第117話、ニミッツの報告
ミッドウェー海戦は、アメリカの敗北で終わった。
空母『エンタープライズ』『ホーネット』『サラトガ』を投じた太平洋艦隊だったが、『ホーネット』『サラトガ』を失い、『エンタープライズ』は中破、戦闘力を失った。
太平洋艦隊司令長官、チェスター・ニミッツ大将は、艦隊の敗北に渋い顔をしたものの、彼の参謀たちに言わせれば、落ち込む様子はまったくなかった。
それを指摘すると、ニミッツは鼻で笑った。
「戦力差からみて、この展開は充分考えられたことだ」
日本海軍が総力をあげてミッドウェーに押し寄せた。それを相手に完全勝利を収めることができると楽観視していた者などいただろうか? 少なくとも海軍関係者には一人もいなかったはずだ。
つまり、言い方は悪いが、順当だったわけだ。物量の法則からしても、運に左右されない、ほぼ計算通りの――本音を言えばもう少し幸運の女神が微笑んでくれてもよかったと思うのだが――結果と言える。
こちらは2隻の空母を失ったが、日本の空母も2隻やっつけた。数の差を考えれば、よくそこまで持ち込めたと褒めてやってもいいくらいだ。
パイロットたちの証言を信じるならば――正直どこまで信用していいか怪しいが、日本艦艇にそれなりに打撃を与えたとも言う。
ミッドウェー守備隊には死守命令が出たが、正直、いよいよとなったら降伏はするだろうとニミッツは考えている。願わくば、日本人が最後まで戦った捕虜を人道的に扱うことを祈るばかりである。
ミッドウェー海戦を振り返る時、ニミッツはこう評価した。
「どちらがとてつもなくツイていたとか、ツイていなかったとか、そういうものが存在しない。極めてまともな、正面からの殴り合いだった」
この戦いで、参加した米空母3隻は、精鋭である南雲機動部隊によってやられたが、幸いにも『エンタープライズ』は、戦場からの退却に成功した。
「ワスプを加えれば、まだ機動戦は可能だ」
もっとも、エンタープライズは修理が必要ではあるが。
「しかしまあ、よくも敵の追撃から逃れられたものだ」
ニミッツは素直に感心する。日本軍もアメリカ空母撃滅の機会と、血眼になって探して追いかけてきただろうに。
この脱出の成功は、第16任務部隊を指揮するレイモンド・スプルーアンス少将の采配であった。
彼は大胆にも、脱出方向をハワイ方面ではなく、北方寄り航路をとると、直接、本土への帰還を目指した。
手近な基地であり、防備の充実しているハワイへ撤退すると考えていた日本軍は、ミッドウェーとハワイ間に哨戒線を引いていた潜水艦部隊も使い、空母と挟み撃ちにするつもりだった。
だがスプルーアンスは、罠に踏み込むことなく、網の外へとすり抜けたのである。
第16任務部隊のマイルズ・ブローニング参謀長は、何故その針路を取ったのかスプルーアンスに尋ねた。提督の答えはこうだった。
「ハワイに戻っても、どうせ本土に回航しないと修理ができない」
ハワイ、パールハーバーの施設は、日本軍の第一次K作戦に徹底的に破壊され、完全復旧からほど遠い状態だった。
応急修理用の船舶が回されているが、やれる限界はある。『どうせ』本土に戻ることになるなら、最初から本土を目指したほうが復活も早い。
それに、日本軍が追撃してくることを考えれば、馬鹿正直にハワイに針路をとるのは危険極まりない。
「竜巻の進行方向に逃げてはならない。それだけのことだ」
この北方寄りのルートは、二航戦の追撃の回避に成功した。
なお、日本軍の警戒部隊――第二戦隊の戦艦『伊勢』『日向』『山城』『扶桑』を主軸とした部隊が、アリューシャン作戦の支援のため北上していたものの、その索敵能力では、米機動部隊を捕捉はできなかった。
そもそも一度は北を目指したものの、TF16はその後、東へ針路を取ったため、どんどん離れていったのである。
・ ・ ・
機動部隊の残存戦力は、戦場を離脱に成功したが、ミッドウェー島を失ったことは、どう取り繕ったところで敗戦である。
日本軍が珊瑚海海戦で、攻略対象のポートモレスビーを諦めた時点で、戦略的敗北であったのと同じように。
ニミッツは、合衆国艦隊司令長官アーネスト・キングに呼び出され、釈明の機会を得た。ここで見通しがないようなら前任者よろしく、更迭もある。
しかしキングも、いきなりクビを言い渡すことがなかったのは、彼もまたミッドウェーの戦いをできる限りの手を打った上でも勝算が低かったのを承知していたからだろう。
付け加えるなら、ニミッツは、フランクリン・ルーズベルト大統領からの覚えもよい。彼が、ニミッツを太平洋艦隊司令長官に推した時、当人はそれを一度断っている。結果、ハズバンド・キンメルが太平洋艦隊司令長官になり、真珠湾攻撃を受けて更迭された。もしその時、ニミッツが断っていなければ、更迭されたのはニミッツで、次の司令長官はキンメルだったかもしれない。
大統領が、ニミッツを切れというのであれば従うが、そうでない限りはキングとて、軽々しく更迭しろとは言い難かった。少なくとも、この限られた戦力でニミッツはよくやっているほうだと、キングは評価している。もちろん、全てにおいて彼に賛同しているわけではないし、肩入れするつもりもないが。
「それで、これからのことだが……何か意見はあるか?」
尊大にキングが切り出せば、ニミッツは真顔で答えた。
「ミッドウェーは占領されました。ただ、それだけです。前方の哨戒拠点が失われたに過ぎません」
貴重な資源があったわけでも、その先に味方の勢力圏があって孤立させたわけではない。せいぜい日本軍の前線が伸びただけである。
「空母が整うまでは、当面ミッドウェーは、潜水艦部隊による補給線寸断を試みます」
ニミッツは太平洋の地図に向き直ると、それを指し示した。
「ミッドウェーは日本からは遠い。その兵站を維持するためには多大なコストがかかります。我々はそれを待ち受け、敵の戦闘力を奪います」
我々が南太平洋で、オーストラリアへの船団がやられているように。物資が届かなければ、日本軍とて基地を維持できない。
何もかも上手く行けば、海兵隊を上陸させるでもなく、日本軍はミッドウェーを手放すことになるかもしれない。
「ミッドウェーで消耗戦に引き込む間に、こちらは戦力を回復させ、来たるべき反攻の準備を進めます」
「ふむ、悪くない」
キングは頷いた。
「だが、もう少し積極的に動いてもいいかもしれない。特に南太平洋で。ただ待つというのももったいない話だ」




