第18話、南方作戦とシンガポール増援
時系列を少し遡る。
日本軍は開戦劈頭、南方作戦を発動させ、第一航空艦隊こと南雲機動部隊のハワイ、真珠湾攻撃と並行して、東南アジアにも攻勢に出た。
南方作戦の目的は、香港、シンガポール、マニラといった重要軍事拠点を攻撃し、東アジアの英米軍を撃滅。マレー、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベスなどの重要となる資源地帯を攻略、確保することにあった。
当初、陸軍はマレー半島を第一にした左回りの作戦を提案。一方で海軍は、フィリピンを優先する右回りの攻勢作戦を提案した。
どちらから攻めるか意見を戦わせた結果、結果は、どちらもそれぞれ仕掛けることになった。
海軍は第11航空艦隊を活用し、フィリピン方面の航空撃滅戦を実施。マニラ周辺の航空基地と海軍基地を攻撃。日米ともにも天候に振り回されることになったものの、結果的に日本側に有利に働き、米航空戦力を壊滅に成功。12月20日には特に抵抗を受けることなくダバオ攻略部隊は上陸、ダバオ市を占領している。さらに42年1月2日、マニラ市を占領し、米軍はバターン、コレヒドールへ撤退した。
一方、陸軍は開戦当日に、海軍南遣部隊の護衛のもとマレー半島コタバルに上陸。翌日にはシンゴラ、バタニ方面、さらにナコンにも上陸。英軍と交戦を開始する。
日本軍上陸の報を受けて、英軍はシンガポールにいたZ部隊を出撃させ、上陸船団攻撃の向かわせた。
イギリス首相、ウィンストン・チャーチルの肝いりで送られた新鋭戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』と巡洋戦艦『レパルス』を中核とする部隊は、小沢 治三郎中将指揮の南遣艦隊とニアミスを起こしつつも会敵できず、シンガポールへ引き返すが、サイゴンから出撃した日本軍陸上攻撃機部隊に捕捉され、撃沈された。
これが航行中の戦艦が航空機によって沈められた世界初の出来事となる。
Z部隊壊滅後も、マレー半島への上陸が続いた。妨害する敵がいなくなったことで、上陸ないし揚陸はつつがなく進行。唯一、オランダ潜水艦による攻撃で被害は出たが、大勢に影響はなかった。
クワンタン、エンドウ、メルシンの攻略を推し進め、英軍の極東の重要拠点シンガポールへと進撃は続く。
さらに日本軍は、想定より戦況が有利に進んだことで、当初の計画から1カ月前倒しで蘭印――オランダ領東インドへ、石油その他資源を求めた。
またタイからビルマ方面へ侵攻。ニューギニア方面では、オーストラリアの委任統治領であるニューブリテン島ラバウルへの上陸が行われた。
日本軍の南方作戦は、現地の連合国軍と戦いを繰り広げつつも、順調な滑り出しを見せる。
もちろん、英軍をはじめ、連合軍もまた手をこまねいていたわけではない。
フィリピンに米軍が増援を送ろうとしていたように、英軍もまた極東方面の重要拠点であるシンガポールに援軍を派遣し、船団を送り込んでいた。
Z部隊を失い、日本軍を海上から脅かすことは難しくなったイギリス海軍の極東方面部隊だが、増援戦力を護衛する程度のことは可能であり、シンガポールに迫りつつある日本陸軍を迎撃すべく、兵、物資がインド洋を東進していたのである。
日本軍の航空隊がシンガポール圏内を攻撃範囲に収めつつあったが、ことスマトラ島、ジャワ島の間のスンダ海峡を経由する南側からであれば、船団はシンガポールに近づくことができた。
そして空襲を警戒し、夜に到着できるようにとそれぞれの船団が動いていたのだが……。
日本軍――特破隊がそれを黙って通すことはなかった。
まず襲われたのは、ボンベイ初、シンガポール行のBM9A船団であった。
スンダ海峡を手前にした41年12月31日。第45インド歩兵旅団を乗せた『デヴォンシャー』『ランカシャー』『エチオピア』『ヴァルショヴァ』『ラジュラ』の5隻の輸送船は、オーストラリア軽巡洋艦『ホバート』、イギリス軽巡洋艦『ドラゴン』『ダーバン』、駆逐艦『ヴァンパイア』の護衛を受けていた。
が、そこに日本の単発航空機――九八式艦上偵察戦闘攻撃機2個中隊が飛来し、空中滑空式誘導魚雷攻撃を受けた。
イギリス軍にとっては悪夢そのもので、輸送船5隻、軽巡洋艦3隻が撃沈され、生存したのは駆逐艦『ヴァンパイア』のみであった。
そして続くBM9B船団にも悲劇が襲いかかる。
こちらも第45インド歩兵旅団を乗せていたが、兵のほか自動車など車両を輸送していた。
船団は、『メディナ』『リザルダー』『ラージアート』『ジャラジャラン』といった排水量5000トン級の中型船と、8970トンの『マドゥラ』、1万トンの『タルマ』、計6隻だったが、護衛についていたのが旧式の軽巡洋艦『ダナエー』と、大型軽巡洋艦のタウン級『グラスゴー』のみであった。
しかも間の悪いことに、護衛の引き継ぎのため、『グラスゴー』はここで引き返し、引き継ぎにきた『ダナエー』一隻になったところであった。
英海軍の船団護衛艦艇は、一定の範囲内を往復するパターンが多く、最初から最後まで船団に付き添う艦艇ばかりではない。
これは次から次にくる船団の全てに専属の護衛をつけるだけの艦艇がないためだ。一定の範囲を通過するまではA船団、それが範囲外になれば、A船団を離れ、次のB船団の護衛に向かう。B船団がカバー範囲を抜ければ、C船団の護衛に向かう。燃料補給に移動することもあるが、これが英軍の船団護衛パターンである。
なのでドイツとの戦争の初期では、定められた範囲を超えるまでは船団を護衛した英護衛艦だったが、それ以降はさっさと引き返してしまい、丸腰で船団が航行し……Uボートの餌食になるという事態が頻発した。
かくて、『グラスゴー』は、カバー範囲を超えたので、輸送船団を離れ、軽巡洋艦『ダナエー』のみが6隻の船団をシンガポールまで護衛することになった。
ダナエーは、D級巡洋艦のネームシップであり、第一次世界大戦の古参で、日本海軍の5500級巡洋艦に比べてやや小さく、全長136メートル、45口径15.2センチ単装砲6門、速力29ノットという性能である。
武装商船、つまりは客船改造の通商破壊船舶や潜水艦対応程度の能力しかない艦ということだ。
そしてBM9A船団を攻撃した日本軍は、後続するBM9B船団も見逃さなかったのである。




