第14話 情報という武器
「よし、終わった!」
レッドボアが地面に倒れる。
リリィはしばらく様子を見てから、構えていた剣を下ろした。
「今日も順調だったね」
「ああ」
レロスも短剣を鞘へ戻す。
ゾハルへ来て三か月。
レッドボアとの戦いにも、ずいぶん慣れた。
罠を使い、リリィが前衛を務め、エーアイが集めた情報から最も有効な行動を提示する。
今日も危ない場面はなかった。
「エーアイ。今日も順調だったな」
『いいえ、マスター。現在は危険な状態です』
「え?」
レロスは思わず周囲を見回した。
「まだ何かいるのか?」
『魔物ではありません。リリィさんの剣です』
「私の?」
リリィが手にした剣を見る。
血を拭えば、いつも使っている剣だ。
『刃こぼれが増えています。また、これまでの使用状況から考えて、武器そのものにも相応の負荷が蓄積していると考えます』
「でも、まだ使えるよ?」
『はい。現在は使用可能です』
「なら――」
『使用不能になってからでは遅いのです』
リリィが黙った。
レロスも剣を見る。
確かに、戦いの最中に折れたら「予備を買っておけばよかった」では済まない。
『マスター。PMという考え方があります』
「ぴーえむ?」
『予防保全です。故障してから修理、交換することをBM、事後保全。故障する前に整備や交換を行うことをPM、予防保全と呼びます』
「また知らない言葉が出てきたな……」
「でも、言ってることは分かるよ」
リリィが剣を見ながら言った。
「壊れてからじゃ遅いってことでしょ?」
『はい』
「じゃあ、帰ったら武器屋だな」
『もう一点、提案があります』
「まだあるのか?」
『リリィさんの予備武器を購入することを推奨します』
「予備?」
『主武器が使用不能になった場合に備えるためです。同等の剣を二本用意する必要はありません。携行性を考えれば、短剣が適切と考えます』
レロスは自分の腰にある短剣を見る。
「なるほどな」
「剣が折れて、素手になるよりはずっといいね」
『はい。予備武器は主武器より使用頻度が低くなります。高価なものを選ぶ必要性もありません』
「よし。今日は武器屋にも寄ろう」
◇
ゾハルへ戻り、ギルドで討伐報告を済ませた二人は武器屋へ向かった。
リリィがこれまで使っていた剣より、少しだけ質の良いもの。
それが今回の条件だった。
最高級品には手を出さない。
そんな金はないし、仮に買えたとしても、その一本ですべての貯金を失っては意味がない。
リリィが何本かの剣を握り、重さを確かめる。
「これ、使いやすいかも」
『これまで使用していた剣と比較して、重量の差は大きくありません。現在のリリィさんの戦い方を変更する必要も少ないと考えます』
「値段は?」
「……買えなくはない」
レロスは財布の中身と相談する。
三か月前なら諦めていただろう。
だが今は違う。
依頼をこなし、生活費を払い、それでも少しずつ貯金が増えている。
「買おう」
「いいの?」
「必要なものに使うために貯めてるんだからな」
リリィが嬉しそうに笑った。
「ありがとう」
「俺の剣じゃないけどな」
「それでも」
新しい剣。
そして、もう一本。
腰の邪魔にならない程度の短剣も選んだ。
「これで剣が使えなくなっても、何もできないってことはないな」
『はい。選択肢が一つ増えました』
エーアイのその言葉を、レロスは最近よく聞くようになった気がした。
◇
「次は司書館だな」
「今日も行くんだね」
「時間、まだあるだろ?」
「あるけど……」
リリィは少しだけ苦笑した。
「腕が疲れるんだよね」
ゾハルには《司書館》と呼ばれる施設がある。
大量の書物を保管し、料金を支払えば一定時間、それらを閲覧できる場所だ。
二人が初めて訪れたのは、ゾハルへ来て間もない頃だった。
それ以来、時間と金に余裕がある日は定期的に通っている。
目的はもちろん――。
『次のページをお願いします』
「はいはい」
ぱらり。
リリィがページをめくる。
『記録しました。次をお願いします』
ぱらり。
『記録しました』
ぱらり。
『記録しました。次をお願いします』
「……エーアイさん」
『はい』
「速いよ」
『読む速度を落とす必要がありますか?』
「そうじゃなくて、めくる私の腕が疲れるの」
『理解しました。適度な休憩を推奨します』
「そうする……」
レロスは向かい側で別の本を読みながら笑った。
《共感》によってリリィの視覚を共有できるようになってから、エーアイは書物を直接読むことができるようになった。
ただし、勝手に本を開けるわけではない。
本を探すのも人間。
棚から持ってくるのも人間。
ページをめくるのも人間。
司書館を利用できる時間にも限りがある。
一日で何百冊もの本を読み尽くせるような、都合のいい話ではなかった。
それでも三か月。
魔物。
薬草。
地理。
素材。
武器。
この世界についてエーアイが知らなかった情報が、少しずつ蓄積されている。
そして一度記録した情報を、エーアイは忘れない。
「そう考えると、ここに払ってる金も無駄じゃないよな」
『はい。非常に有効な投資と判断しています』
「投資か」
『知識は消耗しません』
「剣とは違うってことか」
『ただし、注意は必要です』
「何が?」
『書物に記載されている内容が、必ずしも正しいとは限りません』
レロスは読んでいた本から顔を上げた。
「本に書いてあるのに?」
『書いた人物が誤っている可能性があります。また、記録された当時は正しくても、現在では状況が変化している可能性があります』
「なるほど……」
そこでレロスは思い出した。
「だからギルドの情報も買ってるのか?」
『はい』
◇
司書館を出た二人は、再び冒険者ギルドへ向かった。
依頼を受けるためではない。
情報を得るためだ。
ギルドには周辺地域の地図や、魔物の出現情報などが集まっている。
冒険者の生死にも関わる情報だ。
当然、すべてが無料というわけではない。
「司書館で調べてるだけじゃ駄目なのか?」
『駄目ということではありません。役割が異なります』
「役割?」
『司書館では、長い時間をかけて蓄積された体系的な情報を得られます。いわば、私の基礎となる情報を増やす場所です』
「じゃあ、ギルドは?」
『現在の情報を更新する場所です』
「更新……」
『例えば、レッドボアの基本的な生態は急激には変化しません。しかし、現在どの地域で多く確認されているか、どの街道で被害が出ているかは変化します』
「ああ!」
レロスにも分かった。
「司書館でレッドボアそのものを知って、ギルドで今のレッドボアを知るのか」
『はい。その理解で問題ありません』
「だから今日も?」
『はい。新しい情報が存在するか確認することを推奨します』
ギルドで公開されている情報を確認する。
周辺の魔物。
街道。
新しく報告された危険地域。
先日聞いた、冒険者を狙う野盗や盗賊についても、わずかだが情報が増えていた。
「情報って、結構金がかかるんだな」
『はい』
「司書館にも払って、ギルドでも払って」
『しかし、知らなかったことによって命を失えば、節約した金銭に意味はありません』
「それはそうだけどさ」
『また、情報源はこの二つだけではありません』
「まだあるのか?」
『はい』
エーアイは少し間を置いた。
『この街には、非公式な情報を扱う人々も存在すると考えられます』
「非公式?」
『一般に表社会では扱われない情報です。人間関係、噂、個人の行動、商取引、表沙汰になっていない争いなどです』
「……それって」
レロスは声を小さくした。
「暗部とか、そういう連中か?」
『その呼称が適切であるならば、そうなります』
「いやいや」
レロスは顔をしかめた。
「そういう奴らって、ヤバい薬とか、違法に奴隷を売ったりしてるんじゃないのか?」
『そのような組織が存在する可能性はあります』
「ほら」
『しかし、それだけを理由に、非公式な情報網すべてを同一視することは適切ではありません』
「……そうなのか?」
『はい。表社会では好ましくないとされる行為であっても、この世界では一定の役割を持つ仕組みとして存在している可能性があります』
エーアイの声には、嫌悪も好意もない。
ただ情報を分析しているだけだった。
『例えば、特定の地域で商人から定期的に金銭を受け取り、その対価として揉め事の仲裁や警備を行う組織が存在したとします』
「それ、金を払わなかったらどうなるんだ?」
『現時点では情報がありません』
「……なんか嫌な予感しかしないぞ」
『マスターが好ましく感じるかどうかと、その仕組みが存在するかどうかは別の問題です』
「それは、そうだけど……」
『重要なのは、それを利用することがマスターたちにとって有益か、危険性はどの程度か、そして何を目的として利用するかです』
「利用する気なのか?」
『現時点では必要ありません』
エーアイは即答した。
『ただし、将来的に公的な情報だけでは不足する状況が発生した場合、情報源の一つとして検討する価値はあります』
「手札として持っておくってことか」
『はい』
レロスは腕を組んだ。
「……必要になったら考える」
『それで問題ありません』
司書館には、蓄積された知識がある。
ギルドには、今を知るための情報がある。
そして、この街には表には出てこない情報も存在するらしい。
今すぐ、そのすべてが必要なわけではない。
けれど、知らなければ選ぶことさえできない。
「剣も買ったし、短剣も買った」
「うん」
「司書館にも通って、ギルドの情報も買う」
「うん」
「……冒険者って、もっと剣振って魔物を倒す仕事だと思ってたな」
リリィが笑った。
「私も」
『戦闘は冒険者の仕事の一部に過ぎないと考えます』
「エーアイに言われると身も蓋もないな」
レロスも笑った。
レベルは上がらない。
だからこそ、使えるものを増やしていく。
武器も。
知識も。
情報も。
必要になったとき、自分たちで選べるように。
《アイリス》の手札は、少しずつ増えていた。




