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第7話 失敗から学ぶ

それから数日。


 レロスの生活は、目に見えて変わり始めていた。


 朝起きて、仕事の予定を確認する。


 講習がある日はギルドへ向かい、初心者たちに文字や計算を教える。


 運搬の仕事がある日は、依頼書を確認してから集合場所へ向かう。


 仕事のない日には、薬草の採集依頼を調べたり、次の仕事を探したりした。


 以前のように、どこかのパーティーに入れてもらえるのを待つ必要はない。


 もちろん、仕事が毎日あるわけではなかった。


 講習の補助は不定期だし、運搬要員の募集も日によって違う。


 それでも、少しずつ収入は増えていた。


「……銅貨が増えてる」


 安宿ヴォルガの部屋で、レロスは革袋の中身を眺めていた。


『収入が生活費を上回る日が増えています』


「だよな。やっぱり、仕事を二つ持ってると違うな」


『ただし、今後も同じ頻度で仕事を確保できるとは限りません』


「分かってるよ」


 レロスは銅貨を数え直した。


 まだ銀貨一枚には届かない。


 それでも、少し前までの自分からは考えられない金額だった。


 しかも、誰かに頭を下げてパーティーへ入れてもらったわけではない。


 自分で仕事を探し、条件を確認し、働いて得た金だ。


「なあ、エーアイ。俺、結構やれてると思わないか?」


『以前と比較して、収入を得る手段が増えています』


「だろ?」


『また、契約内容を確認する習慣も定着しつつあります』


「そうそう。最近は依頼書を読むのも早くなったしな」


 レロスは満足げにうなずいた。


 少しずつ、自信がついてきていた。


 ただ、その自信がいつの間にか油断へ変わっていることには、まだ気づいていなかった。


 その日の昼。


 ギルドの受付で、レロスは運搬要員の募集を見つけた。


 翌日の朝から夕方までの仕事。


 目的地は街からそれほど遠くない採集地。


 手取りは銅貨十二枚。


「おっ、いいじゃん」


 レロスは依頼書を手に取った。


 距離も短い。


 危険度も比較的低い。


 しかも、以前に運搬したことのある道だ。


「これなら問題ないな」


『依頼内容について相談がありますか』


「いや、大丈夫。前にも行った場所だし」


『承知しました』


 レロスは受付で仕事を申し込んだ。


 契約内容を確認し、署名する。


 受付係が予定表に印をつけた。


「では、明日の朝、街の東門に集合してください」


「分かりました」


 レロスは機嫌よくギルドを出た。


 そのまま市場へ向かい、夕食用のパンを買う。


 明日は十二枚。


 その次の日にも講習が入れば、また八枚。


 銀貨一枚が、いよいよ現実味を帯びてきた。


「……順調だなあ」


 思わず笑みがこぼれた。


 翌朝。


 レロスは早めに起き、荷物をまとめていた。


 水筒。


 雨具。


 予備の紐。


 道中で使う小道具。


 準備は慣れたものだった。


 そこへ、宿の主人が声をかけてきた。


「レロス、ギルドから伝言だぞ」


「え?」


「今日の講習、予定どおり頼むってさ。遅れないように、だと」


 レロスの手が止まった。


「……講習?」


「ああ。何でも、今日は人数が多いんだってな」


「…………」


 頭の中で、何かが引っかかった。


 数日前。


 講習の担当者から、次の補助を頼まれた。


 確か、日付を聞いて。


 その日は空いていると思って。


「……あ」


 レロスは荷物を落とした。


 今日だ。


 講習も、今日だった。


「まずい!」


 慌てて革袋をつかみ、宿を飛び出した。


 東門に向かえば運搬の仕事。


 ギルドへ向かえば講習。


 どちらも、ほぼ同じ時間から始まる。


 両方に行くことなどできない。


「エーアイ!」


『はい』


「仕事が二つ重なった!」


『詳細を教えてください』


「今日の朝から運搬の仕事を入れたんだ。でも、講習も今日だった!」


『同じ時間帯に二つの仕事を受けたということですね』


「そうだよ! どうすればいい!?」


『まず、それぞれの契約条件を確認する必要があります』


「そんな時間ないって!」


『条件を確認せずに判断すると、損失が大きくなる可能性があります』


「……くそっ!」


 レロスは立ち止まった。


 通りを行き交う人々が、怪訝そうに彼を見る。


 頭が真っ白になりそうだった。


 講習の報酬は八枚。


 運搬の報酬は十二枚。


 金額だけなら運搬を優先した方がいい。


 だが、講習には新人たちが集まっている。


 人数が多いから補助が必要だと言われていた。


 自分が行かなければ、担当講師が困るだろう。


 一方、運搬の依頼主も、自分が来るものだと思って待っている。


「……どっちかを断るしかないよな」


『はい。現在の情報では、両方を予定どおり履行することはできません』


「分かってる!」


 レロスは歯を食いしばった。


 少し考え、ギルドへ走った。


 受付係に事情を説明する。


 相手は驚いた顔をしたが、すぐに予定表を確認した。


「レロスさん、講習の補助は三日前に引き受けていますね」


「はい……」


「運搬の方は昨日ですね」


「……はい」


「同じ時間帯だと、両方は無理です」


「分かっています。すみません」


 受付係は困ったように息を吐いた。


「運搬の方は、集合時間までまだ少しあります。代わりの人を探せるかもしれません。ただし、直前の取り消しになるので、契約上の違約金が発生します」


「……いくらですか」


「銅貨六枚です」


 レロスは顔をしかめた。


 六枚。


 一日分の生活費より多い。


「講習を断ったら?」


「今日の講習は参加者が多く、すぐに代わりを探すのは難しいですね。担当者と相談が必要です」


 レロスは目を閉じた。


 どちらを選んでも、誰かに迷惑がかかる。


 それなら、少しでも影響の小さい方を選ぶしかない。


「……運搬の方を取り消してください」


「よろしいですか?」


「はい。違約金は払います」


 受付係はうなずいた。


「分かりました。こちらで代わりの方を探します。ただし、今後は気をつけてくださいね」


「……すみませんでした」


 レロスは銅貨六枚を差し出した。


 硬貨が受付の台に置かれる音が、やけに大きく聞こえた。


 講習には間に合った。


 参加者たちに文字を教え、計算問題を一緒に解いた。


 いつものように「先生」と呼ばれたが、今日は素直に喜べなかった。


 頭の片隅に、銅貨六枚がちらついていたからだ。


 講習が終わり、報酬を受け取る。


 銅貨八枚。


 しかし、違約金を差し引けば、今日の手元に残る利益はわずか二枚だった。


 しかも、運搬の仕事をしていれば得られたはずの十二枚も失っている。


「……最悪だ」


 宿へ戻る道で、レロスはつぶやいた。


『今回の問題について、原因を整理しますか』


「今はいい」


『再発防止のためには――』


「もう終わったことだろ!」


 思わず声が大きくなった。


 近くを歩いていた人が振り返る。


 レロスは慌てて口を閉じた。


 しばらく黙って歩く。


 だが、胸の中の苛立ちは消えなかった。


「……なあ、エーアイ」


『はい』


「お前、何で教えてくれなかったんだよ」


『何についてでしょうか』


「仕事が重なってることだよ。予定くらい、覚えてるんだろ?」


『講習の予定については、マスターから日付の共有を受けていません』


「……え?」


『運搬の仕事についても、昨日は依頼先の確認のみで、日時の詳細は共有されていませんでした』


 レロスは足を止めた。


「……そうだったか?」


『はい』


 思い返してみる。


 講習を引き受けた日。


 受付で予定を聞き、その場で返事をした。


 エーアイには、仕事が入ったことを詳しく話していない。


 昨日の運搬も同じだ。


 依頼書を読んで、慣れた場所だから大丈夫だと判断した。


 エーアイには、予定を確認してもらわなかった。


「……でも、お前なら何とかしてくれると思ってた」


『私は、マスターが共有していない情報を知ることはできません』


「…………」


『また、私から現実世界の予定表を直接確認することもできません』


 レロスはうつむいた。


 言われてみれば、当たり前だった。


 エーアイは、自分の目を通して勝手に世界を見ているわけではない。


 依頼書を読んでいるときも、内容を伝えなければ分からない。


 それを、何となく忘れていた。


「……俺が悪かったのか」


『今回の重複予約は、マスターが二つの仕事の日時を確認せずに契約したことで発生しました』


「はっきり言うなあ……」


『事実関係を整理しています』


「分かってるよ」


 レロスは苦笑しようとして、うまく笑えなかった。


 自分が失敗した。


 それだけなら、まだよかった。


 だが、さっきはエーアイのせいにしようとした。


 何も伝えていないくせに。


「……悪かった」


『謝罪の対象は私でしょうか』


「ああ。八つ当たりした」


『承知しました』


「……怒らないのか?」


『私は人間と同じように怒るわけではありません』


「便利だな、お前」


『ただし、今回の問題を繰り返すことは、マスターにとって不利益です』


「……だよな」


 レロスは近くの石段に腰を下ろした。


 少し冷たい風が吹いている。


 仕事が順調になって、気が緩んでいた。


 自分で判断できるようになったと思い、エーアイに相談する回数も減っていた。


 それ自体が悪いわけではない。


 いつまでも何でも聞かなければ決められないのでは困る。


 しかし、必要な情報まで伝えなくなっていた。


「なあ。どうすればよかったんだ?」


『仕事を引き受ける前に、すでに決まっている予定を確認するべきでした』


「それは分かる。でも、毎回忘れずに確認できるかな」


『予定を記録する方法があります』


「記録?」


『紙に日付と仕事内容を書き、契約前に確認する方法です』


「……そんな簡単なことでいいのか?」


『はい。記憶だけに頼る必要はありません』


 レロスは考えた。


 冒険者ギルドの受付には予定表がある。


 講習の担当者も、運搬の依頼も、紙に書いて管理している。


 それを自分でもやればいいだけだ。


「……何で今まで思いつかなかったんだろうな」


『必要性を強く認識していなかった可能性があります』


「六枚も払えば、嫌でも覚えるよ」


『その経験を今後に生かすことが重要です』


「……そうだな」


 レロスは顔を上げた。


「ほかに気をつけることは?」


『報告、連絡、相談を意識するとよいでしょう』


「ほうこく、れんらく、そうだん?」


『まとめて報連相と呼ばれる考え方です』


「ホウレンソウ?」


『はい』


「……変な名前だな。誰が考えたんだよ」


『現代社会の組織運営などで用いられる表現です』


「げんだいしゃかい?」


『現在の社会、という意味です』


「ふうん。で、そのホウレンソウって何をするんだ?」


『決まったことを報告し、変更があれば連絡し、判断に迷ったときは相談する、という考え方です』


「……ああ、なるほど」


 レロスは指を折った。


「仕事が決まったら、お前に話す」


『はい』


「時間が変わったら、それも話す」


『はい』


「迷ったら、決める前に相談する」


『その理解で問題ありません』


「……それならできそうだな」


 レロスはうなずいた。


 難しい言葉は覚えられそうにない。


 だが、やることは単純だった。


 自分が知っている情報を、必要な相手に伝える。


 それだけだ。


『さらに、今回の失敗を振り返り、改善する方法としてPDCAという考え方があります』


「ぴーでぃーしーえー?」


『計画し、実行し、結果を確認し、改善するという一連の流れです』


「……また変な言葉が出てきた」


『覚える必要はありません。考え方を理解することが重要です』


「要するに、失敗したら原因を考えて、次に直せばいいんだろ?」


『はい。ただし、成功した場合にも改善点を確認できます』


「成功しても?」


『はい。うまくいった理由を理解できれば、次に生かせる可能性があります』


「……なるほどな」


 レロスはしばらく考え込んだ。


 今までの自分は、失敗すると落ち込むか、誰かを恨むか、そのどちらかだった。


 追放されたときもそうだ。


 役立たずだと言われて腹を立てた。


 次こそはと意気込んだ。


 だが、何を変えればいいのか、まともに考えたことがあっただろうか。


 もちろん、理不尽な扱いまで自分の責任にするつもりはない。


 悪いのは、悪いことをした連中だ。


 それでも、自分にできることが何もなかったわけではない。


「……なあ、エーアイ」


『はい』


「俺、今まで何回も追放されてきたんだ」


『把握しています』


「そのたびに、次はうまくやろうって思ってた。でも、何を変えるかは決めてなかった気がする」


『具体的な改善策がなければ、同じ問題が再発する可能性があります』


「……耳が痛いな」


 レロスは立ち上がった。


「よし。帰ったら紙を買おう」


『予定を記録するためですか』


「ああ。それと、今日の失敗も書いておく」


『有効な方法だと思われます』


「銅貨六枚の失敗だからな。忘れたらもったいない」


 宿へ戻る途中、レロスは小さな紙束を買った。


 部屋に戻り、机の上に広げる。


 日付。


 仕事の内容。


 集合時間。


 報酬。


 必要な道具。


 最初は何を書けばいいか迷ったが、エーアイと相談しながら項目を決めた。


 そして、紙の一番上に大きく書いた。


『仕事を受ける前に、予定を確認する』


「……よし」


『追加するなら、契約条件の確認も重要です』


「それも書くか」


 レロスは文字を付け足した。


 少し不格好な予定表だった。


 ギルドの受付にあるものと比べれば、ずいぶん簡単だ。


 だが、自分のために作ったものだ。


「エーアイ。これから仕事が決まったら、お前にも話すからな」


『承知しました』


「ただし、最後に決めるのは俺だぞ」


『もちろんです』


「……そこは譲らないからな」


『私は判断材料を提供します。最終的な決定はマスターが行ってください』


 レロスは満足げにうなずいた。


 今日、銅貨六枚を失った。


 運搬の報酬も逃した。


 散々な一日だった。


 それでも、何も得られなかったわけではない。


 少なくとも、同じ失敗を繰り返さないための方法を一つ覚えた。


「……明日から、また頑張るか」


『はい』


 レロスは予定表を机の上に置いた。


 失敗したからといって、レベルが下がるわけではない。


 そもそも、自分のレベルは1から変わらない。


 けれど、次に同じ場面が来たとき、違う行動を選ぶことはできる。


 それなら。


 少しずつでも、前へ進めるはずだった。

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