第15話 エピローグ:残響は世界の果てまで
あの前代未聞の卒業式、三クラス合同の型破りなステージは大成功を収めた。
一九八〇年代前半。地方都市の娯楽といえば、空き地に本当にテントを張ってやってくる移動サーカスか、テレビの向こうの『ドリフ』と『ひょうきん族』のコント、そしてベストテンの歌番組くらいのものだった。
宝塚のような華やかな舞台は遠い世界の出来事で、歌と、踊りと、笑いと、演奏は、それぞれが個別のジャンルとして独立していた時代だ。
『総合エンターテインメント』なんて言葉も、概念も、この街の大人たちは誰も知らなかった。
だからこそ、美香のタクトの元で三百人の子どもたちが披露した、合唱とダンスと演奏が混沌と融合したあの舞台は、大人たちにとって「理解の範疇を超えた怪物」だった。それは綺麗な芸術の鑑賞ではなく、ジャンル分けのできない圧倒的な熱量の塊として、体育館にいた観客たちの魂を容赦なく殴りつけた。大人たちは何が起きたのか分からないまま、ただ理屈抜きで涙を流し、その新しい表現の狂気に狂ったような拍手を送っていたのだ。
式が終わり、片付けの進む音楽室。お袋をはじめとする昭和の近所のおばさんたちが、オーケストラの千晃さんを取り囲んで、お節介なマシンガントークを炸裂させていた。
「いやぁ千晃ちゃん。ウチの聡と美香ちゃん、あんなに小さいうちから将来を約束しちゃってさぁ。千晃ちゃんみたいな綺麗なお姉さん、先を越されちゃって可哀想にねぇ、ほほほ!」
一人っ子マウントを跳ね返して全面的に勝ち誇っているお袋たちの哀れみ。だが、世界を回ってきたプロの演奏家は、全く動じていなかった。
千晃さんはフッと艶やかに微笑むと、海外遠征の土産話の代わりに、一枚の写真をハンドバッグから取り出して見せつけた。
「あら、お母様たち、心配しないで。……実は私、これ」
写真に写っていたのは、海外の有名なオーケストラで華々しく活躍する、映画俳優のようにハンサマな外国人の恋人の姿だった。
一九八〇年代前半の地方都市。街に外国人が一人歩いているだけでも、子どもたちが大騒ぎして後ろを付いていくような、そんな時代だ。お袋をはじめとする昭和の主婦たちにとって、それはただの「恋人」ではなく、文字通り異世界の住人だった。
「ええええっ!? 外国人っ!?」
「う、嘘でしょ、千晃ちゃん……本物の外国人なのっ!?」
一瞬で目を丸くし、ひっくり返りそうな勢いで大パニックに陥る昭和のお母さんたち。この日の夕方には、お袋たちの主婦ネットワークを通じて「千晃ちゃんが、青い目の外国人と国際結婚するらしい」という、もう一つの巨大なデマ(瓦版)が近所中に回ることになるのだが、それはまた別の話だ。
「じゃ、お先に失礼するわね。あの子たちの未来に、乾杯」
千晃さんは、唖然とするおばさんたちから見事なマウントを取り返し、大人の余裕のウィンクを俺に投げかけて、颯爽と音楽室を去っていった。あの人もまた、昭和の狭い枠組みなんて最初から眼中にない、最高に格好いい大人の一人だったのだ。
それから、長い年月が流れた。
情報の飢餓感に苦しみ、バタフライ・エフェクトを恐れ、大金も地位も名誉もいらないと、目立たない木琴の後ろに隠れて静かに生きるはずだった、俺のタイムリープ人生。
だが、あの少女の圧倒的なタクトによって力づくで檻に閉じ込められ、世界へと引きずり出された結果、俺たちの運命は歴史を大きく塗り替えていた。
ピアノやギターではない、ただの主役じゃないはずの「木琴」一本で、世界中の名だたるクラシック界の耳を総なめにし、その名を轟かせた俺。
当時は「女性の指揮者」というだけで色眼鏡で見られた古い時代を、圧倒的な実力と恐怖の統率力だけでなぎ倒し、世界の頂点に立ったマフィアのような巨匠、美香。
二人の結婚の噂は、いまや日本中だけでなく、世界のクラシック界の誰もが知る決定事項となっていた。あの、お袋が流した最初の八百人のデマは、今や世界規模の外堀となって彼らを逃がさない。
だが、当事者である二人の内実は、大衆が喝采するような甘いロマンチックなものでは、今もやっぱり、断じてない。
きらびやかな世界のコンサートホールの楽屋。ステージに向かう直前の薄暗がりのなかで、タクトを持った美香が、マレットを握る俺を振り返る。
「いい? 聡。今日も私の指揮に従いなさい。あなたの音も、その真剣な目も、全部私が支配してあげるんだから」
「へえ、やってみろよ、総帥。俺のこの進化した音に、お前のタクトが置いてけぼりにされないようにな」
お互いに不敵な、最高の戦友の笑みを交わし、二人はまばゆい光のあふれる世界のステージへと足を踏み出す。
主人公ツラをして人生をやり直していたはずの俺の運命は、あの日の音楽室で、リコーダーを抱えて手を挙げた俺の横顔を見ていた、あの少女によって徹底的にプロデュースされた。
「初恋のつもりが初恋されていた」――。
いや、「主人公のつもりが、主役にされていた」のだ。
今日も世界のどこかで、二人はお互いに負けじと、魂の底を激しく送り合い、響かせ合っている。
あの、夕焼けの音楽室から始まった、乾いた木の音色と、一本のタクトを介して。




