第63話、艦隊をインド洋に
セイロン島沖海戦は、イギリス東洋艦隊を東インド洋から撤退させたことで、一応の成功をみた。
ビルマへの海上ルートを、有力な敵艦艇による攻撃の可能性を排除できたことは、海軍としては満足できる結果である。
が、同盟国は、そうは思わなかった。
ドイツやイタリアは、日本海軍がインド洋に進出し、イギリス東洋艦隊を撃滅ないし、その戦力を拘束する程度の戦果を要望した。特にドイツ軍のクルト・フリッケ作戦部長は、野村 直邦海軍中将にしつこく要請を繰り返し、時にテーブルを叩きながら訴えた。これには野村も、より積極的なインド洋介入がなければ、枢軸勢力の劣勢を招くと内地に報告する。
軍令部作戦課長の富岡 定俊大佐は、特破隊の神明 龍造大佐に、ため息混じりに告げた。
「少しは静かになるかと思ったら、『もっと欲しい』と言ってきた」
「戦争は世界中で起きている。太平洋ばかりが戦場ではない」
神明はわかりきったことだという顔で言った。
「ドイツにとっては、太平洋は遠すぎる。だがインド洋の遮断は、英国屈服の鍵だ。むしろ同盟国の日本を焚きつけないほうが怠慢というものだろう」
「要請は、ドイツだけではない」
富岡は苦笑する。
「イタリアのムッソリーニ頭領も、より緊密なる連携を求む、と言ってきた。要するに東洋艦隊を潰してほしいのだそうだ」
「イタリアとしても、地中海で手一杯だがらな」
神明は虚空を睨む。
「だがもしインド洋を枢軸が押さえられれば、イギリス地中海艦隊を孤立させられる。そうすればイタリア海軍の負担は軽くなるし……、いや、彼らはそもそも燃料を求めている。その流通経路を確保する意味でも、インド洋を綺麗にしておいてほしいのだろう」
日本が石油ほか資源を求めて戦争を始めたように、イタリアもまた石油を欲している。ベニート・アミルカレ・アンドレーア・ムッソリーニが、ドイツの勝ち馬に乗って参戦した時、イタリア陸・海・空軍は戦争の準備などできていなかった。海軍などは艦隊を動かすための石油備蓄に早くから不安を持っていて、それが彼らの戦艦など大型艦を動かす作戦の消極性を形作っていた。
イタリア人が臆病だというわけではなく、普通に動かす燃料が心許ないというのが理由なのだ。それでなくても戦艦は油を食う。
「連合艦隊の目は太平洋を向いている」
富岡は世界地図へと視線を向けた。
「第一段作戦が一段落し、次の第二段作戦へと、すでに足を向けている」
「……」
米空母を叩き、ハワイ攻略を進めたい連合艦隊。かたや米豪分断を図り、フィジー、サモアを落とし、オーストラリアを戦争から脱落させたい軍令部。その思惑から対立、意見の相違を埋める作業に没頭する両者。
主な艦艇は太平洋に向かい、インド洋のことなど眼中にない。せいぜい潜水艦数隻、旧式艦や、せいぜい重巡洋艦二、三隻程度の派遣でお茶を濁そうとしている。
「特破隊で、東洋艦隊を叩けるか?」
南雲機動部隊は、その一部を沈めて、それで帰ってきた。英東洋艦隊が逃げ回っていれば撃滅は難しく、それ自体は責めるに値しない。戦いは双方戦う意志を持ってはじめて成立する。相手が逃げ回っていれば戦いにならない。
大本営は、例によって例のごとくセイロン島沖海戦における大戦果を発表。空母1、重巡1、軽巡2、駆逐艦ほか船舶27隻撃沈、23隻大破。航空機120機を撃墜と報じた。そして「イギリスが喧伝していた大英インド艦隊はいずこに?」と大きく煽っていた。
だが実際として、まだ東洋艦隊が健在なのは間違いない。それどころか、インド洋の制海権を取り戻すべく、さらなる動きを見せていた。
特破隊直系の情報部門は、英軍がインド洋に陸軍の増援を含め、戦力を移動させているのを掴んでいる。
今後、特破隊としては、地中海や大西洋進出をするなら、英東洋艦隊を無視はできない。神明は口を開いた。
「可能かどうかと聞かれれば、可能だ」
現在の特破には戦艦級3隻があり、空母もまた一度に5、6隻を投入するのも不可能ではない。
富岡は小さく首をかしげた。
「米豪遮断に差し支えない範囲で、同時進行は可能か?」
できれば、軍令部が進めるアメリカとオーストラリアの分断も諦めたくないらしい。神明は答えた。
「損害の程度によるが、移動に関しては転移連絡網を用いれば不足はない」
「転移連絡網」
富岡はかすかに眉間にしわを寄せた。
「概要は読んでいるが……」
にわかに信じがたいという顔をする軍令部員である。転移に関しては割と使っている神明からすれば、何をいまさらである。
「それを実戦でやってみせるのが、我々特破隊だろう?」
神明は言った。
「これがお偉い方にも認められれば、補給や輸送の問題……例の船舶需給量の問題も解決するんだ。それどころか、山本長官が狙っているハワイ進攻も、現状の兵站でも可能になる。誰も損はしない話だ」
「君のことは信じているけどね」
富岡は、一拍間をとった。
「転移連絡網がメリットだらけなのは認めるし、夢物語で済ませるほど君がロマンチストではないことは知っている。実際、ハワイ攻略も可能だろうさ。ただ、連合艦隊司令部がそれに味を占めて、米本土進攻を本気にするんじゃないかって、それが心配でね」
いくら移動面のコストカットができても、実際に戦う兵隊が増えるわけではない。中華民国との戦いが泥沼化しているのに、米本土というさらなる泥沼を開拓したくないというのが、富岡の本音だった。
「さすがに陸軍がついてこなければ、米本土攻略なんてできない」
陸軍は大陸でさえ持て余しているのだ。米本土へ殴り込むための船と補給の問題が解決したとして、大陸からの兵を動員するとは思えなかった。
実際、オーストラリア攻略やセイロン島攻略などと案はあれど、陸軍は必要となる複数師団を大陸から抽出できないと拒否している。
「でも君、魔技研は陸上戦力を持っているよね?」
富岡がまた疑うとも迫真の視線を寄越した。
「例の自動人形――ゴーレムの兵団とか、自動戦車連隊とか」
「ちゃんと資料は読んだんだな」
薄く笑う神明に、富岡は冗談ではないと首を横に振った。
「特破隊に、強襲揚陸艦なる部隊がある時点で、陸軍に頼らない地上戦力を用意しているのだろう? それを連合艦隊司令部に目をつけられてみろ。本気でハワイ攻略、米本土攻略なんてやりかねないぞ」
「いくら何でも、うちの戦力ではまだ1個師団が限界だよ」
事もなげに神明は告げた。1個師団と聞いて、富岡は天を仰ぐのだった。




