第18話 依頼を果たすということ
「《アイリス》に、指名依頼ですか?」
冒険者ギルドの受付で、レロスは思わず聞き返した。
「はい。以前、薬草の採集依頼を出された商会からです」
受付の女性が依頼書を差し出す。
レロスとリリィが正式にパーティー《アイリス》を結成してから、依頼をこなした回数も随分と増えた。
レロスのレベルは、相変わらず1。
リリィのようにレベルが上がることもなければ、新しい戦闘スキルを覚えることもない。
それでも、二人でこなせる仕事は少しずつ増えていた。
「俺たちを選んだ理由って、聞いてもいいですか?」
「前回の仕事が丁寧だったからだそうですよ。採集したものの状態も良かったですし、依頼内容に沿って必要な量をきちんと納品してくれた、と」
「……なるほど」
レロスは少しだけ嬉しくなった。
隣を見ると、リリィも小さく笑っている。
「信用って、本当に仕事になるんだな」
『はい、マスター』
頭の中だけではなく、リリィの耳にも《共感》を通してエーアイの声が届く。
『少なくとも今回については、過去の実績が次の取引につながったと判断できます』
「この前の話、そのままだね」
リリィが言った。
「ああ」
ただし、依頼書を読み進めるにつれて、レロスの表情は真剣なものへ変わった。
採集するのは《月影草》。
ゾハルから少し離れた森林地帯に自生する薬草で、必要なのは十株。
月影草そのものが極端に珍しいわけではない。
問題は、その周辺に魔物が多いことだった。
依頼の報酬も、普通の採集依頼より高い。
「採集だけど、簡単な仕事じゃないな」
「だから私たちを指名したのかも」
『可能性はあります。ただし、推測です』
レロスは頷いて、依頼書を最後まで確認した。
目的は月影草十株の納品。
魔物の討伐ではない。
期限にも余裕はある。
「受けよう」
「うん」
二人は依頼を引き受けた。
翌朝。
出発前のレロスは、一枚の紙を手にしていた。
「剣」
「大丈夫」
「盾」
「大丈夫」
「予備の短剣」
「あるよ」
「傷薬、包帯、水、食料、ロープ……」
一つずつ確認していく。
リリィが、その様子を見ながら苦笑した。
「なんだか面倒だね、これ」
「俺もそう思う」
『チェックリストは、知らないことを教えるためだけのものではありません』
エーアイが答える。
『知っていることを忘れないためにも有効です』
「忘れないように、忘れてないことまで確認するのか?」
『はい』
「やっぱり面倒だな」
『面倒であることと、有効であることは両立します』
「エーアイさんらしい答え」
リリィが笑った。
だが二人とも、確認を途中でやめることはなかった。
森林に入ってからは、慎重に進んだ。
目的地までの道は、事前に司書館の資料とギルドの情報を照らし合わせている。
それでも、実際の森が資料通りとは限らない。
倒木が道を塞いでいる場所もあれば、雨で地面がぬかるんでいる場所もあった。
魔物とも二度遭遇した。
一度目は遠回り。
二度目は避ける方が危険だと判断し、リリィが倒した。
レロスも周囲を警戒しながら援護したが、戦闘そのものは短時間で終わった。
「採集依頼なのに、結局戦うんだよな」
『危険を完全に回避することと、不必要な戦闘を避けることは異なります』
「分かってるよ」
やがて、目的の場所へ到着した。
月影草は湿った岩場の陰に群生していた。
「これだな」
『司書館で確認した特徴とは一致しています。ただし、最終的な判断は――』
「葉の形、色、根元。それに匂いも確認した。間違いないと思う」
『はい』
レロスは必要な分だけ丁寧に採取していく。
十一株。
十株が依頼分で、一株は運搬中の傷みなどに備えた予備だ。
状態を確認して、専用の袋へ収める。
「よし」
レロスが立ち上がった。
「帰ろう」
「うん」
目的は達成した。
あとは無事に持ち帰るだけだった。
――その帰り道。
先を歩いていたリリィが、突然足を止めた。
「レロス」
「どうした?」
「……あれ」
木々の隙間。
一頭の魔物がいた。
鹿に似た四本の脚。
しかし、その身体は鹿より遥かに大きく、額から伸びた二本の角は淡い銀色をしている。
レロスにも見覚えがあった。
「銀角鹿……?」
『外見上の特徴は、司書館で確認した《銀角鹿》の記述と高い一致を示しています』
珍しい魔物だった。
危険ではある。
だが、それ以上に――高い。
角だけでもかなりの値段になる。
毛皮にも価値がある。
状態よく仕留めれば、今回の依頼報酬を遥かに上回る金額になる可能性があった。
「……ねえ、レロス」
「ああ」
二人とも同じことを考えていた。
「倒せると思う?」
リリィが尋ねる。
『現時点で得られている情報と、リリィさんの現在の戦闘能力から判断すれば、討伐可能性はあります』
「あるんだ」
『はい。ただし、推奨はしません』
リリィが銀角鹿から目を離さないまま聞く。
「どうして?」
『今回の目的と一致しないためです』
レロスは背負った荷物へ視線を向けた。
中には月影草が入っている。
『戦闘を行えば、負傷、装備損耗、採集物の破損、帰還遅延などが発生する可能性があります』
「でも、倒せたら今回の報酬よりずっと儲かるぞ」
『その可能性もあります』
「だったら……」
レロスはそこで言葉を止めた。
銀角鹿。
月影草。
そして、出発前に交わした依頼。
『マスター』
「分かってる」
レロスは苦笑した。
「今回、俺たちが頼まれたのは銀角鹿を倒すことじゃない」
「月影草を持って帰ること」
リリィが続けた。
『はい』
エーアイは淡々と答えた。
『依頼主が《アイリス》に求めたものは、指定された素材を、指定された条件で納品することです』
レロスは銀角鹿を見た。
惜しい。
ものすごく惜しい。
「……帰ろう」
「うん」
二人は静かに後退した。
そのまま離れられる。
――はずだった。
「……こっち見た」
「見てるな」
銀角鹿が顔を上げた。
次の瞬間、地面を蹴った。
「来る!」
『接触を回避してください!』
「リリィ!」
「うん!」
リリィが前へ出る。
剣を抜いた。
だが、狙うのは首でも胴でもない。
「《フェイント》!」
銀角鹿が反応した。
リリィの剣筋を避けるため、大きく進路を変える。
「今!」
レロスが地面へ石を投げた。
狙いは銀角鹿ではない。
少し離れた茂みだ。
激しい音を立てて枝葉が揺れる。
銀角鹿の意識が一瞬そちらへ向いた。
『離脱可能です』
「逃げるぞ!」
「うん!」
二人は走った。
全力だった。
振り返らない。
銀角鹿を倒せば大金になる。
そんなことを考えている余裕もなく、ひたすら森の中を駆け抜ける。
『追跡速度が低下しています』
「まだ走る!」
『はい。その判断を支持します』
「はぁ……っ、これ……冒険者として……格好悪くない!?」
息を切らせながらリリィが言う。
「生きて帰ればいいんだよ!」
『加えて、依頼品を保持した状態での帰還が今回の目的です』
「エーアイさんは……元気だね!」
『私は走っていませんので』
「ずるい!」
やがて銀角鹿の姿は完全に見えなくなった。
ゾハルへ戻った二人は、そのまま依頼主のもとへ向かった。
月影草を一株ずつ確認した商人が頷く。
「確かに十株。状態もいい」
予備の一株も必要なく、依頼は問題なく完了した。
「ありがとうございました。また機会があればお願いします」
報酬を受け取り、二人は店を出た。
しばらく歩いたところで、リリィが呟く。
「……銀角鹿」
「言うな」
「角だけでも、結構したよね」
「だから言うなって。俺も考えてるんだから」
『マスター。それを《機会費用》という観点から考えることもできます』
「きかいひよう?」
『ある選択をしたことで、選ばなかった別の選択から得られた可能性のある利益です』
「じゃあ、やっぱり俺たちは損したのか?」
『いいえ。それだけでは判断できません』
エーアイは続ける。
『銀角鹿を討伐して得られた可能性のある利益と引き換えに、依頼の確実な達成、安全な帰還、装備の維持、そして依頼主からの信用を優先しました』
レロスは少し考える。
「……信用も、財産だったな」
『はい』
「なら、まあ……いいか」
「でも、ちょっと惜しかった」
「それは俺も同じだよ」
二人は顔を見合わせて笑った。
銀角鹿は倒せなかった。
レベルも上がっていない。
手に入れたのは、最初に約束された報酬だけだ。
それでも《アイリス》は、頼まれた仕事をきちんと終えた。
目の前の大きな利益より、約束した仕事を優先する。
それもまた、これから積み重ねていくものの一つなのだと、レロスは思った。




