第21話 「忘れられた再会」
アルセリア王国。
長い旅路の果てに、アストとシオンは王都の正門へとたどり着いた。
高くそびえる城壁。その向こうには、整然と並ぶ建物と、王城へ続く大通りが見える。
門の前には数人の兵士が立ち、出入りする人々を厳しく見張っていた。
「止まれ。どこから来た?」
門番の一人が二人の前に立ち、問いかける。
「レグナ王国から来ました」
アストが答えると、門番は眉をひそめた。
「……レグナ王国? どこの国だ?」
「この国からは遠い場所にある国です」
「聞いたことがないな。それで、何の用だ?」
「剣聖と大賢者に会いたいんです」
その言葉を聞いた瞬間、門番の表情がわずかに変わった。
「剣聖と大賢者に?」
「はい。どうしても会わなければならない理由があります」
「……お前たちの名前は?」
「俺はアスト。こっちはシオンです」
門番は二人の名前を聞くと、わずかに目を見開いた。
「アスト……シオン……」
何かを確かめるように、もう一度二人の顔を見る。
「少し待っていろ」
門番は近くにいた兵士へ短く指示を出すと、再び二人に向き直った。
「王のもとへ案内する。ついてこい」
「王様に?」
「ああ。剣聖と大賢者に会いたいのなら、直接話を聞いてもらうのが早い」
「ありがとうございます」
アストは頭を下げ、シオンとともに門をくぐった。
王城の中は、外から見た以上に広かった。
磨き上げられた床。壁に飾られた絵画。廊下の両側には騎士たちが整列し、二人が通るたびに視線を向けてくる。
やがて、門番は大きな扉の前で足を止めた。
「こちらです」
扉がゆっくりと開かれる。
その先には、玉座に座る国王の姿があった。
そして、その傍らには一人の側近。
さらに、国王の前には二人の人物が立っていた。
金色の髪をした青年と、長い髪を揺らす少女。
アストは二人を見た瞬間、思わず息を呑んだ。
金髪の青年――オクト。
そして、カナデ。
現実世界で別れて以来、一度も会っていない二人だった。
目の前にいる二人は、かつて知っていた姿とは違う。
異世界で経験を積み、ここまで成長したのだろう。
アストは二人の姿を見つめた。
「……あれが、剣聖と大賢者」
思わず漏れた言葉には、驚きと感嘆が混じっていた。
自分が知っている二人が、この国でそれほどの存在になっている。
嬉しさと、少しの誇らしさが胸に広がった。
「お前たちが、剣聖と大賢者に会いたいと申し出た者か」
国王が口を開いた。
「はい。俺はアストです。こちらはシオン」
「遠路はるばるご苦労だった。私はこのアルセリア王国の国王だ」
「お目にかかれて光栄です」
アストは礼をした。
そのとき、金髪の青年が一歩前に出た。
「……シオン?」
その声に、シオンが顔を上げる。
「本当にお前なのか?」
青年の表情が、みるみるうちに明るくなった。
「よかった……! 無事だったんだな!」
オクトはシオンへと近づいていく。
「ずっと探していたんだ。もう会えないかもしれないと思っていた……!」
その顔には、心からの安堵が浮かんでいた。
「シオン。俺だよ。オクトだ」
オクトは妹の肩に手を伸ばしかける。
「お前の兄だ。覚えているだろ?」
しかし、シオンは一歩だけ後ろへ下がった。
「……すみません」
「え?」
「あなたは、誰ですか?」
オクトの表情が止まった。
「……何を言っているんだ?」
「私たち、どこかでお会いしましたか?」
「シオン……俺だ。オクトだよ」
オクトの声がわずかに震える。
「お前の兄だ」
それでも、シオンの瞳に変化はなかった。
「……兄?」
初めて聞く言葉のように、シオンはその名前を繰り返した。
オクトは伸ばしかけた手をゆっくりと下ろす。
「そんな……どうして……」
その光景を、カナデも心配そうに見つめていた。
アストは二人の様子を見て、ようやく状況を理解し始めていた。
シオンは、兄であるオクトの記憶を失っている。
そして、おそらく――。
「オクト、カナデ」
アストが二人の名前を呼ぶ。
「俺のことも覚えていないのか?」
二人がアストへ視線を向ける。
「……すまない。どこかで会ったか?」
オクトが答える。
カナデも申し訳なさそうに首を横に振った。
「ごめんなさい。私も、あなたのことは知りません」
「そうか……」
アストは小さく息を吐いた。
二人は生きていた。
それだけでも、ここまで来た意味はあった。
だが、再会を喜ぶことはできなかった。
現実世界で一緒に過ごした時間も、互いに競い合った記憶も、二人の中から消えている。
そのときだった。
「陛下。少々、気になることがございます」
国王の傍らに立っていた側近が、穏やかな声で口を開いた。
「何だ?」
「シオン殿は、オクト殿の妹であることを忘れているようです」
側近はシオンへと視線を向ける。
「シオン殿。失礼ですが、いつ頃から記憶に異変が?」
「正確にはわかりません。ただ、旅の途中で、自分の記憶の一部がなくなっていることに気づきました」
「なるほど」
側近は少し考えるように目を伏せた。
「その旅には、そちらのアスト殿も同行していたのですか?」
「はい。ずっと一緒にいました」
「そうですか……」
側近は静かにうなずいた。
「では、シオン殿の記憶に異変が起きたときも、アスト殿はそばにいたのですね?」
「……何が言いたいんですか?」
アストが側近を見据える。
「いえ、決めつけるつもりはありません。ただ、記憶を失った人物と、その直前まで行動を共にしていた人物がいる。それならば、事情を確認する必要があるでしょう」
「俺がシオンの記憶を奪ったとでも言うんですか?」
「そこまでは申しておりません」
側近は穏やかな表情を崩さない。
「ですが、何も疑わずに受け入れるわけにもいきません。シオン殿は、この国にとっても大切な人物ですから」
「ふざけるな……!」
アストの声が王の間に響いた。
「俺はシオンを守ってここまで来たんだ! 記憶を奪うなんて、そんなことするわけがない!」
「ならば、なぜシオン殿はあなたのことを覚えているのでしょう?」
「……!」
「そして、なぜオクト殿のことだけを忘れているのでしょうか?」
側近の言葉に、王の間に沈黙が流れた。
アストはシオンを見た。
シオンは不安そうにこちらを見つめている。
「シオン……俺がそんなことをすると思うか?」
「私は……」
シオンは言葉を探すように目を伏せた。
「アストがそんなことをするとは思いません。でも、私にも何が起きたのか、よくわからないんです」
「……そうか」
アストは唇を噛んだ。
シオンを責めることなどできない。
彼女自身も、何が起きたのか知らないのだから。
「陛下」
側近が国王に向き直る。
「このまま彼らを自由にするのは危険かと。まずは事情を調べるべきでしょう」
「……そうだな」
国王はしばらく考えた後、アストたちに告げた。
「アスト、シオン。そなたたちには、しばらく城に滞在してもらう。調査が終わるまで、勝手な行動は控えてもらいたい」
「俺たちは犯罪者じゃない!」
「それを確かめるためだ」
その言葉に、アストは拳を握りしめた。
すると、オクトが一歩前に出た。
「陛下。俺に任せてください」
「オクト?」
「彼が危険な存在なのか、俺自身の目で確かめたい」
オクトはアストを見据えた。
「剣聖として、彼の実力を確かめます」
カナデも続いた。
「私も協力します。シオンさんの記憶に何が起きたのか、確かめたいです」
アストは二人を見つめた。
現実世界で別れてから、二人がどれほどの経験を積んできたのかはわからない。
だが、剣聖と大賢者と呼ばれるほどの存在になったことは確かだった。
「……わかった」
国王がうなずく。
「城の中庭を使え。決して命を奪うな。あくまで実力と事情を確かめるためのものだ」
「承知しました」
オクトが答えた。
王城の中庭。
騎士たちが距離を取り、戦いの場を囲んでいた。
アストは剣を抜き、オクトとカナデの前に立つ。
「本当に戦うつもりか?」
「ああ。お前の力を見せてもらう」
オクトが剣を構えた。
その姿には、剣聖と呼ばれる者にふさわしい風格があった。
アストは剣を握り直す。
できることなら、二人とは戦いたくなかった。
しかし、ここで疑いを晴らさなければ、シオンまで危険にさらされる。
「始めます!」
カナデの声と同時に、魔力が膨れ上がった。
「氷結の槍!」
空中に無数の氷の槍が生まれ、アストへと一斉に放たれる。
その瞬間、アストの視界に未来が映った。
右へ一歩。
次に、身体を低くする。
そして、左へ。
アストは未来視で見えた攻撃の軌道をなぞるように、氷の槍を次々とかわしていく。
「なっ……!」
カナデが目を見開いた。
その隙を逃さず、オクトが地面を蹴る。
「そこだ!」
鋭い剣撃が迫る。
アストの未来視に、数秒先の光景が映った。
剣が右肩を狙ってくる。
アストは身体をひねり、紙一重でかわした。
続く二撃目。
さらに三撃目。
オクトの剣は、どれも無駄のない動きでアストを追い詰めていく。
さすがは剣聖。
アストは心の中でそう認めた。
だが、未来視がある。
攻撃が届く前に、その先を知ることができる。
「どうした? 避けてばかりでは、こちらも判断できないぞ!」
「俺は、お前たちと戦いたいわけじゃない!」
「ならば、なぜここに来た!」
「お前たちを探していたからだ!」
「俺たちを?」
オクトの剣が迫る。
アストはその攻撃をかわしながら、必死に言葉を続けた。
「俺たちは現実世界で一緒に過ごしていた! お前もカナデも、俺にとって大切な仲間だったんだ!」
「……何を言っている?」
「信じられないのはわかってる! でも、俺はお前たちを助けに来たんだ!」
オクトの表情は変わらない。
剣聖の剣が再び振り下ろされる。
アストは未来視で攻撃を読み、身をかわした。
しかし、カナデの魔法がその逃げ道を塞ぐ。
「氷牢!」
地面から氷の壁がせり上がり、アストの動きを制限する。
「くっ……!」
アストの視界に、次の攻撃が映った。
右側から氷柱。
正面からオクトの剣。
アストはわずかな隙間を見つけ、身体を滑り込ませる。
氷柱が背後をかすめ、オクトの剣が目の前を通り過ぎた。
「未来を見ているのか……?」
オクトがつぶやく。
アストは答えなかった。
時間剥奪を使えば、もっと簡単に二人を止められるかもしれない。
だが、それだけはできなかった。
時間を奪う力を見せれば、今以上に疑われる可能性がある。
何より、ここで新たな力を見せることは、シオンを守ることにつながらない。
だから、未来視だけで戦う。
攻撃はしない。
ただ、二人の攻撃を避け続ける。
「逃げてばかりでは終わらないぞ!」
オクトが踏み込む。
剣聖の一撃が、アストの胸元へ迫った。
未来視に映ったのは、剣をかわした直後にカナデの魔法が襲いかかる光景だった。
アストは一瞬だけ迷った。
そのとき、視界の端にシオンの姿が映った。
彼女は騎士たちの近くに立ち、戦いの様子を見つめている。
そして、そのすぐそばには側近がいた。
アストの胸に嫌な予感が走る。
次の瞬間、カナデの氷の魔法がシオンの近くまで広がった。
「シオン!」
アストが叫ぶ。
だが、アストが動くよりも早く、オクトがシオンの前に立った。
「危ない!」
オクトが剣を振るい、飛んできた氷の破片を弾き飛ばす。
「シオンさん、こちらへ!」
カナデもシオンの手を取り、戦いの場から離れた場所へと導いた。
「大丈夫ですか?」
「は、はい……ありがとうございます」
シオンは二人に支えられ、騎士たちの後ろへと移動する。
その光景を見たアストは、言葉を失った。
オクトとカナデがシオンを守っている。
まるで、アストから彼女を救い出したかのように。
「……違う」
アストは小さくつぶやいた。
自分はシオンを傷つけてなどいない。
ずっと守ってきた。
それなのに、今は自分だけが危険な存在として見られている。
「アスト! もう抵抗するな!」
オクトが叫ぶ。
「シオンは俺たちが守る!」
「……お前たちが?」
アストは二人を見つめた。
シオンを守ろうとする二人の姿は、間違っていない。
むしろ、兄として、仲間として、当然のことなのかもしれない。
だが、シオンはオクトのことを覚えていない。
それでもオクトは、彼女を守ろうとしている。
そのことが、アストには少しだけ嬉しかった。
「わかった……」
アストは剣を下ろした。
「もう抵抗しない」
「アスト!」
シオンが声を上げる。
「大丈夫だ。シオン」
アストは彼女に向かって微笑んだ。
「俺は何もしていない。それだけは信じてほしい」
オクトは剣を構えたまま、慎重にアストとの距離を詰める。
騎士たちが一斉に動き、アストを取り囲んだ。
「アストを拘束しろ!」
国王の命令が響く。
兵士たちがアストの腕を押さえ、剣を取り上げた。
「陛下、シオンはどうされますか?」
側近が尋ねる。
「シオンはオクトとカナデに任せる。記憶の回復についても、二人と協力して調べさせよう」
「かしこまりました」
「アストは地下牢へ。調査が終わるまで、王城の監視下に置く」
「……承知しました」
アストは兵士たちに連れていかれる。
「待ってください!」
シオンがオクトとカナデのそばから一歩踏み出した。
「アストは悪い人じゃありません!」
「シオンさん、落ち着いて」
カナデが彼女を支える。
「でも……!」
「大丈夫だ。俺たちがそばにいる」
オクトはシオンに向かって、優しく声をかけた。
シオンは不安そうにアストを見つめる。
アストもまた、振り返って彼女を見た。
「心配するな。必ず戻る」
そう言い残し、アストは地下牢へと連れていかれた。
王城の地下。
重い鉄の扉が開かれ、アストは冷たい石造りの牢へと押し込まれた。
扉が閉じる音が、暗い通路に響く。
アストは壁に背を預け、ゆっくりと息を吐いた。
「……まさか、こんなことになるとはな」
剣聖となったオクト。
大賢者となったカナデ。
二人が生きていたことは嬉しい。
だが、二人は自分を知らない。
そして、シオンも兄を忘れている。
何かがおかしい。
記憶を奪う存在がいる。
アストは、旅の途中で出会った黒い霧の魔物を思い出した。
あの魔物が現れた後、シオンの腕には奇妙な痕跡が残った。
今回の記憶喪失も、偶然ではないはずだ。
「……必ず原因を見つけてやる」
その頃、王の間では側近が静かに国王へ報告していた。
「陛下。アスト殿の扱いについてですが、慎重に進めるべきかと存じます」
「わかっている。シオンの記憶についても調べさせよう」
「ありがとうございます」
側近は深く頭を下げた。
誰も疑っていない。
誰も気づいていない。
王のすぐそばに立つこの男こそ、記憶を奪う存在――忘却の使徒であることに。
その瞳の奥で、一瞬だけ黒い光が揺らめいた。
「……すべて、計画通り」
小さな声は、誰の耳にも届かなかった。
アストは地下牢の中で、静かに拳を握りしめる。
今は一人になった。
それでも、諦めるわけにはいかない。
オクトとカナデを取り戻す。
シオンが失った記憶を取り戻す。
そして、この王城に潜む何者かの正体を暴く。
そのために、今は耐えるしかなかった。
忘れられた再会は、最悪の形で幕を閉じた。




