第97話、苦渋のキング
AF。――日本軍が4月半ば辺りから、使い出した謎の場所を示す暗号。
AFは、ミッドウェー。
ハワイの情報部門『HYPO』は、そう連絡を寄越してきた。
合衆国艦隊司令長官であるアーネスト・キング大将は、それが気に入らない。彼の情報部門であるOP-20-Gは、日本軍の次の攻撃目標は米本土であると見ていた。
二つの情報部門が、自分こそ正しいと対立する。しかし、敵の主力はそのどちらかが正しく、どちらかが間違っている。当たって当然、しかし外れた時の失態は大きすぎる。
そして今の米海軍に、その双方に備えるという贅沢な戦力はない。
このままでは平行線。むしろより上位であるキングに近いOP-20-Gの説に賭けるような状況に、ニミッツのHYPOが一計を案じた。
日本軍相手に、ミッドウェー――つまり彼らがAFだと信じているこの島で、海水ろ過装置の故障で水不足になっていると偽の電文を打たせたのである。
結果、それを傍受した日本軍は、『AFで真水不足』を通信したため、たちまち米軍に伝わる。
AFがミッドウェーであるという証拠だと、HYPOは告げた。このAFを特定するための偽の電文は、実は日本軍を引っかけるためというより、米海軍内で意見を対立させる情報部門のどちらが正しいのかをはっきりさせるために発せられたと見る向きがあった。
もっとも、AFが水不足と打ったのは、日本軍による米軍への引っかけではないか、とする説もまたあった。日本軍はミッドウェーではなく、やはり米本土を狙っているのではないか、と。
しかしHYPOの情報を信用した太平洋艦隊司令長官、チェスター・ニミッツ大将は、日本軍はミッドウェーに来ると確信し、防衛態勢を取った。
だからこそ、キングとしては、それは面白くなかった。だが現場が、その気になっている以上、確たる証拠なしに否定することはできないのも事実であった。
さらにここにきて、彼を悩ませている事態がもう一つあった。
それは、再三に渡るイギリス首相ウィンストン・チャーチルの要請である。
「チャーチルが、またインド洋に戦力を送れ、だと?」
「左様で」
海軍作戦部次長、フレデリック・ホーン中将は何とも言えない顔になった。キングは口をへの字に曲げた。
「最初に首相閣下が騒ぎ立てのは、東洋艦隊がセイロン島を撤退した時だったか?」
南雲機動部隊によるセイロン島攻撃。この時、イギリス海軍と政府は、現在の東洋艦隊の戦力では、日本を防ぐ抑止力にはなり得ないと判断した。
それでアフリカまで後退させたのは、彼らの都合だからそれをどうこう言うつもりはキングはない。
だが、アメリカ海軍の戦力を送れとなると話は変わる。
「『ノースカロライナ』と『レンジャー』をインド洋に欲しい……だったな」
「ついでにアイアンクラッド作戦への協力も」
ホーンが控えめに言えば、キングは鼻をならした。
「我が国とヴィシー・フランスは中立だ。直接矛を交えるわけにもいかん……ということで、交換条件を出した」
アメリカ艦隊を英国本土に進出させる。そうすることで、英海軍はスカパフローの戦力をジブラルタルに送り、ジブラルタルの戦力をアイアンクラッド作戦に投入する、という少々回りくどいが戦力スライドを可能とした。
が、そのアイアンクラッド作戦は、遥々インド洋を西進してきた日本艦隊により、失敗した。
その結果、イギリスはインドとほぼ引き離された状態であり、現在戦われている北アフリカ戦線の英軍が窮地に立たされた。
さらに言えば、キングが『レンジャー』には戦闘機を運ばせろと、中国行きのカーチスP-40Eをアフリカ、ガーナ経由で送っていたのだが、それにも黄色信号が点った。
現状は、まだ妨害されることはないが、日本軍がインド洋側から中東やアフリカに介入を深めることになれば、それも怪しくなる。
第一、ソ連へのレンドリースルートの一つであるペルシャ回廊へ、こちらの船団が辿り着けなくなった。
最初のノースカロライナ、レンジャーの派遣について拒否したキングを、ルーズベルト大統領も支持したが、レンドリースに影響が出るとなると、その考えも変わるかもしれない。
「ただでさえ、ソ連は苦境に立たされていると言います」
ホーンは言った。
「シベリア鉄道が消えるとかいう眉唾な話も、どうやら本当のようで。太平洋ルートは使えず、ペルシャ回廊ルートも使えなくなるとなると……」
「そうなる前に、マダガスカル島を攻略を助けて、風通しをよくしておけ、と?」
冗談ではない、とキングは首を横に振った。
「これ以上、戦艦、大型空母を大西洋に回したくないね。全部、太平洋に回してもいいくらいだ」
先日、戦艦『ノースカロライナ』と空母『ワスプ』の太平洋への増援が決まった。空母『レキシントン』『ヨークタウン』の喪失で、太平洋の主力空母が3隻になってしまったからだ。
「だいたい、大西洋側に枢軸の戦艦も空母もいないじゃないか!」
「ティルピッツが……」
ドイツ軍の誇るビスマルク級戦艦の二番艦『ティルピッツ』が、ノルウェーにいて、ソ連への北大西洋ルートを脅かしている。それのせいで、イギリス海軍も新鋭であるキング・ジョージⅤ級戦艦を貼りつけておかねばならず、戦力の拘束を引き起こしていた。
「あのドイツの戦艦は、引きこもりじゃないか。イギリス戦艦が見張っていれば、それで出てこない。充分だ」
「ただ、北アフリカ戦線で英軍がやられてしまえば、大西洋を優先している大統領の政策にも影響が出るのではないですか?」
「出るだろうな。ああ、間違いなく」
アメリカン・ボーイズをアフリカ戦線に投入する。その動きは陸軍にあり、海軍もその支援を行うことになっている。
現地で戦っているイギリス軍が壊滅してしまえば、戦闘経験のないアメリカン・ボーイズは、獰猛なドイツ軍の餌食になってしまうのではないか。キングは、アメリカ陸軍を信用していなかった。
「ただまあ、マダガスカル島にいるのはヴィシー・フランスではなく、日本軍ですし」
ホーンが、耳打ちするように声を落とした。
「イギリス人に貸しを作れる上に、日本軍を太平洋とインド洋の双方に貼りつけることも……できるかもしれません」
「これもまた、一つの対日戦線か」
なるほど、とキングは、ホーンを少しだけ見直した。少しだけだ。
太平洋とインド洋は広い。戦力の移動だけで時間がかかる。上手くやれば、彼らの戦力を二分し、各個撃破できる可能性も出てくる。
「そういうことなら、一考の余地はあるな」




