第13話 主人公のつもりが、主役にされていた
六年全員がザワつきながらドカドカと入場してきた。
だが、彼らが目撃したのは、いつも退屈な全校集会が行われるはずの場所が、超一流の大人たちによって冷徹で重厚な「劇場」へと変貌している異様な光景だった。
挨拶もそこそこに、千晃さんたちの合図でプロの舞台が始まった。
照明が落ち、音響が唸り、最高峰のアーティストたちの歌声とステップが体育館の空気を引き裂く。
一九八〇年代前半。
現代のような冷めた視線も、合理的なネットのツッコミもないこの時代は、人間の純粋な「感情」のエネルギーが、今よりも遥かに強烈に、狂暴に渦巻いていた時代だった。
三百人の子どもたちは、目の前で繰り広げられる本物のプロの演技に、言葉を失って圧倒されていた。
その感動の波が体育館を呑み込もうとした瞬間、千晃さんのタクトに押し出されるようにして、ステージの真ん中で俺の木琴と、美香のタクトが衝突した。
あの五年生の学芸会でのセッションを、さらに二年間の至高の特訓で極限まで成熟させた、魂の殴り合い。
プロの一番を浴びて、お互いの実力を認め合いながらも、「絶対に負けたくない」という狂気的なプライドが火花を散らす。
百人の爆音をねじ伏せたあの木の乾いた音粒が、美香の恐るべきタクトに導かれ、さらに高く、さらに深く、三百人の鼓膜を、そして心臓を真っ直ぐにぶち抜いていく。
ただの小学生の合奏を観に来たつもりの同級生たちの心に、一瞬で、凄まじい火がついた。
「……す、すげぇ」
ひな壇の最前列にいた一人が、堪えきれずに声を漏らした。
その呟きは瞬く間にドミノ倒しのように伝播し、地鳴りのような歓声となって体育館を震わせ、盛り上がりは最高潮に達した。
その熱狂の頂点で、美香がタクトを鋭く一閃させた。
ピタッ、と、三百人の歓声が恐怖に似た静寂となって止まる。
空間を完全に支配した美香は、ツンと強気な口調のまま、静かに口を開いた。
「何故これを見せたか、聡が説明するから」
美香からバトンを渡され、俺は一歩前へ出た。
マイクの前に立ち、三百人の視線を正面から受け止める。
最初は、前世の営業マン時代に培ったビジネストークで、企画書の通りに「児童の主体性」だの「教育的な意義」だのを丁寧に説明するつもりだった。
だが、今の彼らのギラギラとした目を見て、俺は手元のプリントをくしゃくしゃに握り潰した。
そんな綺麗事じゃ、この時代の、この熱狂は動かせない。
大人の知性をすべて捨て、彼らの感情を爆発させるための『熱』に変える。
俺は、腹の底から声を張り上げた。
「いま見た演奏、どうだった? 楽しそうじゃなかったか? カッコよくなかったか?」
三百人が、息を呑んで俺を見つめる。
「俺は、小学三年の時に木琴の音に頭を殴られて、そこから狂ったように練習を始めた。でも、美香が指揮者になってからは、まだ一年にもならないんだ。……それで、今のこれだ。才能だと思うか? 違う。心に火がついてるか、それだけだ」
俺は、三百人の同級生たちを一人一人見据えるように、じっくりと言葉を紡いだ。
「なぁ、俺たち二人だけで、これだけのことができるんだ。……ここにいる六年全員、三百人でこれをやったら、一体どうなると思う?」
体育館の空気が、ドカンと波打った。
「震えてこないか? 俺は今、めちゃくちゃゾクゾクしてる」
俺は不敵に笑ってみせた。
前世の四十代の人生でも味わったことのない、本当の十代の熱い血が、俺の身体の中を駆け巡っている。
「強制参加はしない。そこは安心してくれ。歌やダンスが苦手なら、照明や音響、大道具の裏方の仕事だってある。誰も置いてけぼりにはしない。……でも、俺たちの卒業式だ。大人に用意された退屈な式じゃなくて、俺たちだけの最高のステージを、この全員の力で、ゼロから作ってみたくないか?」
以上、美香に代わる。
俺がマイクを離すと、美香はタクトを胸に抱いたまま、上品に、けれど傲慢に微笑みを浮かべて三百人を見下ろした。
「私が指揮するんだから、失敗なんかしない。……でも、私の指導はめちゃくちゃ厳しいわよ? ついてこれないなら今すぐ帰りなさい。でもね、もし残るなら、きっとその何倍も、何十倍も楽しい日常を保障してあげる。……だから、私と一緒に遊びましょう!」
その女王の宣戦布告のような一言が体育館に響いた瞬間、三百人の子どもたちの魂は、完全に彼女のタクトの虜となり、退路を断たれた。
「や、やってやるよ……っ!」
「俺も楽団に入る!!」
「ダンスやらせろ!!」
割れんばかりの、地鳴りのような怒涛の歓声が体育館の壁を震わせる。
お袋が流した五百人の噂のデマ。
メディアが作った天才少年少女の虚像。
そして、三百人の同級生たちの狂気的な熱狂。
すべての外堀が、今度こそ本物となって完成した。
俺は、歓声の中で小さく苦笑した。
目立たずに、趣味の世界の端っこで静かに生きるはずだったタイムリープ人生。
中身が四十代の俺は、気づけば、一人の少女の圧倒的なタクトのなかに完全に巻き込まれ、翻弄され、この三百人を率いる「前代未聞のオーケストラ」の主役に仕立て上げられていた。
主人公のつもりが、主役にされていたのだ。
小学校最後の最高学年
俺たちの、命のすべてをぶつけ合う「型破りの帝国」の建国が、いま、三百人の大怒号とともに産声を上げた。




