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第21話 次の一手

朝食を終えたあと、レロスは財布の中身を確認していた。


「……増えたな」


 思わず、そんな言葉が漏れる。


 大金持ちになったわけではない。

 だが、今日の食事や明日の宿代を心配していた頃とは明らかに違う。


 今は家がある。

 食事にも困っていない。

 装備を整え、それでも余った金の一部は冒険者ギルドへ預けている。


「どうしたの?」


 食器を片づけていたリリィが振り返った。


「いや。前は銅貨が何枚あるか数えて、あと何日食えるか考えてたなって」


「ああ……」


 リリィも少しだけ笑った。


「私もここに来たばかりの頃は、人のこと言えなかったけどね」


「そうだったな」


 ガレオンでリリィを助けたとき、レロスの蓄えはほとんどなくなった。


 それでも二人でゾハルへ来た。


 依頼を受け、少しずつ装備を整え、知識を集めた。


 失敗もした。

 危険な目にも遭った。


 それでも今は、少なくとも明日の生活を心配する必要はない。


『マスター』


 エーアイの声がした。


『現在の状況は、今後について検討する良い機会だと考えます』


「今後?」


『はい。これまでのマスターは、生活を維持することに多くの資金と時間を必要としていました』


「まあな。食えなきゃ話にならないし」


『現在は異なります。生活を維持したうえで、資金と時間に余剰があります』


 レロスは財布を閉じた。


「余った分を、次のために使えるってことか」


『はい』


「なんか、そういうのにも名前があるの?」


『関連する指標として、エンゲル係数というものがあります』


「やっぱりあるのか……」


 レロスは苦笑した。


「エンゲル?」


 リリィが首を傾げる。


『家計の消費支出に占める食費の割合を示す指標です。ただし、今回の話を直接示すものではありません』


「じゃあ、なんで出したんだよ」


『マスターが名前の有無を質問されたためです』


「そうだけどさ……」


 リリィが小さく笑った。


 こういうところは、相変わらずだった。


『重要なのは、現在のお二人には、短期的な生活維持以外へ資源を配分できる余裕が生じていることです』


「短期的な生活維持以外……」


『今後、何を目指すのかということです』


 その言葉に、レロスは黙った。


 今まで、そんなことを真剣に考えたことがあっただろうか。


 冒険者になりたかった。


 だが、レベル1だった。


 何度もパーティーを追い出された。


 それでも冒険者を続けるために、毎日必死だった。


 エーアイと出会ってからは、まず生活を立て直した。


 そしてリリィと出会った。


 ゾハルへ来て、《アイリス》を作った。


 今では冒険者として依頼をこなし、それだけで生活できている。


「……俺、今でも冒険者なんだよな」


「何言ってるの?」


 リリィが笑う。


「ちゃんと冒険者でしょ」


「いや、そうなんだけど」


 ずっと冒険者でいること自体が目標だった。


 だから、その目標を達成したあとに何をするのかまでは考えていなかった。


『目標を整理する方法として、私の知識にはKGIとKPIという考え方があります』


「けー……?」


「また始まったね」


 リリィが楽しそうに言った。


『KGIは最終的に達成したい目標、KPIはそこへ到達する過程を確認するための指標です。本来は組織運営などで用いられる概念ですが、考え方そのものは応用できます』


「最終的な目標か……」


 レロスは腕を組んだ。


「リリィは?」


「私?」


「うん。これから何をしたい?」


 リリィはすぐには答えなかった。


 だが、その沈黙は長くなかった。


「……モヒート」


 静かな声だった。


「あの人たちとは、ちゃんと決着をつけたい」


 レロスは頷いた。


 オクトーとは違う。


 あのとき、リリィはそう言った。


 自分で終わらせたい、と。


「分かった。じゃあ、それは手伝う」


「ありがとう」


『では、現在の《アイリス》にとって、リリィさんが《モヒート》と決着をつけられるだけの準備を整えることは、当面の具体的な目標の一つと設定できます』


「準備っていうと、やっぱり強くなること?」


『それも含まれます』


 エーアイは続けた。


『装備、戦闘経験、情報、資金、人員。戦力を構成する要素はレベルだけではありません』


 レベル。


 その言葉に、レロスは自分の手を見た。


 1。


 何をしても、それだけは変わらない。


「じゃあ俺は……」


 考えて、答えは一つしか出てこなかった。


「セプテー、かな」


 あの連中だけは違う。


 これまで自分を追い出したパーティーすべてを恨んでいるわけではない。


 だが、セプテーだけは。


「いつか、あいつらとは決着をつけたい」


『承知しました』


「でも……」


 レロスはそこで止まった。


「それが終わったら、俺は何をしたいんだろうな」


 答えは出なかった。


 リリィも急かさなかった。


『現時点で決定する必要はないと考えます』


「いいのか?」


『はい。将来の目標が未確定であることと、現在何もできないことは同義ではありません』


「そっか」


『目標そのものを探すことも可能です』


 レロスは少し笑った。


「人生の目標を探すのが目標って、変じゃないか?」


『問題ありません』


「エーアイさんらしい答えだね」


 リリィも笑った。


 最終的に何をしたいのかは、まだ分からない。


 だが、今やることなら分かる。


 リリィのモヒートとの決着。


 その先には、レロスのセプテーとの決着もある。


「じゃあ、まずは戦力を増やす?」


『はい。ただし、個人の能力向上だけに限定する必要はありません』


「というと?」


『《アイリス》そのものの戦力を増やすことを提案します』


 レロスとリリィは顔を見合わせた。


「仲間を増やすってこと?」


『はい』


「じゃあギルドで募集してみる?」


『それも選択肢です』


 そこで、エーアイは続けた。


『しかし、私は《ネスト》との接触を提案します』


「ネスト?」


 リリィの表情が少しだけ引き締まった。


「仲間を探すのに?」


『はい。《アイリス》が今後も《ネスト》との関係を維持するのであれば、表の依頼だけではなく、非公式な情報収集や特殊な仕事に関わる可能性があります』


「でも、犯罪をするつもりはないぞ」


『もちろんです。それは別の問題です』


 即答だった。


『《ネスト》に関係する人物であることと、その人物が犯罪者であることは同義ではありません。また、依頼元が《ネスト》であることと、依頼内容が違法であることも同義ではありません』


「一つずつ中身を見ろってことか」


『はい』


 レロスは少し考えた。


 以前なら、暗部と呼ばれる連中に自分から近づこうとは思わなかっただろう。


 だが、ツィーゲとはすでに何度か取引している。


 オクトーの件でも、彼らの情報が役に立った。


「……行ってみるか」


「うん」


 リリィも頷いた。


「話を聞くだけならね」


『合理的だと考えます』


 その日の午後。


 二人はツィーゲと会っていた。


「……で?」


 話を聞き終えたツィーゲが、何とも言えない顔でレロスを見ている。


「俺に、仲間を紹介しろって?」


「うん」


「お前なあ……」


 ツィーゲは額に手を当てた。


「普通、俺たちみたいなのと繋がりができた冒険者は、必要以上に近づかないようにするもんだぞ」


「どうして?」


「どうしてって……暗部だからだよ」


「でも、ツィーゲは俺たちを騙した?」


「いや」


「約束した情報は持ってきたよな?」


「ああ」


「だったら、今のところ取引をやめる理由はないだろ?」


 ツィーゲは黙った。


「もちろん、何でもやるつもりはないよ。人を襲えとか、盗めとか、そういう仕事なら断る」


「そこはきっちりしてんのな」


「でも、暗部だからって理由だけで、全部駄目だって決める必要もない」


『正確には、個々の案件について危険性と利益を評価することを提案しました』


「そう、それ」


「……お前ら、本当に変わってんな」


 ツィーゲは椅子の背にもたれた。


 しばらく考えていたが、やがて口元を歪めた。


「まあ、ちょうどいいか」


「何が?」


「こっちにも都合がある」


 ツィーゲは声を少し落とした。


「俺たちもな、表で堂々と動ける冒険者が欲しかったんだ」


 レロスは瞬きをした。


「ネストには人がいるんじゃないの?」


「いるさ。だが、全員が冒険者として表を歩けるわけじゃねえ。それに俺たちの人間が直接動けば、余計な勘繰りをされる仕事もある」


「なるほど……」


『双方の利害が一致する可能性があります』


「俺もそう思ったところだ」


「それで?」


 レロスは聞いた。


「誰かいるの?」


「ああ」


 ツィーゲは指を二本立てた。


「二人、心当たりがある」


「二人?」


「腕は悪くない。表でも動ける。お前らが裏の仕事を受けることになっても、いちいち説明する必要もない」


「犯罪者じゃないよな?」


「そこまで心配なら会って自分で確かめろ」


 ツィーゲは肩をすくめた。


「俺がするのは紹介までだ。そいつらがお前らを気に入るかも、お前らがそいつらを気に入るかも知らん」


 レロスはリリィを見る。


 リリィが頷いた。


「分かった。会ってみる」


「じゃあ話を通しておく。明日、二人とも連れてきてやるよ」


 話は決まった。


 レロスたちが店を出たあと。


 ツィーゲはしばらく閉じた扉を眺めていた。


「……やっぱり面白えな、あいつ」


 近くにいた男が首を傾げる。


「そんなにですか?」


「ああ」


 ツィーゲは笑った。


「普通は逆だ。俺たちみたいなのと関わったら、用が済んだところで距離を取ろうとする」


「まあ、普通はそうでしょうね」


「なのにあいつは、こっちから何を引き出せるか考えてやがる」


 危険を理解していないわけではない。


 犯罪には加担しないと、はっきり線まで引いた。


 そのうえで、使える関係なら利用する。


「この前は俺たちを単なる情報屋じゃなくて『機能』として使いやがった」


 ツィーゲは口元を吊り上げた。


「今度は、その機能そのものを増やしに来やがった」


「ずいぶん気に入ってますね」


「面白えものは面白えよ」


 レベル1。


 最初に聞いたときは、何かの冗談かと思った。


 今でも本人の強さだけなら、大したことはないのだろう。


 だが、ツィーゲには少しずつ分かってきた。


 あの少年は、自分一人でできることだけを数えていない。


 使える知識。


 使える金。


 使える人間。


 そして、使える関係。


 それらを一つずつ増やしている。


「二人には話を通しておけ」


「分かりました」


「明日、《アイリス》に会わせる」


 ツィーゲは楽しそうに笑った。


「さて――あいつら、どう使うつもりだろうな」

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