第54話、シベリア鉄道なきソ連
シベリア鉄道を吹き飛ばしたのは君か?
富岡 定俊大佐は、神明 龍造大佐に尋ねた。わずかな間だったが、それでもたっぷり時間が経過したように思えた。
「いきなりだな」
神明は淡々と告げた。
「あの大陸一の大鉄道を吹き飛ばす? 数カ月前の話を突然されてもな」
「そう、当時は誰も信じなかった」
富岡は眉をひそめた。
「だが各国の外交官や商人たちが言うんだ。シベリア鉄道が一日で燃え尽きたなんて。そんなこと、あり得ないというのが普通だろう?」
世界一の路線の長さを誇り、モスクワからウラジオストクまで一本の鉄道で繋がっている。9000キロメートルを超える東西に走る路線、これが一晩のうちに消滅したとなれば大事件であった。
1941年11月の出来事だ。このあり得ないことが起きてしまった。
「それを私の仕業だというのか?」
神明は笑った。今さらにもほどがある。
「そんなことができるとでも?」
「君は魔法使いだろう? 海軍兵学校の同期も、何人もそう言っている」
富岡は真顔だった。
「魔技研は、魔法、それを使える能力者の研究もやっているのだろう? いま特破隊が実戦で試験運用している装備も、そういう類いのものもあるはずだ」
戦前までは、まともに取り合わなかったのに、使えそうだとわかった途端にこれである。神明は意地の悪い微笑を浮かべた。
「そんなわかりやすい魔法は使ったことはないが?」
「……兵学校にいた時、君、殴られたことがないだろう?」
先輩からの理不尽な暴力は、兵学校につきものである。中には今は軍令部次長をしている伊藤 整一のように一切手をあげない者もいたが、大抵先輩から後輩に受け継がれ、繰り返されるものである。
なお、神明も後輩を殴ったことはない。先輩に殴られた時、適当に跳ね返していたからだ。だから暴力の連鎖には加わらなかった。
「確かに私は、いわゆる魔法は使える。だが、魔法といったところで、そんな便利なものではない。まして、私は、シベリア鉄道を丸ごと蒸発させる魔法は使っていない」
舌先がざらついた。確かに神明は、シベリア鉄道を破壊していない。だが彼以外の能力者が、蒸発魔法を――向こう十年、魔術が使えなくなるというデメリットを引き受けた上で実行した。
そう、神明は真相を知っている。そしてそれを知らぬ存ぜぬと嘘をついているのである。
「魔技研にも特破隊にも、そのような作戦は存在しない。調べてくれていい。実際、日本はソ連との間に日ソ中立条約を結んでいる。攻撃などしたら条約違反だろう」
「軍の作戦ではない。それは間違いない。陸軍が謀略でも仕掛けて、戦争を始める――ということもなかった。北進論者も陸軍には多く見られたが、結果、みな南進を選んだ。シベリア鉄道が消失してソ連は慌てふためいていたが、こちらから攻めることはなかった」
それはそうだ――神明は内心呟く。実際、日本陸軍はドイツと共闘してソ連を攻める作戦を考えていた。
だがその条件は、シベリア軍団――極東に展開するソ連陸軍が西へ移動し、ある程度戦力が減ってから、というものがあった。
しかしシベリア鉄道の消失は、極東方面の軍をモスクワの援軍に振り向けることができず、居座ったままであった。これでは陸軍は攻めることができず、完全に北進を諦めたのだった。
「しかし軍の作戦ではなかったが、個人がやったというのならどうだ?」
富岡はさらに言った。
「君、日ソ中立条約に、反対の立場だったと聞くが?」
「ソ連共産党は害悪だよ。世界の誰もがそれを理解していた。ウィンストン・チャーチルも、蒋介石も知っている」
世界の赤化を危険視し、徹底的に敵視していた。日本でもかつて東条 英機がソ連スパイの摘発に動き回っていたのは有名な話だ。
だが共産党スパイはどこにでも入り込む。日本でも活動していた者たちが大衆を扇動しようとして摘発されたが、アメリカでも共産党系スパイが暗躍している。
「今回のアメリカの日本への敵視も、裏ではソ連が糸を引いている。ヨシフ・ジュガシヴィリが、列強同士をぶつけて漁夫の利を得ようとしている」
イギリスとドイツ、日本とアメリカ。それらが潰し合って弱体化したところで、世界の赤化を進めようと彼らは暗躍しているのだ。
「ジュガ……なんだって?」
「ジュガシヴィリ。知らないのか? スターリンはペンネームだ」
ロシア語で『鋼鉄』という意味である。
「あの男は悪党だよ。金のために強盗、誘拐、テロの幇助や支援、指揮。ありとあらゆる悪事をやってきた活動家という悪党だ。何度も逮捕され、何度も脱獄した。世の指導者でここまでやった奴は珍しいんじゃないかな」
「すくなくとも、我が国では指導者にはなれない経歴だな」
監獄で獄死でもすれば、その後、多くの民が死ぬこともなかったかもしれない。あるいは別の共産党員が似たようなことをしていたかもしれないが、あそこまで強烈なものはそうそうないだろう。
「しかし詳しいな、君は」
「……」
魔技研に属する諜報グループの能力を甘くみないことだ。しかし神明はそれを口にはしなかった。
「それで、いまさらシベリア鉄道の話を持ち出してどうしたんだ? ドイツとソ連の戦いに何かあったのか?」
「いや、ちょっと気になっただけだ。個人的な興味だ。君が知らないのなら、いいんだ」
忘れてくれ、と富岡は言った。そうかと神明も関心ないとばかりにそれ以上は聞かなかった。
・ ・ ・
なお、シベリア鉄道が完全に消滅するというあり得ないことが起きたソ連は、苦境ではあったが、ドイツとまだ戦い続けていた。
しかしモスクワの防衛は、極東軍団など他方面からの増援が来れないことで非常に困難なものとなっていた。
さらにドイツ軍が迫る中、ウラル山脈方面へ工場疎開をさせていたソ連だったが、シベリア鉄道の消滅はそれをも妨害した。これは後年の反撃体制の構築の失敗にも繋がり、レンドリースによって兵器以外を調達し、ソ連のリソースをすべて軍備に注ぐというスターリンの計画をも再考させるに至った。
完全消滅したシベリア鉄道の再建は、数年規模の大事業であり、ドイツとの戦争で鉄道の部分的復旧を優先できても、全体の復活は当面叶わない。
広い国土が仇となり、各所で分断されたソ連は、崩壊はしなかったが、相当苦しい状況に追いやられていたのである。




