第34話、船団は届かず
1942年2月25日。ハルゼー中将の第16任務部隊の移動命令が出た辺り。オーストラリアを目指していたBT200船団を悲劇が襲った。
1万8000トン級オーシャンライナー『アルゼンチン』、2万1250トンの『ジョン・エリクソン』ほか、『サンタ・エレナ』「サンタ・ローザ』『トーマス・H・バリー』『クリストバル』『マクアンドリュー』『アイランド・メール』からなるこの船団は、1月にニューヨークを出航。
陸軍のアレクサンダー・バッチ将軍の指揮するポピーフォースことタスクフォース6814とも呼ばれる部隊を運んでいた。ニューカレドニアを目指した最大規模の輸送である兵員収容能力は2万2000人にもなる。
ここで輸送される部隊は、のちにアメリカル師団と呼ばれ、この方面における有力な部隊となるはずであった……。
が、この海域を、特破隊第一戦闘群の別動隊――挺身攻撃隊以外の隊が展開していた。
●特破隊第一戦闘群・別動隊
第五打撃戦隊:重巡「八海」、軽巡「黒瀬」、駆逐艦「赤雪」「春雪」
第一空母戦隊:空母「瑞鷹」「白鷹」
防空戦隊 :軽巡「狩野」「秋野」
:駆逐「深雪」「晴雪」「斑雪」
第52潜水戦隊:
潜水艦:「呂706」「呂707」「呂708」「呂709」「呂710」
:「呂711」「呂712」「呂713」「呂714」「呂715」
索敵機によって発見されたBT200船団は、『瑞鷹』『白鷹』の九八式艦上偵察戦闘攻撃機の格好の餌食となる。
滑空誘導魚雷による攻撃は、しょせんは客船である兵員輸送船に対抗できるものではなく、次々に海の藻屑と化した。
これが潜水艦の攻撃であったなら、何隻かは生き残ることができたかもしれない。しかし航空機のスピード、航続距離を前にしてはとても逃げ切れるものではなかった。
ニューカレドニアにあって、同方面の重要戦力となるはずだった師団は、編成前に壊滅してしまったのである。
・ ・ ・
一方、オーストラリアを挟んで西海岸、フリーマントルを出発したアメリカの水上機母艦『ラングレー』と貨物船『シーウィッチ』が、一路、ジャワ島を目指した。
南方作戦を推し進める日本軍は、蘭印作戦をもって仕上げにかかっていた。その最終目的地であるジャワ島の連合軍は、戦力の増強を求めていた。
ABDA艦隊においても、米軍が防衛に本気でないことを感じたオランダ軍は、司令長官をアメリカのトーマス・ハート提督から、オランダのコンラッド・ヘルフリッヒ中将へと交代させていた。
そしてそのヘルフリッヒ中将は、日本軍の空襲に対抗すべく戦闘機をジャワ島中部南岸にあるチラチャップに送るよう要請した。
これを受けたのが、『ラングレー』と『シーウィッチ』であった。
ラングレーは、アメリカ海軍初の空母CV-1だった艦であり、プロテウス級給炭艦ジュピターから改装された。
そんな栄光の最初の空母も、元より小型低速であったことから練習空母となり、やがて旧式化と相まって、飛行甲板の前半分を撤去し、1937年には水上機母艦(AV-3)となった。
基準排水量1万1500トン、全長165.3メートル、最大幅19.81メートル。機関出力7200馬力、最大速力15.5ノット。
そして今、残っている残り半分の飛行甲板に22機のカーチスP-40を搭載し、北上する。
同行するMSシーウィッチは、C2型貨物船である。約6000トン、全長133.6メートル、幅19.3メートル、速力16ノットのこの貨物船には梱包状態のP-40が詰まれたが、日本軍――特破隊の通商破壊の結果、戦闘機を載せた輸送船が相次いで撃沈されたことで、充分な数を積んでいるとは言い難い状況だった。
この2隻に加え、セイロン島を目指す輸送船『カトゥーンバ』『ダントルーン』が同行。……というより本来、『ラングレー』と『シーウィッチ』もセイロン島コロンボを目指す予定だったのだが、チラチャップの救援に引き抜かれたのである。
これら4隻だったが、オーストラリアの補給線分断に活動していた特破隊が、それを見逃すことはなかった。
「断固、沈める」
特破隊第二戦闘群、佐々山 久雄少将は、第二空母戦隊の『雷竜』『黒竜』の攻撃隊にこれらの撃沈を命じた。
「蘭印作戦ももう一息というところだ。ここで援軍なんてされて戦力を増強されてもかなわん」
18機の九八式艦上偵察戦闘攻撃機は、目標の船団を捕捉すると、高角砲の射程外から滑空誘導魚雷を投下。ロケットが距離を稼いだのち、船舶の近くで海面に着水。その喫水線下をぶち抜き、一撃で貨物船の足を止め、あるいは急激な浸水をもたらした。
誘導担当によって、目標に導かれた滑空魚雷は、18発全弾命中し、水上機母艦『ラングレー』と3隻の輸送船を破壊した。
米駆逐艦『ホイップル』『エドサル』が、船団の危機に駆けつけたが、すでに後の祭りだった。
それどころか、第32潜水戦隊の潜水艦『伊713』『伊714』の待ち伏せを受けて、こちらも誘導魚雷でそれぞれ沈められた。
戦闘機の補充は届かなかったチラチャップだが、ABDA連合軍も、日に日に劣勢という現実を突きつけられた。
もはやジャワ島の防衛は不可能――そう判断するのに充分だった。ABDA連合軍の陸軍司令官アーチボルト・ウェーヴェル大将は、イギリスのウィンストン・チャーチル首相に現状を報告すると、ジャワから撤退した。
残るはABDA艦隊と、アメリカ、オーストラリアの航空機が少し。陸上兵力はオランダ軍のみとなっていた。
そしてジャワ島には日本軍が迫っていた。
ジャワ攻略を目指す蘭印部隊――第三艦隊が進軍する一方、近藤 信竹中将の南方部隊――第二艦隊と南雲 忠一中将の第一航空艦隊が展開し、ジャワから脱出する連合軍船舶の攻撃を担った。
2月27日、スラバヤ沖海戦の幕が上がる。




