第126話、オペレーション・ファスト
イギリスにとって、インド洋の問題は、可及的速やか解決が必要だった。
マダガスカル島、そしてアデンの失陥は、大英帝国にとって、地中海艦隊の遊兵化、北アフリカ戦線の第8軍の補給途絶をもたらす。
地中海におけるドイツ、イタリアの補給線を脅かすマルタ島の救援も重要ではあったが、マルタ島を保持したとて、第8軍が物資不足で壊滅してしまっては意味がない。
当然、マダガスカル島を枢軸側の拠点とされた時点で、ジブラルタルのH部隊、そしてアレクサンドリアの地中海艦隊をマルタ島への補給に用いる計画は延期となった。
優先順位の変更。マダガスカル島、そしてアデンを奪回するのが先である。
ウィンストン・チャーチル首相は、アメリカのフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領に、米海軍の増援を取りつけることに成功する。北アフリカ戦線の崩壊と、ペルシャに開拓中のソ連へのレンドリースルート、ついでにヒマラヤ越えの中国へのルートが使えないのは、アメリカとしても困るのである。
かくて、米英連合艦隊は、マダガスカル島へ。英地中海艦隊は、アデン攻略のため、スエズ運河を通り、紅海を進み、アデン湾を目指した。
前者は、マダガスカル島攻略作戦、オペレーション・ジャイアントステップ。後者はオペレーション・ファストと命名され、それぞれ行動に移った。
まず、先手は、ファスト作戦を担う地中海艦隊である。
●オペレーション・ファスト参加艦艇
・攻略部隊:指揮官、フィリップ・ルイス・ヴァイアン少将
旗艦:防空巡「クレオパトラ」
軽巡洋艦 :「バーミンガム」「アリシューザ」
防空巡洋艦:「クレオパトラ」「ダイドー」「ユーライアス」「コヴェントリー」
駆逐艦 :「シーク」「グリフィン」「ジャーヴィス」「ヘイスティ」「ヒーロー」
:「テット」「ズールー」「エアデール」「オールデンハム」「クルーム」
:「ダルハートン」「エリッジ」「エクスムーア」「ハーワース」
掃海艇 :「ボストン」「シーハム」
コルベット:「デルフィニウム」「エリカ」「プリムラ」「スナップドラゴン」
ダミーシップ:「センチュリオン」
「我々が戦の先陣だ」
フィリップ・ルイス・ヴァイアン少将は、その生真面目そうな顔立ちをいつも以上に張りつめさせた。
「空母はなく、航空支援はなし……。そして相手の日本軍は空母を保有している」
「しかし提督。事前情報では、アデン湾の敵空母は1隻と聞いております」
巡洋艦『クレオパトラ』艦長、マシュー・ソース・スラッタリー大佐は、口元を緩めた。
「こちらは本艦を入れて防空巡洋艦が4隻。空母1隻の航空隊なら凌げましょう」
情報によれば、アデンには、戦艦1、空母1、巡洋艦2ないし3、駆逐艦6、7隻がいるとされている。
「相手は、イタリアでもドイツでもない。日本だ」
ヴァイアンは口元を引き締めた。
「東洋艦隊がやられている。イタリアはともかく、ドイツ空軍に匹敵するか、それ以上かもしれない」
「東洋人にそれほどの飛行機がありますかな?」
「侮るな、と言っている。やられた味方の数がそれを実証している」
ヴァイアンは双眼鏡で正面海域を覗き込んだ。スラッタリーは首をかしげる。
「日本軍が西インド洋にまで進出しなければ、我々はマルタ島を目指して船団を送り届けていたでしょうが……、果たしてどちらがよかったのでしょうか?」
「あそこを空母なしで、突っ切るのは地獄に飛び込むようなものだよ」
イタリアとドイツの航空機が猛禽の群れのごとく、襲いかかってくる。ろくなものではない。フィリップ・ヴァイアンは口には出さなかったが、顔はそう言っていた。
その点、侮るわけではないが、空母1隻分の航空機であれば、この艦隊で突破できそうな気もしてくる。
「しかし、相手は空母だけではない。アデンには戦艦が1隻確認されている」
攻略となれば、戦艦との交戦は不可避である。だがスラッタリーは言うのだ。
「マルタ島を目指していたとしても、イタ公の戦艦とぶつかる可能性はありましたよ」
3カ月のシルテ沖海戦では、船団護衛中に、イタリア戦艦『リットリオ』と水上部隊と交戦している。そして『クレオパトラ』も大破のダメージを負ったのだ。
「イタリア人には駆け引きが通用した。日本人にはどうかな」
ヴァイアンは、やるかたなしといった顔をした。しかしこの男は、やるとなったら勇敢に戦い、使命をまっとうすることに全力を注ぐ。彼の軍歴において、細々とした失態はあったが、任務に対する忠実さと真面目さは、歴代の上官たちから庇われてきた。
被害は出す。だがそれだけ危険な任務にこなし、部隊を統率してきたことで、ヴァイアンは表彰され、評価された。今回もまた、戦艦、空母なしの艦隊で、その双方を持つ敵艦隊に挑まなくてはならなかった。
「シルテ沖海戦の時もそうでしたが、こちらに戦艦があったなら、とつくづく思います」
スラッタリーが正直に言えば、ヴァイアンは肩を小さくすくめる。
「イタリアのミジェットに地中海艦隊の戦艦はやられたからな」
人間魚雷というと人聞きが悪いが、小型潜水艇で忍び寄ったイタリア兵に、当時アレクサンドリアに停泊していたイギリス戦艦が大破させられた。クイーン・エリザベス、ウォースパイト、ヴァリアントがもれなく損傷したことで、戦線離脱。復帰したウォースパイトはオーストラリアで沈み、二度と帰ってこなかった。クイーン・エリザベスとヴァリアントはいまだ修理中で、地中海にはいなかった。
「イタ公は、小さな船ほど勇敢でしたが――」
「艦長、それは違うぞ」
ヴァイアンは訂正した。
「大型艦より小型の艦艇のほうが戦果を出しているのは出撃機会の差だ。イタリアは船を動かす石油に不安をかかえている」
イギリスがスエズ、そしてジブラルタルも抑えている限り、イタリアは満足な石油の補充もできない。
「必然的に燃料消費の少ないものが活動しやすい。それだけのことだ」
艦隊は紅海を突っ切る。そしてアデン湾へ出るための最大の関門とも言えるバブ・エル・マンデブ海峡に差し掛かる。
アラビア半島のイエメンと東アフリカはエルトリア、ジブチの間にある、幅はもっとも狭い場所でおよそ30キロほどしかない。涙の門、悲しみの門などと言われる、航海の難所である。
日本軍の潜水艦などが潜んで、待ち伏せしている可能性は高い。彼らもまたスエズから地中海艦隊が向かってくる可能性に気づいていないわけがないのだから。




