第26話、蘭印作戦ようそろ
MS1船団11隻からなる、1万トン以下の比較的中規模船が多かったこの船団も、日本軍の潜水艦と巡洋艦部隊の迎撃を受けて壊滅した。
ABDA司令部艦隊。コンラッド・ヘルフリッヒオランダ海軍中将は、もうこれ以上は聞きたくないという顔になった。しかしABDA海軍アジア艦隊副司令官、アーサー・パリサー英海軍少将は言った。
「それでこれが――」
「まだあるのか?」
ヘルフリッヒはいい加減うんざりしたが、パリサーは言う。
「BM12船団です。東洋艦隊としては、もう船団を撤退させたかったようですが、シンガポール司令部や本国からは、何としても増援をと」
抗いがたい力に無力感に苛まれたようなパリサーの顔。ヘルフリッヒは言葉もない。
どちらもわかる。船団輸送を強行させても全滅してしまうだけではないか? しかし現地で日本軍に抵抗する軍にとっては、増援や物資は喉から手が出るほど欲しい。
シンガポールではなく、スラバヤに向かう船団だったら、ヘルフリッヒも、敵が待ち受けているのを承知にしても、何とか増援はきてくれと要請するだろう。
それだけ英軍にとってはシンガポールは、死守しなくてはならない場所なのだ。東洋のジブラルタル。強固なる要塞は、そう簡単に落ちることはない。であれば後は補給と増援だ。だから多少無理をしても護送船団は送らねばならなかった。
「それでBM12船団は……」
ヘルフリッヒが目を向けるが、パリサーは何も言わなかった。言わなくてもわかるでしょうと、つまりそういうことだ。
『エンプレス・オブ・アジア』英1万6909トン、『フィリックス・ルセル』仏1万7084トン、『ブランキウス』蘭5955トン、『シティ・オブ・カンタペリー』英8331トンの4隻は、オランダ軽巡洋艦『ジャワ』、スループ『ヤラ』『サトレジ』の護衛と共に、日本軍によってこちらも全滅したのであった。
「あと他人事ではないのですが」
パリサーは淡々と付け加えた。
「シンガポールではなく、バタビアへ行き先を変更した船団があったのですが……DM2船団」
「これもやられたのだろう?」
聞きたくないと、ヘルフリッヒは突き放すように言った。パリサーは「左様で」と答えた。
2万1860トンの『ウォリック・キャッスル』、2万1860トンの『エンプレス・オブ・オーストラリア』、『シティ・オブ・ブレトリア』『トリオルス』『マランチャ』『ドゥネラ』が、海の藻屑と化した。
護衛部隊も大半がやられており、ABDA艦隊からさらに戦力を振り向けねばならないほどであった。
もっとも、オランダ海軍の『デ・ロイテル』『トロンプ』など、すでに何度か船団護衛に振り向けられていたが、護衛を担当する1、2日前に船団がやられてしまうので、運がいいのか悪いのか、ここまで残っているに過ぎない。
日本軍の襲撃の日がズレていれば、オランダ海軍の貴重な水上艦も失われていたに違いない。
「先が思いやられるな」
「先などあるんですか?」
パリサーが冗談なのか本気なのかわからない調子で言った。
なお、2月12日、トーマス・C・ハート大将に代わり、ヘルフリッヒ提督は、ABDA艦隊部隊司令官に就任する。
・ ・ ・
日本軍の蘭印作戦は、順調な進捗をみせていた。
少し日にちを遡り、1942年1月21日、タラカンよりバリクパパンに上陸。米駆逐艦4隻による夜間襲撃を受けたバリクパパン沖海戦の後も、日本軍は進撃し、1月25日までにはバリクパパン一帯を占領。
ボルネオ島とマカッサル海峡を挟んで反対側にあるセレベス島では、海軍がケンダリーに上陸。同島のメナド攻略に投入した戦力をそのまま投じた戦いだが、こちらも占領に成功。
さらに1月30日、バリクパパンを攻略した坂口支隊は、バリクパパンからバンジェルマシンへ陸路へ移動。本来は海から行くはずだったが、バリクパパン沖海戦で輸送船に被害が出たことが、歩いて移動することになった。とはいえ、2月10日には先頭部隊がバンジェルマシンの飛行場へ突入、これを制圧した。
その前日である2月9日。セレベス島マカッサルに海軍部隊が上陸。こちらも大きな抵抗もなく占領。
一方、日付は少し戻り、セレベス島の東、アンボンに対して1月24日、第一航空艦隊第二航空戦隊『蒼龍』『飛龍』の航空隊が空襲をしかけた。
そして1月31日に、陸軍第38師団が上陸、アンボン市内へ突入を敢行。翌2月1日に、現地守備隊は降伏した。日本軍はそのまま抵抗部隊と交戦し、二日後にラハの飛行場を占領した。
そしておよそ半月後、2月15日、陸軍落下傘部隊である第一梯団、第二梯団がスマトラ島の油田地帯制圧のため、バレンバンへ空挺作戦を実行。同日にバレンバン市街を占領した。
のちに『空の神兵』と喧伝される日本陸軍の空挺作戦であった。
2月19日、1月にラバウル攻撃に参加した南雲機動部隊こと第一航空艦隊が、オーストラリアの港湾都市、ポートダーウィンを空襲。『赤城』『加賀』『蒼龍』『飛龍』の四空母の艦載機と、九六式、一式陸上攻撃機の基地航空隊が攻撃を加えた。
第一波は、機動部隊艦載機による攻撃隊であり、零戦36機、九九式艦爆71機、九七式艦攻81機、計188機であった。
これら攻撃隊は、ダーウィン港に停泊する船舶、艦艇に対して爆撃を行った。九九式艦爆の急降下爆撃、九七式艦攻の水平爆撃により、商船6隻、小型艦艇3隻を撃沈、10隻に被害を与えた。
迎撃に上がったP-40ウォーホークは、零戦の前に蹴散らされ、また地上で破壊されたものも少なくなかった。
空母航空隊の後は第二波、陸上攻撃隊54機による爆撃がダーウィン基地を襲い、ハドソン双発爆撃機6機が破壊され、さらにB-24リベレーターにも被害が出た。
そして同日、2月19日、日本陸軍第48師団、台湾歩兵第一連隊の一部である金村支隊がバリ島に上陸した。
輸送船『笹子丸』『相模丸』がバリ島サヌール泊地から進み、阿部 俊雄大佐指揮の第八駆逐隊『大潮』『朝潮』『満潮』『荒潮』がその護衛、警戒に当たっていた。
先日、ABDA艦隊部隊司令官になったヘルフリッヒ提督は、ただちに反撃を命令。カレル・ドールマン少将のABDA艦隊を差し向けた。
のちのバリ島沖海戦である。




