第11話 総帥の脅迫、プロデューサーの策略
「合唱もダンスも演奏も、全部やる。……さあ、六年制の子どもたち三百人と、お堅い先生たちの説得は任せたよ、聡?」
美香にそう言い放たれた翌日から、俺の四十代の脳細胞は、かつて前世の会社員時代でも経験したことのないほどのフル回転を強いられていた。
学校という組織を動かすには、ただの子どものワガママでは通用しない。
職員室の教頭やお堅い教諭陣を納得させるには、明確な「大義名分」と「システム」が必要だ。
俺はノートを開き、前世のビジネス経験を総動員して、一夜のプレゼン用の企画書を作成し始めた。
タイトルは『卒業記念・三クラス合同総合表現発表会について』。
教育委員会が好みそうな「児童の主体性」「音楽と身体表現の融合」といった綺麗事の文句を散りばめ、授業時数や安全管理のタイムスケジュールまで完璧に計算し尽くした、大人の書類だ。
これを職員室に提出しつつ、俺は次の手として「全校集会での提案」の段取りを教頭に直談判しにいった。
内側から合法的に、学校という巨大な壁を切り崩していく策略だ。
俺がそうして地道な泥臭い実務をこなしている横で、音楽総帥である美香のアプローチは、もっと簡潔で、もっと暴力的だった。
彼女は、自分が使える最大の、世界最強の「コネ」を一切の容赦なく使い倒す決意を固めていた。
洋館の居間で、美香は世界的な指揮者である父親の前に立ち、タクトではなく人差し指をその鼻先に突きつけていた。
「パパ。来週までに、ウチの学校に合唱とダンスを教えてくれる、本物のプロの先生を連れてきて」
「お、おい美香、急に何を言い出すんだ。プロのソリストやバレエの指導者を、普通の公立小学校にボランティアで連れていけるわけが――」
「連れてこなかったら、パパなんか大嫌い」
美香の瞳から、一ミリの慈悲も消え失せた。
「もう一生,パパとは口をきかない。パパの指揮するコンサートも二度と見に行かないし、朝の挨拶も絶対にしない。パパの部屋の洗濯物も全部ゴミ箱に捨てるから」
「……っ!?」
世界の名だたるオーケストラをそのタクト一本で平伏させてきた大指揮者の顔が、恐怖で一瞬にして真っ青に染まった。
娘の放った「一生口をきかない」という、あまりにも凶悪な人質。
これには、いかなる音楽理論も、社会的な地位も全く歯が立たない。
「わ、分かった! 分かったからそんな恐ろしいことを言うな! 来週、我が楽団の最高峰のボイストレーナーと、劇団の振付師をスケジュールを無理やりこじ開けて連れていく! だから大嫌いなんて言わないでくれ、美香……!」
世界的指揮者を涙目で屈服させ、美香はツンと顎を引いてフンと鼻を鳴らした。
「よろしい。じゃあ、聡にそう伝えておくわ」
数日後。
俺が職員室で教頭を相手に「全校集会で五分だけお時間をいただければ、児童の有志を募るプレゼンを……」と大人の交渉術で追い詰めていたその時、音楽室の前に、一台の高級外車が横付けされた。
車から降りてきたのは、テレビや舞台の第一線で活躍している、日本最高峰のプロのソリストと、超一流の振付師たちだった。
「こんにちは。指揮者殿の命令で、今日から君たちの楽団の講師を務めさせていただきます……」
どこかやつれた、しかし本物のオーラを放つ大人たちが、小学校の廊下にずらりと整列する。
職員室の窓からその光景を見た教頭と先生たちが、「えええええっ!? なんでウチの学校にこんな世界的なトップスターたちがボランティアで来てるのっ!?」と、腰を抜かして大パニックに陥った。
俺は、手元の企画書を持ったまま、音楽室の窓からこちらを見下ろして「さあ、お膳立てはしてあげたわよ」と言わんばかりに不敵に微笑む美香の姿を見上げて、ドッと冷や汗を流した。
(……おい美香、コネの使い方がマフィアのボスよりエグいんだよ! これじゃぁ学校側も『許可しません』なんて絶対に言えねえだろ……!)
学校のシステムを内側からロジカルに攻略する俺のプリント。
大人の権力を外側から力づくでねじ伏せる美香の脅迫。
この、前代未聞の小学生コンビによる完璧すぎる波状攻撃によって、マンモス校の職員室は一瞬で陥落した。
「高橋くん、美香ちゃん……全校集会と言わず、次の特別活動の時間、学年全員を集めて君たちの楽団の説明会をしなさい……!
涙目で許可を出した教頭の向こうで、俺たちの「型破りの帝国」の建国が、ついに公式のものとなった。
三百人の同級生を前に、俺たちの地獄の団員オーディションが、いよいよ幕を開ける。




