第5話 当面の金策(1)
翌朝。
レロスは安宿ヴォルガの寝台に腰掛け、革袋の中身を数えていた。
「……二十八枚」
銅貨が二十八枚。
昨日、薬草を売り歩いたおかげで手に入れた金だった。
少し前まで、明日の宿代をどうするかで頭を抱えていたことを考えれば、ずいぶんな進歩だ。
もっとも、ここから宿代と食費が消えていく。
「宿代が三枚。飯が二枚。合わせて五枚か」
『現在の生活費を維持する場合、収入がなければ五日程度で所持金が不足します』
「分かってるよ。昨日はいい感じだったんだけどなあ」
レロスは銅貨を革袋へ戻した。
昨日の取引は成功だった。
安く買った薬草を、必要としている薬師に売る。
ただそれだけのことなのに、これまで自分が採集依頼で稼いでいた金額を考えると、驚くほど効率がよかった。
しかし、同じ方法で今日も稼げるとは限らない。
「昨日みたいな薬草を、また探せばいいんじゃないか?」
『選択肢の一つです。ただし、昨日の利益を継続的に得られる保証はありません』
「何でだよ。売れたんだから、また売れるだろ?」
『薬師が必要とする量には限りがあります。また、安く購入できる薬草が常に存在するとも限りません』
「……ああ、そうか」
レロスは昨日の薬師の顔を思い出した。
最後に売った薬草については、もう十分だと言われていた。
欲しい人がいなければ、いくら安く買っても売れない。
それは、以前に薬草を抱えて損をした経験からも理解できる。
「じゃあ、別の店を探す?」
『可能です。ただし、購入先と売却先を探す時間が必要になります。移動時間も含めて、利益を評価する必要があります』
「時間も金みたいに数えるのか?」
『はい。時間は有限の資源です』
「……また難しいことを言い始めたな」
レロスは苦笑した。
以前なら、このあたりで会話を打ち切っていただろう。
エーアイは知らない言葉を並べる。
自分は理解できない。
それで終わりだった。
けれど昨日、レロスは一つ学んでいた。
分からないことは、聞き直せばいい。
「つまり、一日中走り回って銅貨一枚しか儲からなかったら、割に合わないってことか?」
『その理解でおおむね正しいです』
「だったら最初からそう言ってくれよ」
『今後は説明の仕方を調整します』
「頼むぜ」
レロスは立ち上がり、窓を開けた。
ガレオンの街はすでに動き始めていた。
荷車の音。
商人たちの呼び声。
どこかの店から漂ってくる焼きたてのパンの匂い。
この街では、今日も大勢の人間が働いている。
自分だけが、仕事を見つけられずにいる。
そう思うと、昨日の成功が急に小さなものに感じられた。
「なあ、エーアイ」
『はい』
「俺、何をすればいいと思う?」
『まず、マスターが現在持っている能力と経験を整理したいと思います』
「能力?」
『はい。これまでに経験した仕事、得意な作業、読み書きや計算の能力などを教えてください』
「そんなの、前にも話しただろ?」
『過去の会話は記憶しています。ただし、今回は収入を得るために利用できる能力を確認したいのです』
「ふうん……」
レロスは寝台に座り直した。
「まず、冒険者としてはレベル1。剣も魔法もろくに使えない」
『それは制約です。ほかの能力について教えてください』
「薬草採集は二年くらいやってた。種類もそこそこ分かる。荷物運びなら、もっと長いな」
『荷物運びでは、どのような作業を担当していましたか?』
「荷物を背負って歩く。野営の準備。道具の手入れ。食料や水の残りを確認したり……あとは、依頼書を読まされたこともあったな」
『依頼書を読むことができますか?』
「当たり前だろ」
答えてから、レロスは少し考えた。
「……いや、当たり前じゃないのか」
読み書きができない冒険者は珍しくない。
特に若い新人には、村から出てきたばかりで文字をほとんど知らない者もいる。
レロス自身、幼い頃から十分な教育を受けられたわけではなかった。
冒険者になるために、少しずつ覚えたのだ。
「依頼書が読めなかったら、何を頼まれたのか分からないだろ。だから覚えたんだよ」
『計算はどうでしょうか』
「足し算と引き算くらいならできる。掛け算は大きな数だとちょっと怪しいけど」
『報酬を人数で分ける計算はできますか?』
「できるよ。……まあ、俺の取り分は勝手に減らされてたけどな」
思わず口調が荒くなった。
以前所属していたパーティーでは、依頼報酬の分配が曖昧だった。
最初に聞いていた金額と、実際に渡される金額が違う。
理由を尋ねれば、食料代だの装備代だのと、後から費用を差し引かれる。
文句を言えば、レベル1の役立たずに金を払ってやっているだけありがたく思え、と怒鳴られた。
それでも、次の仕事を失うのが怖くて黙っていた。
『マスターは契約内容と実際の支払いが一致しない経験を、複数回していますね』
「嫌なことまでよく覚えてるな」
『今後の仕事選びに関係するためです』
「……そうだな」
レロスは頬をかいた。
エーアイに言われるまで、自分が読み書きや計算をできることを、特別な能力だと思ったことはなかった。
強い剣士なら戦える。
魔法使いなら魔法が使える。
自分には、そういうものがない。
だから、何もできないのだと思っていた。
『確認した内容から、いくつかの収入源が考えられます』
「おっ、来たな」
『一つは、薬草採集と売買の継続です』
「それは分かる」
『二つ目は、荷物運びの仕事です』
「それも今までやってたことだろ」
『ただし、特定のパーティーに所属する方法以外を検討します』
「……どういうことだ?」
『一回ごとに契約する荷物運びの仕事が存在しないか、ギルドに確認してみてください』
レロスは首を傾げた。
「そんなのあるのか?」
『分かりません』
「分からないのかよ!」
『私はガレオンの冒険者ギルドが提供する仕事の種類を把握していません。存在する可能性を提案しています』
「……ああ、そうだったな」
昨日も似たようなやり取りをした。
エーアイは、この世界のことを知らない。
だから、何でも知っているように話すくせに、肝心なところで分からないと言う。
しかし、分からないなら調べればいい。
その考え方にも、少し慣れてきた。
「一回だけ荷物を運んで金をもらう。終わったら解散。そういう仕事があればいいってことか」
『はい。報酬、危険度、拘束時間、契約条件を事前に確認できれば、過去のような不利益を減らせる可能性があります』
「でもさ、俺はレベル1だぞ。雇ってくれるかな」
『マスターが過去に荷物運びとして働いた経験は、需要が存在することを示しています』
「……それもそうか」
レロスは何度も荷物持ちとして雇われてきた。
役立たずと罵られながらも、荷物だけは運ばされていた。
つまり、荷物を運ぶ人間は必要だったのだ。
自分が冒険者として弱いことと、荷物を運ぶ仕事ができないことは、同じではない。
「ほかには?」
『三つ目は、初心者への読み書きや計算の指導です』
「……は?」
レロスは固まった。
「誰が?」
『マスターです』
「誰に?」
『読み書きや計算を学ぶ必要がある初心者に、です』
「俺が!?」
『はい』
「いやいやいや! 無理だって!」
思わず立ち上がった。
「俺は教師じゃないぞ! そもそも、そんな仕事をしたこともない!」
『高度な教育ではなく、依頼書を読むための基本的な文字や、報酬を確認するための計算を教える仕事を想定しています』
「それだって、俺より頭のいい奴がやるだろ」
『その可能性はあります。ただし、指導者が十分に確保されているかは不明です』
「また不明か……」
『ギルドが初心者向けの講習を行っているか、確認する価値はあります』
レロスは腕を組んだ。
初心者向けの講習。
確かに、聞いたことはある。
冒険者登録をしたばかりの者に、依頼の受け方や危険な行動について教える集まりだ。
自分も昔、一度だけ参加した。
もっとも、読み書きの講習があるかどうかは知らない。
「……でも、俺が教えるってのはなあ」
『不安な理由を教えてください』
「そりゃ、レベル1だからだよ」
『読み書きの指導に、戦闘レベルは必要でしょうか』
「……いや」
『では、ほかに理由はありますか』
「それは……」
レロスは言葉に詰まった。
レベル1。
いつの間にか、それが何もできない理由になっていた。
強い魔物を倒せない。
魔法を使えない。
それは事実だ。
だが、文字を読むことと何の関係があるのだろう。
「……教えるのが下手かもしれない」
『それは実際に試さなければ判断できません』
「人前で緊張するかもしれない」
『その可能性はあります』
「失敗したら?」
『改善点が分かります』
「……お前、簡単に言うよな」
『試す前から不可能と判断する根拠は、現時点では不足しています』
レロスはため息をついた。
理屈は分かる。
分かるのだが、気持ちがついていかない。
今まで自分は、いつも誰かに選ばれる側だった。
荷物持ちとして雇ってもらう。
役立たずだと判断されれば追い出される。
そんなことを繰り返してきた。
それが今度は、自分にできることを探して、仕事を取りに行く。
何だか、ずいぶん違う話に思えた。
「……なあ、エーアイ」
『はい』
「俺、本当は冒険者になりたいんだよ」
『理解しています』
「荷物運びとか、文字を教えるとか……そればっかりやってたら、冒険者じゃなくなる気がする」
口にしてみると、自分でも情けないと思った。
明日の飯に困るような人間が、何を贅沢なことを言っているのか。
だが、冒険者への憧れだけは捨てられなかった。
レベルが上がらないと分かった後も。
何度も追放された後も。
それだけは変わらなかった。
『マスターの目標は、冒険者として活動することですね』
「ああ」
『では、その目標を維持したまま、生活を安定させる方法を考えましょう』
「……え?」
『収入を得るための仕事と、将来の目標は、必ずしも同一である必要はありません』
レロスはしばらく黙っていた。
生活のために荷物を運ぶ。
金を貯める。
そのうえで、冒険者として何ができるかを考える。
そんな順番でもいいのかもしれない。
「……なるほどな」
『また、短期的な目標を設定することを提案します』
「目標?」
『はい。まず、生活費とは別に銀貨一枚を貯めてみてはいかがでしょうか』
「銀貨一枚!?」
レロスは思わず革袋を見た。
銀貨一枚は銅貨百枚。
今の所持金の三倍以上だ。
「そんなに貯めて、何に使うんだ?」
『用途を今すぐ決める必要はありません。予期しない支出に備える資金があれば、仕事の選択肢が広がります』
「……つまり、金があれば嫌な仕事を断れるってことか?」
『その可能性があります』
その言葉は、レロスの胸に残った。
嫌な仕事を断れる。
今までの自分には、ほとんどなかった選択肢だ。
報酬が少なくても。
扱いが悪くても。
断れば、次の日の飯がなくなる。
だから我慢した。
もし、しばらく暮らせるだけの金があったら。
あんな連中に頭を下げなくても済んだのだろうか。
「……銀貨一枚か」
『達成可能性は、今後の収入と支出によって変わります』
「そこは、頑張ればできるって言ってくれよ」
『努力だけで達成できるとは限りません』
「相変わらずだな!」
レロスは笑った。
そして、革袋を腰に結び直した。
「よし。とりあえずギルドに行こう」
『講習と単発の荷物運びについて確認しますか』
「ああ。なかったら別の方法を考える」
『合理的な判断です』
「あと、講師の仕事があっても、俺にできるかどうかは分からないからな」
『承知しました』
レロスは扉へ向かった。
ふと、足を止める。
「そういえば、エーアイ」
『はい』
「俺が何をできるかって、もっと早く聞いてくれればよかったのに」
『以前にも職歴や能力について質問したことがあります』
「……そうだったっけ?」
『はい。その際、マスターは「レベル1の役立たずだって言ってるだろ」と回答しました』
「…………」
覚えている。
確かに、そんなことを言った。
エーアイの質問を、いつもの役に立たない話だと思って聞き流したのだ。
「……悪かったよ」
『謝罪は必要ありません』
「いや、必要だろ。俺がちゃんと答えてたら、もっと早く何か見つかったかもしれないんだから」
『その可能性はあります』
「少しは遠慮しろよ!」
レロスは苦笑して、扉を開けた。
廊下には朝の光が差し込んでいる。
昨日までと同じ安宿。
同じ街。
同じレベル1の自分。
それでも、今日は少しだけ違っていた。
何ができないかではなく、何ができるか。
それを探しに行くのだ。
「さて、仕事探しだ」
レロスは階段を下り始めた。
銀貨一枚。
今はまだ遠い目標だったが、昨日までの自分なら、そんな目標を立てることさえしなかっただろう。




