第14話 「最悪の未来」
レグナ王国。
王都へと続く街道を、アストとシオンは並んで歩いていた。
遠くに見える城壁を眺めながら、アストは静かに息を吐いた。
「……戻ってきたんだな」
「ええ。久しぶりね」
シオンは、懐かしそうに王都を見つめた。
二人にとって、この国は特別な場所だった。
転生してからの日々を過ごし、それぞれの道を歩み始めた場所。
そして、アストが騎士を目指し、シオンが聖騎士としての道を歩んできた場所でもある。
けれど、アストの表情に懐かしさはなかった。
この国で暮らしていたことは覚えている。
それなのに、そこで過ごした日々の細かな記憶が、うまくつながらない。
どんな訓練を受けたのか。
何を思い、何に悩んでいたのか。
思い出そうとしても、記憶は曖昧なままだった。
「アスト……」
シオンが心配そうに声をかける。
「大丈夫だ」
アストは小さく笑った。
「今は、確かめるべきことを確かめよう」
自分が何を失ったのか。
なぜ、大切な記憶が欠けているのか。
そして、この国に何が起ころうとしているのか。
二人は、その答えを探すために王城へと向かった。
◇
謁見の間。
王座に腰掛けた国王は、戻ってきたシオンと、その隣に立つアストを見つめていた。
「シオン、無事に戻ったか」
「はい、陛下」
シオンは一礼した。
「本日は、ご報告したいことがあり、アストとともに参りました」
「アスト……?」
国王はその名を口にしてから、しばらく少年の顔を見つめた。
「もしや、かつて騎士長のもとで修行していた少年か?」
「はい」
アストは頭を下げた。
「お久しぶりです、陛下」
国王は、どこか複雑な表情を浮かべた。
アストは、神託の祭壇で無銘の剣士と判定された少年だった。
騎士を目指して修行を続けたものの、剣士として十分な成長を遂げることができず、やがて騎士長の指導も終わったと聞いている。
その少年が今、再び王城へ戻ってきた。
「まずは、旅の中で何があったのか、聞かせてくれ」
「分かりました」
アストは、旅の途中で遭遇した魔物や、シオンと再会するまでに起きた出来事を説明した。
凶悪な魔物との戦い。
人の姿をした、黒い気配をまとった敵。
そして、シオンを襲った敵との戦闘で、自分の力を使ったこと。
説明を聞き終えた国王は、深く考え込んだ。
「人の姿をした敵か……。しかも、通常の魔物とは異なる力を持っているというのだな」
「はい。あの敵が何者なのか、まだ分かっていません」
アストは答えた。
「ですが、放置していい相手ではないと思います」
そのときだった。
「陛下、失礼ながら」
騎士たちの列から、一人の男が前に出た。
レグナ王国の騎士長だった。
アストは、その姿を見つめた。
見覚えはある。
かつて自分を指導していた人物だと、頭では理解していた。
しかし、男と過ごした日々は、記憶の奥に沈んでいる。
どんな訓練を受けたのか。
どんな言葉をかけられたのか。
自分がこの男に対して、何を感じていたのか。
思い出そうとしても、輪郭すら掴めなかった。
「……久しぶりだな、アスト」
「お久しぶりです」
アストは礼儀正しく頭を下げた。
騎士長は、その様子を静かに見つめていた。
やがて、国王へと向き直る。
「この少年が、凶悪な魔物から人々を救ったという話ですが……にわかには信じがたいものがあります」
周囲の騎士たちも、ざわめき始めた。
「無銘の剣士と判定された者が、そこまでの力を持つとは……」
「確か、騎士長のもとで修行していたはずだ」
「それでも、剣士として大きく成長することはできなかったと聞いているが」
小さな声が広がっていく。
騎士長はアストから目を逸らさなかった。
「陛下。私は、この少年をかつて指導していました」
その声には、確かな重みがあった。
「指導方法を変え、訓練内容も見直しました。本人に必要だと思われる時間も与えたつもりです。それでも、剣士として十分な成長を遂げさせることはできませんでした」
騎士長は一度、言葉を切った。
「だからこそ、今の話が事実ならば、確かめたいのです。アスト、お前は本当に、凶悪な魔物を倒せるほどの力を身につけたのか?」
アストは騎士長を見つめた。
かつて、この人物から何を教わったのか。
どんな思いで剣を握っていたのか。
今の自分には、分からない。
ただ一つ、目の前の騎士長が自分の過去を知っていることだけは確かだった。
「……分かりました」
アストは静かに頷いた。
「お相手をお願いします」
◇
王城の訓練場。
中央に立つアストと騎士長を、周囲の騎士たちが取り囲んでいた。
二人の手には、それぞれ訓練用の剣が握られている。
「互いに命を奪うことは禁ずる。有効な一撃が入った時点で勝敗を決する」
審判役の騎士が告げた。
騎士長は剣を構え、アストを見据える。
「準備はいいか?」
「はい」
「では……始め!」
合図と同時に、騎士長が踏み込んだ。
鋭い一撃が、アストの肩口へと迫る。
だが、その剣が振り下ろされるよりも早く、アストは身体を動かしていた。
半歩、横へ。
剣先が、空を切る。
「……!」
騎士長はすぐさま体勢を立て直し、横薙ぎに剣を振るった。
アストは上体をわずかに反らし、その一撃をかわす。
続く突き。
連続する斬撃。
どれも、アストには届かなかった。
騎士たちの間に、ざわめきが広がる。
「今のを避けたのか……?」
「いや、反応が早すぎる」
騎士長の目が細くなった。
偶然ではない。
アストは、攻撃が届く直前に動いているのではなかった。
まるで、攻撃が始まる前から、その軌道を知っているかのようだった。
「ならば、これはどうだ!」
騎士長は踏み込みを変え、フェイントを交えた連続攻撃を繰り出す。
初撃は上段。
そこから軌道を変え、脇腹を狙う。
さらに、相手が避ける先を読んで剣を走らせた。
しかし。
アストは、すべてを見切っていた。
上段の一撃をかわし、二撃目を受け流す。
そして、三撃目が届くよりも早く、騎士長の懐へと踏み込んだ。
「なっ……!」
騎士長が反応する。
だが、わずかに遅かった。
アストの剣が、騎士長の喉元へと突きつけられる。
「……そこまで!」
審判の声が響いた。
訓練場が静まり返る。
騎士長は、自分の喉元に向けられた剣を見つめた。
やがて、ゆっくりと両手を下ろす。
「……私の負けだ」
アストは剣を下ろし、一歩退いた。
「ありがとうございました」
騎士長は、すぐには答えなかった。
目の前にいる少年は、かつて自分が指導していた少年と同じ顔をしている。
しかし、その動きはまるで別人だった。
あれほど攻撃を避けることができなかった少年が、今では自分の剣をことごとくかわした。
その変化を、騎士長は目の当たりにしていた。
「アスト……」
騎士長は、困惑を隠せないまま尋ねた。
「お前は、いったい何を見ている?」
アストは少し考えてから答えた。
「未来です」
「未来……?」
「相手が次に何をするのかが、見えるんです。剣を振るう前から、どこを狙ってくるのか分かる。だから、避けられる」
騎士長は言葉を失った。
周囲の騎士たちも、驚愕の表情でアストを見つめていた。
未来を見通す力。
それが、アストの強さの秘密だった。
無銘の剣士。
剣士としての成長が難しいと判断された少年。
その少年が今、騎士長を打ち破った。
しかも、時間剥奪の力を使うことなく、未来を見通す力だけで。
騎士長は、しばらくアストを見つめたあと、静かに口を開いた。
「……そうか」
それ以上、何を言えばいいのか分からなかった。
かつて自分が指導した少年が、今、自分の知らない力を身につけている。
その事実だけが、確かにそこにあった。
◇
訓練場に集まった者たちを見渡し、国王が口を開いた。
「見事だった、アスト。そなたの力は疑いようがない」
「ありがとうございます」
「一つ、聞かせてほしい」
国王は真剣な表情でアストを見つめた。
「そなたの未来を見通す力は、この国の未来も映し出すのか?」
アストの表情が変わった。
しばらくの沈黙。
やがて、彼は静かに頷いた。
「……はい」
その返答に、国王は姿勢を正した。
「この国に、何が起こる?」
アストは目を伏せた。
脳裏に、いくつもの光景が浮かび上がる。
崩れ落ちる城壁。
燃え上がる王都。
逃げ惑う人々。
響き渡る悲鳴。
そして、すべてを失ったかのような絶望の光景。
それは、ただの想像ではなかった。
アストには、確かに見えていた。
この国を待ち受ける、最悪の未来が。
「陛下……」
アストは顔を上げた。
「お伝えしなければならないことがあります」
「申してみよ」
アストは、国王の目を真っ直ぐに見つめた。
「この国は……最悪の結末を迎えます」
その場にいた全員が息を呑んだ。
国王の表情から、わずかに余裕が消える。
「……それは、どういう意味だ?」
「まだ、すべてを説明することはできません。ただ、俺には見えたんです」
崩壊する王都。
失われていく命。
取り返しのつかない結末。
その光景が、脳裏から離れない。
「このままでは、レグナ王国は滅びます」
沈黙が落ちた。
誰もが、アストの言葉を受け止めきれずにいた。
かつて無銘の剣士と判定された少年。
その少年が今、王国の騎士長を打ち破り、国の滅亡を告げている。
国王は、しばらくアストを見つめていた。
やがて、重々しく口を開く。
「……その未来は、変えられるのか?」
アストは、すぐには答えなかった。
自分に見えた未来が、絶対に訪れるものなのか。
それとも、まだ変えられる可能性が残されているのか。
その答えを、彼自身も知らなかった。
だが、何もしなければ、この国は最悪の結末を迎える。
それだけは分かっていた。
ならば、やるべきことは決まっている。
アストは顔を上げた。
「……変えてみせます」
静かな声だった。
けれど、その言葉には確かな意志が宿っていた。
国王は、少年の目を見つめ続けていた。
かつてのアストを知る者たちも、今のアストしか知らない者たちも、その言葉を聞いていた。
未来は、まだ変わっていない。
だからこそ、変えることができる。
アストは、その可能性に賭けることを決めた。
◇
アストは、国王を真っ直ぐに見つめた。
「その未来を変えるために、俺は旅に出ます」
王国を滅ぼす原因が何なのか。
あの黒い気配をまとった敵は何者なのか。
そして、自分が見た未来を変えるために、何をすべきなのか。
まだ分からないことばかりだった。
それでも、ここで立ち止まるわけにはいかなかった。
「必ず原因を突き止めます。そして、この国が迎えるはずの未来を変えてみせます」
国王は、しばらくアストを見つめていた。
やがて、ゆっくりと頷く。
「……分かった。そなたの力を信じよう。だが、決して無理はするな」
「ありがとうございます、陛下」
アストが頭を下げると、隣に立つシオンが一歩前に出た。
「陛下。私からも、お願いがあります」
「申してみよ、シオン」
シオンはアストの隣に並び、その顔を見上げた。
「アスト。今度は私も一緒に」
アストは、驚いたように彼女を見つめた。
「シオン……」
「あなた一人で、すべてを背負わないで」
シオンは、まっすぐにアストを見つめていた。
「私も、この国を守りたい。それに……あなたが失った記憶のことも、これから起こることも、一緒に確かめたいの」
アストは、すぐには答えられなかった。
自分が何を忘れてしまったのか。
これから、どんな未来が待ち受けているのか。
まだ何一つ、確かなことは分からない。
それでも、隣に立つ彼女の言葉は、はっきりと届いていた。
「……分かった。一緒に行こう」
アストがそう答えると、シオンは小さく微笑んだ。
二人は再び、旅に出る。
最悪の未来を変えるために。
失われた記憶の先にある真実を知るために。
そして、まだ誰も知らない未来を、その手で切り開くために。




