第20話 静かな決着
それから数日後。
レロスとリリィは、以前にも使った小さな酒場を訪れていた。
目的は酒ではない。
奥まった席には、すでにあの男が座っていた。
「よう。来たな」
「何か分かった?」
「ああ。それどころか、思ったより早く動いた」
男はテーブルの上で指を組んだ。
「オクトーだが――一線を越えたぞ」
レロスの表情が変わる。
「一線?」
「貴族お抱えの商人を襲った」
「えっ」
リリィが声を上げた。
「幸い死者は出てない。だが、荷は奪われた。もう冒険者同士の揉め事じゃない。立派な強盗だ」
「……そこまで」
レロスは言葉を失った。
自分がオクトーにいた頃。
ガルドたちは決して品行方正ではなかった。
報酬を不当に減らされたこともある。
危険な仕事を押しつけられたこともある。
それでも、商人を襲って荷物を奪うような者たちではなかった。
「それだけじゃない」
男は続けた。
「少し前からギルドへの報告を誤魔化してた形跡がある。正規じゃ扱えない品の運搬にも手を出してるな」
「禁制品?」
「その中にも含まれてる」
レロスはリリィを見る。
リリィも険しい顔をしていた。
「証拠は?」
「ある」
男は即答した。
「商人襲撃については目撃証言もある。奪った荷の一部を売ろうとした形跡も押さえた。それ以外についても、こっちでそれなりに集めてある」
「そこまで調べたの?」
「金をもらったからな」
男が笑う。
「で、ここからが商売だ」
「商売?」
「ああ」
男が少し身を乗り出した。
「その証拠、買わないか?」
レロスは黙った。
「お前、あいつらに随分ひどい扱いをされてたんだろ?」
「……まあ」
「だったら使い道はいくらでもある。ギルドに持ち込むもよし。衛兵に渡すもよし。貴族側に売るのもいい。どう使うかは買った奴の自由だ」
証拠を買う。
それ自体は理解できる。
レロスが依頼したのだから、集めた情報に金を払うのも当然だ。
だが――。
「少し相談していい?」
「好きにしろ」
レロスはリリィを見る。
「どう思う?」
「証拠があるなら、オクトーはもう……」
「うん」
『マスター』
エーアイの声が割って入る。
『目的を確認することを推奨します』
「目的?」
『はい。マスターの目的は、オクトーへの復讐でしょうか。それとも、オクトーが今後マスターやリリィさんに危害を加える可能性を排除することでしょうか』
レロスは考えた。
ガルドは自分を探している。
その目的までは分からない。
だが、すでに商人を襲うところまで来ている。
放っておいて安全だとは思えない。
「……危険がなくなれば、それでいい」
『であれば、マスター自身が証拠を所有する必要性は低いと考えます』
「そうか」
証拠が欲しいわけではない。
ガルドを自分の前に引きずり出したいわけでもない。
必要なのは結果だ。
レロスは男へ向き直った。
「決めた」
「買うか?」
「ううん」
男の眉がわずかに動いた。
「証拠は、俺に渡さなくていい」
「……何?」
「その代わり、お願いがある」
レロスは続ける。
「証拠をギルドと、襲われた商人の後ろにいる貴族へ渡してほしい」
男は何も言わなかった。
「できれば、俺の名前は出さないで」
「待て」
初めて男の方から話を止めた。
「お前、その証拠を使って自分で何かするんじゃないのか?」
「しないよ」
「相手はお前を探してるんだぞ」
「だからだよ」
レロスは答えた。
「俺が会いに行く必要はない」
男が目を細める。
「ギルドと貴族に証拠が届けば、あとはそっちが調べるよね?」
「まあな」
「だったら、それでいい」
「……なるほどな」
男は椅子の背にもたれた。
少しの間、レロスを眺める。
やがて口元が緩んだ。
「面白い」
「え?」
「いや、こっちの話だ」
男は再び身を乗り出した。
「分かった。その依頼、引き受ける」
「料金は?」
「当然もらう」
「だよね」
「ただし」
男は笑った。
「今回は少し勉強してやる」
「いいの?」
「こっちにも都合があるんでね」
それ以上は説明しなかった。
レロスも聞かなかった。
「そういや、まだ名乗ってなかったな」
男が言う。
「俺はツィーゲ」
「ツィーゲ?」
「ああ。それと、俺たちのところは《ネスト》って呼ばれてる」
初めて聞く名前だった。
「《ネスト》……」
「覚えておいてくれ。情報が必要になったら、また俺を通せばいい」
ツィーゲは片手を上げた。
「これからも御贔屓にな」
「うん。よろしく」
必要な金を支払い、レロスとリリィは店を出ていった。
「……面白えな」
二人の姿が見えなくなってから、ツィーゲが呟いた。
「何がです?」
離れた席にいた男が尋ねる。
「普通なら証拠そのものを欲しがる」
復讐に使う。
脅しに使う。
あるいは自分で役所へ持ち込んで、相手を潰した実感を得る。
そういう客はいくらでもいた。
「だが、あいつは違った」
ツィーゲが笑う。
「証拠を買うんじゃなくて、証拠が必要な場所に届くところまで依頼しやがった」
「変わった奴ですね」
「ああ」
情報屋から情報を買う。
普通はそこで終わる。
だがレロスは、その先まで使った。
「こいつ、俺たちを単なる情報屋じゃなくて『機能』として使いやがった」
不愉快ではなかった。
むしろ逆だ。
「レベル1だったか?」
「そう聞いてます」
「へえ」
ツィーゲは笑った。
「先がちょっと楽しみになってきたな」
◇
「何の真似だ!」
ガルドの怒鳴り声が響いた。
オクトーが使っていた宿の一室。
その出入口には複数の衛兵が立っていた。
「ガルドだな」
「だったら何だ!」
「商人襲撃および積荷強奪の容疑で拘束する」
「知らねえよ!」
「そうか」
衛兵は淡々としていた。
「では、奪われた荷の一部がお前たちの売却先から発見された件についても知らないということだな」
ガルドの顔が固まった。
「それは……」
「他にもある」
後ろにいた男が書類を広げる。
ギルドの職員だった。
「討伐報告の虚偽。素材の不正な横流し。依頼中に取得した品の未報告」
「ちょっと待て!」
「禁制品の運搬についても証言が取れている」
「俺たちは運んだだけだ!」
「つまり運んだこと自体は認めるんだな?」
「違う!」
ガルドが叫ぶ。
「嵌められたんだ!」
「誰に?」
「レロスだ!」
部屋が静かになった。
衛兵が眉を寄せる。
「……誰だ、それは?」
「レロスだよ! あいつが全部仕組んだんだ!」
「ガルド」
仲間の一人が低い声で呼んだ。
「うるせえ! あいつを追い出してから全部おかしくなった! 店も、ギルドも、裏の連中も! 全部あいつが――」
「もうやめろよ」
「あ?」
「レロスじゃねえだろ」
仲間は力なくガルドを見ていた。
「商人を襲ったのは俺たちだ」
「それは金が必要だったからだ!」
「ギルドに嘘ついたのも俺たちだ」
「だから、それは――」
「怪しい荷を運んだのも俺たちだ」
「黙れ!」
「全部、俺たちがやったことだろ」
「黙れって言ってんだろ!」
ガルドが仲間へ掴みかかろうとした。
その前に衛兵二人が腕を押さえる。
「離せ!」
暴れる。
「レロスを連れてこい!」
誰も答えない。
「あいつがやったんだ! 全部あいつが!」
ガルドの声だけが響く。
だが、そこにレロスはいなかった。
最後まで。
ガルドが探していた男は、一度も彼の前に現れなかった。
◇
さらに数日が過ぎた。
「終わったぞ」
再び会ったツィーゲは、まるで普通の仕事の報告でもするように言った。
「オクトー?」
「ああ。全員捕まった」
「……そう」
「証拠が証拠だからな。貴族側も動いた。ギルドも調査した。言い逃れは難しいだろう」
「ガルドは?」
「主犯扱いだ。商人襲撃を主導したのもあいつらしい」
ツィーゲは少し間を置く。
「まあ、処刑は免れないだろうな」
「…………」
レロスはしばらく黙っていた。
嬉しい。
そう感じるのかと思っていた。
自分を何度も危険な目に遭わせた相手だ。
最後には役立たずと呼ばれ、追い出された。
それが今、すべてを失った。
だが――。
「……そっか」
出てきたのは、それだけだった。
「会いに行くか?」
「え?」
「今なら居場所は分かるぞ」
レロスは少し考えた。
「行かない」
「いいのか?」
「うん」
もう終わったのだ。
会って何かを言いたいとも思わなかった。
「分かった」
ツィーゲも、それ以上は聞かなかった。
店を出る。
隣を歩いていたリリィが、しばらくして口を開いた。
「……終わったね」
「うん」
レロスにとって、長く引っ掛かっていたものの一つが消えた。
剣を振るったわけではない。
ガルドと戦ったわけでもない。
顔すら合わせなかった。
それでも、危険はなくなった。
「リリィ」
「なに?」
「調査依頼中のモヒートのこともネストにお願いする?」
リリィの足が止まった。
『同様の方法で、モヒートとの直接接触を回避することは可能だと考えます』
エーアイが続ける。
『必要であれば、《ネスト》を情報収集後に利用することも選択肢となります』
リリィはしばらく黙っていた。
「……ううん」
そして首を横に振る。
「あの人たちは、違う」
「違う?」
「まだ上手く説明できないけど……」
リリィは腰の剣へ触れた。
「あの人たちだけは、私が自分で終わらせたい」
『承知しました』
エーアイは否定しなかった。
『では、その条件を含めて、今後の選択肢を検討します』
「ありがとう、エーアイさん」
オクトーは終わった。
だが、それですべての過去が消えたわけではない。
レロスにはレロスの決着があった。
そしてリリィには、リリィの望む決着がある。
同じ方法を選ぶ必要はない。
レロスは再び歩き始めた。
レベルは、今日も1のまま。
それでも、自分で剣を振るわなければ解決できない問題ばかりではない。
それを知ったこともまた、レロスがこれまで積み重ねてきたものの一つだった。




