第11話 スキル『共感』
リリィがレロスの部屋で暮らし始めてから、五日が過ぎた。
「……よし、できた!」
レロスは鍋の蓋を開け、湯気の立つスープを器に注いだ。
今日の夕食は、野菜と豆、それに少量の肉を煮込んだものだ。
「いい匂いね」
寝台に腰かけていたリリィが、興味深そうに顔を上げた。
「今日はちょっと奮発したんだ。肉が安く手に入ったからな」
「……無理してない?」
「大丈夫。ちゃんと計算してるよ」
レロスは笑って答えた。
とはいえ、懐事情は決して楽ではない。
講習の補助と荷物運びの仕事は、以前と変わらず続けている。収入そのものは安定していたが、今は二人分の食費が必要だった。
治療費で大きく減った貯蓄も、わずかに増えた程度だ。
『現在の収支では、大きな余裕はありません』
「……分かってるって」
「え?」
「あ、いや。何でもない」
リリィが不思議そうに首をかしげた。
レロスは慌てて器を差し出す。
「ほら、冷めないうちに食べよう」
「うん。ありがとう」
二人で机を囲む。
最初は遠慮がちだったリリィも、最近は少しずつ食事の量が増えてきた。
顔色もよくなり、部屋の中なら普通に歩けるようになっている。
ただ、長く立っていると疲れるらしく、レロスはまだ仕事をさせないようにしていた。
「そういえば、今日はどうだった?」
リリィが尋ねた。
「仕事? いつもどおりだよ。午前中は講習の手伝い、午後は荷物運び」
「……私も、何かできればいいんだけど」
「今は休むのが仕事だって言っただろ」
「それ、もう何回も聞いた」
「じゃあ、覚えてるな」
レロスが笑うと、リリィもつられて笑った。
数日前までは、こんなふうに冗談を交わせるとは思っていなかった。
◇
夕食を終えたあと、レロスはリリィに声をかけた。
「そうだ。ちょっと体調を確認してもいいか?」
「体調?」
「ああ。エーアイに教えてもらった方法があるんだ」
「……エーアイ?」
「俺のスキルの名前。前に話しただろ?」
「うん。いろいろ教えてくれるんだよね」
「そうそう。ちょっと変わってるけど、頼りになるんだ」
『変わっているという評価については、少々疑問があります』
「……そういうところだよ」
「ふふっ。面白いね」
リリィにはエーアイの声は聞こえない。
そのため、レロスが独り言を言っているように見えるらしい。
「それで、何をするの?」
「膝を軽く叩いて、足が動くか確かめるんだって」
「……そんなことで分かるの?」
「俺も最初はそう思った」
レロスは椅子に座ってもらい、リリィの膝の下が自由に動く姿勢を取らせた。
『膝蓋骨の少し下にある腱を、軽く叩いてください。強く叩く必要はありません』
「この辺りか?」
『位置はマスターの説明だけでは確認できません。無理に続けないでください』
「分かった。痛かったら言ってくれよ」
「うん」
レロスが膝の下を軽く叩くと、リリィの足がぴくりと動いた。
「おっ、動いた!」
「……本当だ。勝手に動いた」
リリィは不思議そうに自分の足を見つめた。
「前に自分で試したときは、もっと反応が鈍かった気がするんだよな」
『膝蓋腱反射は神経の働きを確認する方法の一つです。ただし、反応があることだけで栄養状態の改善を証明することはできません』
「……やっぱりそうか」
『食欲、疲労感、歩行時のふらつきなども合わせて確認してください』
「なるほど。リリィ、最近は歩いていてふらつくか?」
「ほとんどないかな。前よりずっと楽になった」
「食欲も戻ってきたよな」
「うん。レロスの料理、おいしいから」
「それはよかった」
『回復傾向にあると考えられます。ただし、無理は禁物です』
「だってさ。もう少し休んでくれよ」
「……分かった」
リリィは少し残念そうに答えたが、その表情は明るかった。
◇
「そういえば、リリィのスキルって何なんだ?」
レロスが尋ねたのは、食器を片づけたあとだった。
「俺のエーアイみたいに、変わったスキルだったりする?」
「……私の?」
「うん。話したくなかったら別にいいけど」
「隠すようなものじゃないよ」
リリィは少し考えてから答えた。
「私のスキルは『共感』っていうの」
「共感?」
「うん。相手と視界や音、それに言葉を共有できるの」
「……どういうこと?」
「見せた方が早いかな」
リリィはレロスを見つめた。
「レロス、私とつながってみる?」
「つながる?」
「うん。私の見ているものを、レロスにも見せられるの。相手が同意してくれれば使えるから」
「へえ……。危なくないのか?」
「大丈夫。前にも何度も使ってるから」
「じゃあ、お願いしてもいい?」
「うん。目を閉じて、私の声に集中して」
レロスは言われたとおりにした。
「……接続するね」
次の瞬間。
「……うわっ!」
レロスは思わず声を上げた。
目を閉じているはずなのに、部屋の景色が見えたのだ。
しかも、自分の視点とは違う。
机の向こう側に、自分自身が座っている。
「……これ、俺!?」
「うん。今、私が見ている景色だよ」
「おー、すごい!」
レロスは思わず目を開けた。
すると、自分の目で見ている景色と、リリィの視界が重なるように感じられた。
「ちょ、ちょっと待って! なんか変な感じだ!」
「慣れるまでは、自分の目を閉じていた方がいいかも」
「なるほど……」
再び目を閉じる。
今度は落ち着いて、リリィの視界を眺めた。
「本当に見えるんだな。これって、遠くにいても使えるのか?」
「うん。距離は関係ないみたい」
「えっ!? じゃあ、街の反対側にいても?」
「できるよ」
「すごいな……」
レロスは感心した。
「それに、声を出さなくても話せるの」
『レロス、聞こえる?』
「うわっ!」
頭の中に、リリィの声が響いた。
「聞こえた! 今の、リリィだよな?」
『うん。こうやって話せるの』
「……本当にすごいな!」
レロスは何度も感心した。
「これ、冒険者なら相当便利なんじゃないか?」
「うん。前のパーティーでも使ってた」
「どんなふうに?」
「私が先に進んで、敵がいないか調べたり……。見つけたものを、みんなに伝えたり」
「……ちょっと待て」
レロスの表情が変わった。
「リリィ、前衛で戦ってたんだよな?」
「うん」
「それで、斥候までやってたのか?」
「……そうだけど」
「そんなの、リリィばっかり危険じゃないか!」
思わず声が大きくなった。
リリィは少し驚いたように目を見開いた。
「……でも、私のスキルが一番向いてたから」
「だからって、何でも一人にやらせていいわけないだろ」
レロスは唇を噛んだ。
詳しい事情は知らない。
だが、リリィが無理を重ねていたことだけは分かる。
「……悪い。怒鳴るつもりじゃなかった」
「ううん」
リリィは首を振った。
「……ありがとう。怒ってくれて」
少しだけ、嬉しそうだった。
「そういえば、前のパーティーともつながったままなのか?」
「ううん。もう解除したよ」
「そっか。それなら安心だな」
レロスはそれ以上、尋ねなかった。
今は過去を掘り返すより、これからのことを考えたかった。
◇
「それにしても、すごいスキルだな……」
レロスは再び目を閉じ、リリィの視界を眺めた。
「エーアイ、聞いてるか?」
『はい。先ほどから説明を聞いています』
「リリィのスキル、すごいんだよ。目を閉じてるのに、机も椅子も見えるんだ」
『……マスター』
「ん?」
『一つ、確認してもよろしいでしょうか』
「どうした?」
『現在、マスターの正面に木製の机がありますか?』
「あるけど……」
『その上に、空の器が二つ置かれていますね』
「……え?」
レロスは目を開けた。
机の上には、確かに空の器が二つ並んでいる。
「……なんで分かったんだ?」
『私にも、その光景が見えています』
「…………は?」
レロスは固まった。
「……エーアイ?」
『はい』
「今、見えてるって言った?」
『正確には、視覚情報を受け取っている状態です』
「……えええっ!?」
レロスの大声に、リリィがびくりと肩を震わせた。
「ど、どうしたの!?」
「リリィ! ちょっと待って! すごいことになってる!」
「……え?」
「エーアイにも、リリィの見てるものが見えてるんだって!」
リリィは目を丸くした。
「……エーアイさんにも?」
『はい。リリィさん』
「……えっ?」
今度はリリィが固まった。
「……い、今の声……?」
『初めまして。私はエーアイと申します』
「…………」
リリィはゆっくりレロスを見た。
「……レロス」
「うん?」
「……あなたのスキル、喋るの?」
「……あれ? 言ってなかったっけ?」
「聞いてないよ!」
リリィが珍しく大きな声を出した。
レロスは頭をかいた。
「ごめん。俺にとっては当たり前だったから……」
『説明不足ですね、マスター』
「……お前まで言うか」
リリィはしばらく呆然としていたが、やがて小さく笑い始めた。
「……ふふっ。何それ」
「いや、俺もびっくりしてるんだけど」
「……面白いね、二人とも」
レロスもつられて笑った。
◇
三人は改めて、共感による接続を確認した。
リリィが窓の外を見ると、エーアイは通りを歩く人や建物の形を説明できた。
レロスが何も言わなくても、だ。
「……本当に見えてるんだな」
『はい。ただし、リリィさんの視界に入っている範囲に限られます』
「じゃあ、リリィが見てないものは分からない?」
『そのとおりです。音についても同様です』
「なるほど……」
レロスは腕を組んだ。
「でも、どうしてエーアイまでつながったんだ?」
『原因は不明です。マスターと私が、一つの接続対象として扱われた可能性はあります』
「……そんなこともあるのか」
『現時点では仮説にすぎません』
リリィは興味深そうに二人の会話を聞いていた。
「……エーアイさん」
『はい、リリィさん』
「これ、ずっとつながっていても大丈夫なの?」
『私の側で、接続による負担は確認できていません。ただし、共感の性質については、あなたの方が詳しいでしょう』
「うん。一度つながれば、私が解除するまでずっと続くの。何かを消費することもないよ」
「……便利すぎないか?」
レロスがつぶやく。
「それだけじゃないよ。離れていても使えるから」
『非常に有用な能力ですね』
エーアイが続けた。
『これまで私は、マスターから言葉で説明された情報だけをもとに助言してきました』
「ああ。薬草の形とか、いちいち説明してたもんな」
『しかし、今後はリリィさんの視覚情報を直接確認できます。状況の把握や、物の形状の比較など、支援できる範囲が広がる可能性があります』
「……おお!」
レロスは身を乗り出した。
「じゃあ、今までよりずっと便利になるってことか!」
『はい。ただし、見ただけで未知のものを正確に判別できるとは限りません』
「……そこは相変わらず慎重だな」
『誤った判断を避けるためです』
リリィがくすりと笑った。
「……エーアイさんって、面白いね」
『ありがとうございます』
レロスは二人を交互に見た。
いや、エーアイの姿は見えないのだが。
「……なんか、不思議だな」
「なにが?」
「今まで、エーアイと話せるのは俺だけだったんだ」
レロスは少し照れくさそうに笑った。
「それが、リリィとも話せるようになった」
リリィは静かにうなずいた。
「……私も、嬉しい」
「え?」
「このスキル、前は仕事で使うだけだったから」
リリィは自分の手を見つめた。
「でも、こんな使い方もあるんだね」
『リリィさんの協力によって、私にも新しい可能性が生まれました』
「……うん」
リリィは顔を上げた。
「これから、よろしくね。エーアイさん」
『こちらこそ、よろしくお願いいたします』
「俺も忘れるなよ?」
「ふふっ。もちろん、レロスも」
三人の笑い声が、小さな部屋に響いた。
レロスはまだレベル1のままだ。
リリィの身体も、完全に回復したわけではない。
それでも、昨日までとは何かが違っていた。
一人ではできなかったこと。
二人でも分からなかったこと。
それが、三人ならできるかもしれない。
レロスは、そんな予感を抱いていた。




