第101話、指揮官交代
太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将にとって、問題は次から次へとやってくるように思えた。
日本軍が6月上旬に、ミッドウェー島とアリューシャン方面に攻撃を仕掛けてくる。ステーションHYPOは、日本軍の通信と暗号解読からその予想を立てた。アーネスト・キングら海軍中央は懐疑的であったが、ニミッツは、その予報を信じ、特にミッドウェーの防衛強化を推し進めた。
真珠湾の基地機能は、完全に復旧していると言い難く、とりあえず燃料と弾薬などは、本土からの輸送で賄っている状態だ。
南太平洋で陽動に出ていた『エンタープライズ』『ホーネット』は、艦についてはほぼ無傷で帰ってきたので、このままミッドウェーの防衛戦に参加できる。
『レキシントン』、『ヨークタウン』がポートモレスビーを巡る戦いで失われたのは痛かった。特に損傷した『ヨークタウン』については、帰還できれば修理もできたと思えば、なおのことだった。
もっとも、真珠湾の港湾施設が復旧していない現状、戻ってきたところで工作艦で何とかなるレベルかは怪しく、もし駄目だったなら本土に回航、ミッドウェーの戦いには間に合わなかっただろうが。
とはいえ、使える空母を総動員するつもりのニミッツは、サンディエゴで復帰したばかりの『サラトガ』を急遽、ハワイに急行させている。
当面、補充と訓練予定で航空隊は空っぽなのだが、サラトガが修理のため本土に戻る際にハワイに置いていった本来のサラトガ所属の航空隊――第三航空隊があるため、母艦に戻って、ミッドウェーの戦いに参戦することになる。
これで空母3隻。あとはミッドウェーに増強させた海兵隊と航空隊で凌ぐしかないが、ここにきて、予想だにしなかったトラブルに見舞われた。
「は? ハルゼーが入院?」
聞き違いかと思った。連絡将校は答えた。
「重度の皮膚病とのことで、即刻入院となりました。とても海戦の指揮を執れる状態にありません」
マイ、ゴッド――天を仰ぎたい気分になるニミッツである。よりによって一大反撃作戦の前に、もっとも経験豊富な指揮官が参加できないとは。
「本土に後送されるとのことですが――」
「病院に行く」
「……はっ。お見舞いですか?」
つまらんことを聞くな、とばかりにニミッツは手を振るとオフィスを出た。そのまま車に乗り、海軍病院へ直行する。ハルゼーが指揮をとれないなら、その後任を決めねばならない。第16任務部隊を指揮官欠で出撃などさせられるわけがない。
病院につき、ハルゼーとの面会の前に、担当医に話を聞く。何でも、4月のドゥーリトル空爆――あの失敗に終わった作戦の頃から、発疹が出ていたらしい。痒みのあまり睡眠不足になり、目のまわりには黒いくまができ、体重が十キロ近く落ちたのだそうだ。
前線に出突っ張りで、指揮官としてのストレスも尋常ではなかっただろう。彼は尊敬すべきファイターであり、タフではあるが、しょせんは人間だったということだ。
そして実際に会ってみると、前に会った時よりさらに顔色が悪かった。ああ、これは無理だ、とニミッツも認めざるを得なかった。
「君が抜けるのは痛いが、日本人は待ってはくれない」
「……」
ハルゼーが憮然としているのは、皮膚病のせいか、肝心な時に戦えないことへの苛立ちか。同情はするが、ニミッツは言った。
「君の後任についてだが、誰がいいだろうか?」
ちなみに、フレッチャーはトンガタブで負傷して、こちらも入院している。レキシントンで指揮をとったフィンチは、『サラトガ』に合流し、こちらは参加予定だが。
「レイを。――レイモンド・スプルーアンスを」
何かに耐えるように、しかし返答は速やかだった。ハルゼーは迷いなく、その男を指名した。
「スプルーアンスか」
ニミッツの脳裏に、淡々として表情に乏しい生真面目なスプルーアンス少将の顔が浮かんだ。彼のこれまでの考課表の内容を頭の中で引っ張り出すでもなく、優秀な男であるのはニミッツも認めるところだった。
レイモンド・A・スプルーアンス少将は、第16任務部隊の巡洋艦部隊を率いる指揮官で、開戦以来、ハルゼーの空母をずっと守ってきた。その働きぶりを見ても、ハルゼーが後継に指名するにたる能力があるのだろう。
ハルゼーが空母指揮官の後継を、航空機畑の人間以外から選んだことにニミッツは意外に思ったが、当人の指名であるし、スプルーアンスについてニミッツも評価していたから、同意した。
「わかった。ではそのようにしよう。……お大事に」
ニミッツは、司令部に戻ると、第五巡洋艦戦隊司令官を呼び出した。
・ ・ ・
「レイモンド・スプルーアンス、出頭しました」
真面目な――しかしよくよく見れば、中々精悍な顔立ちの少将が、ニミッツの前に立った。若い頃は、さぞモテたのではないか。いや、今でもご婦人方にモテそうな男だが、おそらくそれはないな、と思った。
雰囲気が大人し過ぎる。彼はあまり社交的な人間ではない――ニミッツはそう感じた。
「ブル・ハルゼーが入院した。ついては君は彼の後任となった」
ミッドウェーとアリューシャンに、日本軍が攻略を計画中であり、それを阻止する部隊を率いてほしい――ニミッツは有無を言わさない調子で告げた。
「承知しました」
スプルーアンスの表情に変化はなかった。まるでこうなることを知っていたかのようだ。頼もしいことだ、とニミッツは思った。
しかし、スプルーアンスの本音は違う。
自分は航空出身者ではない。ハルゼーとは親しいが、他の航空出身者は自我の強い者ばかりであり、そうして航空の専門家の中の先任者が選ばれると思っていた。
さて、大変なことになった。
航空戦のど素人が、次の作戦を指揮しなければいけなくなった。これがサイコロでも振られて決められたものではない限り、上層部はスプルーアンスでやれると判断したのだろう。
ブル・ハルゼーの戦いっぷりは間近で見てきたとはいえ、TF16の2隻の空母――『エンタープライズ』と『ホーネット』を上手く使って、日本軍と戦わなくてはならない。場合によっては、『サラトガ』もか。
――まあいい。細かい数字は、幕僚たちに丸投げしよう。私は指揮官らしく、判断だけ下すことに専念する。
そんなわけで、指揮官は交代だが、幕僚は変えずに、ハルゼーのスタッフたちをそのまま使う。素人は素直に経験者の意見に耳を傾けるものだ。
一番やってはいけないことは、わかったふりをすること。自分を偉いものとして見せようとすること。余計な変更はしない。
その点、ハルゼーは仕事のできないスタッフは置かない。優秀な者ばかりだから、任せてよいはずだ。
……なお自分もハルゼーから、その優秀な人間と思われているスプルーアンスだが、その点の自覚だけはなかった。




