堂々といこうぜ」
アストが言った。
「そうだな。決めるのはカナデだ」
オクトは静かに頷いた。
「ただ、俺は本気だ。お前にも、そのつもりでいてほしい」
「分かってる」
アストも真剣な顔で答えた。
そのときだった。
「ちょっと待った!」
教室の扉が勢いよく開いた。
振り返ると、そこにはシオンが立っていた。
「シオン!? いつからいたんだよ?」
「途中からだけど。まったく、朝から何を言い争ってるのかと思えば……」
シオンは呆れたように二人を見比べた。
「カナデのことが好きなのは分かったけど、本人の気持ちは聞いたの?」
「それは……」
アストが言葉に詰まる。
「自分が好きだからって、相手も自分を好きだとは限らないでしょ。勝手に勝負みたいにしないでよ」
「別に、決めつけてるわけじゃ……」
「じゃあ、ちゃんと本人に伝えればいいじゃない」
シオンは腕を組んだ。
「二人とも、カナデのことを大切に思ってるんでしょ? だったら、自分の気持ちだけじゃなくて、カナデの気持ちも大切にしなよ」
アストとオクトは黙り込んだ。
やがて、オクトが小さく頷く。
「……その通りだな」
「お兄ちゃん?」
「俺たちだけで話してても仕方ない。決めるのはカナデだ」
オクトの声には迷いがなかった。
「……ああ。俺も、ちゃんと伝える」
アストも頷いた。
「最初からそうすればいいのに」
シオンが小さくため息をついた。
そのとき。
「……へえ。そうだったんだ」
背後から、聞き覚えのある声がした。
「えっ?」
アストの身体が固まる。
ゆっくりと振り返った先。
教室の入り口に、一人の少女が立っていた。
「カ、カナデ……!?」
そこにいたのは、間違いなくカナデだった。
いつから、そこにいたのだろう。
どこまで聞かれていたのだろう。
アストの頭の中を、そんな考えが駆け巡る。
カナデは三人を見つめたあと、少し困ったように笑った。
「ごめんね。話が聞こえちゃった」
教室に、気まずい沈黙が流れた。
「二人とも、私のことをそんなふうに思ってくれてたんだね」
オクトは少しだけ目を伏せた。
「……ああ。隠すつもりはなかった」
「そっか」
カナデはゆっくりと教室に入ってきた。
アストは、彼女の顔を見つめていた。
朝の通学路で交わした会話が、頭の中によみがえる。
ずっと一緒にいる。
あの頃は、当たり前のように言えた言葉だった。
今は、どうしてこんなにも難しいのだろう。
「アスト」
カナデに名前を呼ばれ、アストは我に返った。
「……何?」
「朝の話、覚えてる?」
「……勇者ごっこの話か?」
「うん。それもだけど」
カナデは少しだけ微笑んだ。
「ずっと一緒にいるって約束」
アストは息を呑んだ。
「……忘れろって言っただろ」
「うん。でも、私は忘れたくないんだ」
カナデはまっすぐにアストを見つめた。
「だって、私にとっては大切な約束だから」
アストは何も言えなかった。
オクトも、シオンも、静かに二人を見ていた。
カナデは何かを伝えようと、口を開いた。
その瞬間だった。
カナデの足元で、淡い光が瞬いた。
「……え?」
彼女が視線を落とす。
床に、見たこともない紋様が浮かび上がっていた。
複雑な線が円を描き、その中心から青白い光が広がっていく。
「何だ、これ……!」
アストが後ずさる。
けれど、光は彼らを追うように広がった。
「みんな、動くな!」
オクトが声を上げる。
その直後、アストの手の甲に熱が走った。
「っ……!」
思わず手を押さえる。
そこには、見覚えのない紋章が浮かび上がっていた。
「……紋章?」
オクトの腕にも、同じような紋章が現れていた。
シオンは自分の手を見つめ、驚きに目を見開く。
そして、カナデの身体にも、淡い光を放つ紋章が浮かび上がっていた。
四人の紋章が、互いに呼応するように輝き始める。
「何が起きてるの……?」
シオンの声が震えた。
「分からない。でも、普通じゃないことだけは確かだ」
オクトは周囲を見渡した。
次の瞬間、窓の外の景色が歪んだ。
校庭も、木々も、遠くの校舎も。すべてが水面に映った景色のように揺らいでいく。
「おい、嘘だろ……!」
アストが窓の外を見つめる。
教室の壁が音もなく軋み、机の脚が床からわずかに浮いた。
「これ、どうなってるんだよ!」
「分からない! でも、みんな、離れるな!」
シオンが叫んだ。
オクトは三人を見回し、すぐにカナデへ手を伸ばした。
「カナデ、こっちに!」
「うん!」
カナデがその手を取ろうとした瞬間、足元の光が一際強く輝いた。
四人の身体が、見えない力に引かれる。
「くそっ、何なんだよ、これ!」
アストは必死に踏ん張った。
けれど、床をつかむことさえできない。
そのとき、カナデがアストを見た。
「……アスト!」
「カナデ!」
彼女は何かを言おうとしていた。
けれど、その声は届かなかった。
光が四人を包み込み、教室の景色が一瞬で消え去った。
音も、温度も、身体の感覚さえも遠ざかっていく。
最後にアストが見たのは、白い光の向こうに伸ばされたカナデの手だった。
――ずっと一緒にいる。
幼い頃に交わした約束が、脳裏をよぎる。
あの約束を、守りたかった。
何が起きたのかも分からないまま、アストの意識は暗闇へと沈んでいった。
そして――
四人は、元の世界から姿を消した。
誰も知らない世界へ。
四人の運命を変える、異世界へと。




