第18話「時空を断つ者」
動けない。
身体の自由が、完全に奪われていた。
アストは剣を握ったまま、指一本動かすことができない。
隣にいるシオンも、リンダも同じだった。
「くっ……!」
喪失がゆっくりと三人へ歩み寄る。
「無駄だ。お前たちの時間は、すでに私の手の中にある」
喪失の掌に、黒い魔力が集まっていく。
その奥には、見覚えのある力があった。
時間剥奪。
かつて師匠から奪われた、アストの力。
「師匠の力を……!」
「そうだ。あの男も、最後まで抵抗していたよ」
喪失は口元を歪めた。
「だが、結果は変わらなかった」
その言葉とともに、黒い魔力が膨れ上がる。
次の瞬間、シオンがアストの前に立った。
「シオン……?」
動けるはずがない。
それなのに、彼女はアストをかばうように両腕を広げていた。
「アスト……」
シオンは振り返り、微笑んだ。
いつものような、優しい笑顔だった。
「生きてね」
「やめろ……!」
アストの声は届かない。
黒い魔力がシオンを包み込む。
彼女の身体が崩れ落ちていく。
「シオン!!」
その光景を見た瞬間、アストの脳裏に別の記憶がよみがえった。
師匠と共に過ごしていた、あの日のこと。
自分をかばい、目の前で倒れた師匠の姿。
あのときも、何もできなかった。
大切な人が目の前で傷ついているのに、ただ見ていることしかできなかった。
また、同じことを繰り返すのか。
また、大切な人を失うのか。
――嫌だ。
そんな未来だけは、絶対に受け入れられない。
そのときだった。
アストの視界が揺らいだ。
シオンはまだ倒れていない。
喪失の魔力も、まだ放たれていない。
今の光景は、これから訪れるかもしれない未来。
自分が最も恐れている未来を、見せられていたのだ。
「……そんな未来にはさせるか」
アストの身体から、膨大な魔力があふれ出す。
止まっていたはずの時間が、わずかに揺らいだ。
「何……?」
喪失の表情が変わる。
アストの足元から、淡い光が広がっていく。
次の瞬間、空間に無数の亀裂が走った。
まるで世界そのものが、音もなく砕けていくようだった。
「俺は……もう、誰も失わない!」
瞬間。
喪失の魔力が弾けた。
アストの身体を縛っていた見えない鎖が消え、シオンとリンダも自由を取り戻す。
「時間剥奪が……解除された?」
リンダが目を見開く。
だが、異変はそれだけではなかった。
喪失の周囲に漂っていた黒い魔力が、次々と消えていく。
「一体、何をした……!」
喪失が声を荒らげる。
アストは答えない。
その瞳は、ただ喪失を見据えていた。
「……まさか」
リンダが息を呑む。
「時間だけじゃない。空間まで……断ち切ったというの?」
その言葉に、喪失の顔が歪んだ。
時間を奪うだけだった力が、今は世界の理そのものに干渉している。
それは、かつての時間剥奪とはまるで別の力だった。
「ふざけるな……!」
喪失の周囲に、無数の魔法陣が展開される。
炎が渦を巻き、氷の刃が宙を舞う。
雷鳴が轟き、風が塔の壁を削り取っていく。
それらはすべて、この町の魔法使いたちから奪った力だった。
「私がどれだけの魔法を奪ってきたと思っている! この力の前に、貴様一人で何ができる!」
炎、氷、雷、風。
異なる属性の魔法が一斉にアストへと襲いかかった。
だが――。
アストが一歩、前へ踏み出す。
その瞬間、目の前の景色が歪んだ。
迫っていた炎が、突然その場に取り残される。
氷の刃は砕けることもなく、空中で動きを失った。
雷はアストの手前で消え、吹き荒れていた風も、まるで最初から存在しなかったかのように消え去った。
「な……」
喪失の顔が引きつる。
「ならば、これならどうだ!」
喪失は両手を掲げた。
炎が風を巻き込み、氷がその外側を覆う。
さらに雷が内部を駆け巡り、四つの属性が一つの巨大な魔法へと姿を変えていく。
塔全体を飲み込むほどの光が膨れ上がった。
「消し飛べぇぇぇ!」
巨大な魔法がアストへと放たれる。
その瞬間、アストの周囲に再び光が走った。
空間が、音もなく裂ける。
次の瞬間、巨大な魔法はアストの目の前で消え去った。
爆発も、衝撃もない。
ただ、そこにあったはずの脅威だけが、跡形もなく消えていた。
「馬鹿な……私の魔法が……!」
喪失は後ずさった。
初めてだった。
自分が奪い、積み重ねてきた力が、目の前の少年には通用しない。
「あり得ない……! そんな力が存在していいはずがない!」
その声には、もう余裕などなかった。
喪失はアストから目を逸らし、塔の出口へと視線を向ける。
逃げようとしている。
「逃がさないわ!」
リンダが両手を広げた。
「業火の檻!」
燃え盛る炎が喪失の周囲を取り囲む。
炎の壁が幾重にも重なり、逃げ道を塞いだ。
「くそっ……!」
喪失が炎を打ち破ろうと魔力を放つ。
しかし、その動きをアストが許さなかった。
「終わりだ」
アストが剣を構える。
喪失が振り返った。
「待て……!」
その声を遮るように、アストの剣が振り下ろされた。
刃が喪失を捉える。
喪失の身体から、黒い魔力が霧のように散っていった。
「ぐ……っ」
膝をつく喪失。
アストは剣を下ろさなかった。
師匠の最期が脳裏によみがえる。
自分をかばい、命を落とした師匠。
あの日、何もできなかった自分。
だが、今は違う。
今度は守ることができた。
大切な人を失う未来を、変えることができた。
「師匠……」
アストは小さくつぶやいた。
喪失は最後の力を振り絞り、アストを見上げる。
「お前たちが……ここで私を倒したところで……何も変わらない……」
その口元から、血が流れた。
「剣聖と大賢者……あの二人は、既に落ちている……」
その言葉に、アストとシオンの表情が変わった。
「剣聖と……大賢者?」
シオンが聞き返す。
喪失はそれ以上何も語らなかった。
やがて、その身体から力が抜ける。
町から魔法を奪い、師匠の命を奪った男は、静かに息絶えた。
戦いが終わった。
しかし、三人の表情に安堵はなかった。
「剣聖と大賢者って……一体誰のこと?」
シオンがリンダを見る。
リンダは倒れた喪失から目を離さず、考え込んでいた。
「……以前、この町に剣聖と大賢者が訪れたことがあるわ」
「この町に?」
「ええ。確か、剣聖の名前はオクト。そして、大賢者はカナデだったはずよ」
「え……?」
シオンの目が大きく見開かれる。
「オクトとカナデが、剣聖と大賢者……?」
アストは言葉を失った。
オクト。
そして、カナデ。
二人が、世界に名を知られる英雄だったというのか。
だが、今は驚いている場合ではなかった。
「リンダ。喪失が言っていたことは本当なのか?」
「分からない。でも、あの男が最後に残した言葉よ。嘘とは思えないわ」
アストは剣を握る手に力を込めた。
「オクトとカナデが危ないってことか……」
シオンが不安そうにうつむく。
「そんな……。お兄ちゃんが……」
アストはシオンの方を向いた。
「助けに行こう」
「アスト……」
「オクトもカナデも、放っておけない。何が起きているのか確かめて、二人を助けるんだ」
シオンは一瞬うつむいた後、顔を上げた。
「うん。お兄ちゃんを助けに行こう」
リンダも静かにうなずく。
「そうね。ここで立ち止まっている時間はないわ」
三人は顔を見合わせる。
町の人々から魔法を奪った喪失は倒した。
だが、その背後にはまだ敵がいる。
そして今、二人の仲間が危機に陥っている。
「急ごう」
アストの言葉を合図に、三人は塔を後にした。
次に向かう場所は、剣聖と大賢者がいる場所。
大切な仲間を救うために。




