第137話、果たされなかった攻略作戦
「全滅だと!?」
ウィンストン・チャーチル英首相は愕然とする。マダガスカル島を巡る戦いについては、はるかロンドンにいるチャーチルのもとに届けられた。
「全滅というとアレか? 軍隊用語で言うところの3割喪失という意味の」
「一般的な……つまり、そのままの意味です、サー」
アルフレッド・ダドリー・ピックマン・ロジャース・パウンド第一海軍卿は、痛みに耐えながら告げた。
「文字通り、1隻も戻りませんでした」
「1隻も! 残らず! 全部やられたというのか!」
チャーチルは壁に向かって怒鳴った。パウンドの方を見ず、英首相は部屋の中を歩き出した。
「数万のイギリスの若者が! 全滅したと!」
植民地民もいたが、そこには触れなかった。陸軍だけでなく、海軍の軍艦が1隻も戻ってこられなかったとなると、間違いではあるまい。
チャーチルは息苦しさをおぼえ、深呼吸を繰り返した。脳内が沸騰しているようだった。
「……奴らは悪魔か」
搾り出すように、チャーチルは言うと、振り返ってデスクまで移動した。気分を落ち着けるように葉巻に手を伸ばす。
「やはり、日本人は敵に回すべきではなかった」
「……」
「大陸の利権で、欧米各国、特にアメリカとの対立姿勢が鮮明になっていく中にあっても、我が英国だけは、日本との妥協点を模索した。元々、英日同盟の仲だったわけで――」
それも昔の話だ。葉巻に火をつける。
「中国の利権を独占しようとする日本の態度も、よくなかったといえばそれまでだが……」
日米の関係悪化は、つまるところそこだ。チャイナ贔屓のルーズベルトは、事のほかそれが気に入らなかっただろう。
「日本がアメリカを攻撃し、結果、引きこもりのアメリカが参戦した。神は我々を見放さなかった。私は喜んだ。ああ、喜んだとも。これでこの戦争に勝てると!」
危険なナチス・ドイツを打ち倒せる。あれは野放しにしてはいけないものだ。
「だが、日本は我々の想像より遥かに強大だった」
自慢の『プリンス・オブ・ウェールズ』が沈められたこともショックだったが、その度合いは、インド洋で日本軍がやらかすたびに更新されていった。
第一次マダガスカル島攻略――アイアンクラッド作戦の失敗と東洋艦隊の壊滅。そして今回のジャイアントステップ作戦の失敗。
アデン攻略失敗については、マダガスカル島を攻略さえできれば、いくらでも取り返しがつくので、チャーチル本人としてはそれほどダメージは受けなかった。だが第二次マダガスカル島攻略が破綻したのは痛すぎる。
「私の心臓も、割とタフだな。不幸な報告で、止まらなかったのが不思議なくらいだ」
「首相閣下……」
パウンドもまた青い顔をしている。最近はもっぱらそんな顔色だが、悲報を持ってくるたびにどんどん悪くなっている気もした。
「海軍大臣だったのは昔の話。私はもともと陸軍の人間だからね。……単刀直入に聞く。マダガスカル島の攻略に向けて再度の作戦は可能か?」
チャーチルの問いに、パウンドは息が詰まったような顔をした。口を二、三パクパクとさせた後、第一海軍卿は答えた。
「本国艦隊を動かし、船団護衛に振り向けている艦艇全てを結集すれば……あるいは」
馬鹿も休み休み言え――そう怒鳴りたい衝動にかられたが、チャーチルは自制した。パウンドの答えは、チャーチルにもわかっていた。もしジャイアントステップ作戦が上手くいかなかったら――その未来図を想像しなかったわけではない。チャーチルは楽観主義者でも理想主義者でもない。
「できれば、違う答えを期待したんだがね」
チャーチルの本音だった。
本国艦隊は、7月予定のソ連への船団護衛にすでに差し向けられることが決まっている。ノルウェーに居座る独戦艦『ティルピッツ』と、その水上打撃部隊に備える必要があった。あの忌々しいナチスの戦艦が存在しなければ、ジャイアントステップ作戦に本国艦隊から戦力を引き抜くこともできたはずだ。
戦艦には価値がない? 馬鹿め! その戦艦1隻にこちらは艦隊が足止めされているのだ!
空母は『ヴィクトリアス』ただ1隻のみ。戦艦は、新鋭のキングジョージ五世級を除けば、修理中の『クイーンエリザベス』『ヴァリアント』、モンバサで居残りの『ラミリーズ』、巡洋戦艦『レナウン』しか残っていない。
マダガスカルに送った戦艦『ネルソン』『ロドネー』は、日本軍にやられた。
「マダガスカル島とアデンを押さえられたままでは、北アフリカ戦線は崩壊する」
補給が届かず、ロンメル軍団とイタリア軍にイギリス第8軍は負ける。地中海で、枢軸側の補給を妨害してはいるが、その要であったマルタ島は、今回の作戦で補給船団を送ることができず、そして今後もおそらくない。
通商破壊はイギリス潜水艦が地中海にて活発に活動しているが、それが限界だ。そちらを重点に送られているため、インド洋の日本軍に対しての通商破壊はまともに行われていない。セイロン島に2隻あるのみでは、大したこともできないのである。
「事は我が軍のみではありません」
パウンドは、恐る恐る言った。
「マダガスカル島にはアメリカ軍も出ておりまして、貴重な空母である『レンジャー』が失われました」
戦闘機輸送作戦にも用いられている貴重な正規空母であった。日本軍相手に、空母を失っていくアメリカだが、大西洋で活動するそれもまた犠牲になった。イギリスも空母は1隻だが、アメリカもまた太平洋の空母2隻しか残っていない。……小型の護衛空母は勘定に入れていない。
「この状況を誰が予想できた……?」
アメリカもイギリスも、戦時急増で空母やその他艦艇を建造している。米国は来年以降、イギリスもそれより遅れるが、数隻の空母を配備もできる。だがそれまでの間、誰が日本軍を止めることができるというのか。
「地中海艦隊、ジブラルタルのフォースHは壊滅したといっても過言ではない。イタリア軍がこれらの要地に攻めてきたとして、それを防ぐ手立てはあるのか」
イタリア海軍には、『リットリオ』『ヴィットリオ・ヴェネト』ら新鋭戦艦ほか、有力な巡洋艦部隊がいる。練度では英国に劣るが、その対抗できる部隊がいない。それではイタリア海軍に抵抗できない。
「植民地からの輸送は途絶え、我が国はもはや単独では立ち行かぬ……」
アメリカに依存するしか、生き残る術がない――チャーチルは深々とため息をついた。




