フローラ《1》
私の人生は恋にまみれていた。
でもようやく見つけたの。私の愛する、私を愛してくれる人たちを。
◇◇◇
エリゼオに抱きしめられながら馬車から落ち、エリゼオだけは助かりますようにと祈りながら意識が微睡んでいった私は、気付けば鳥籠の中にいた。
そして目の前にはクラリーチェがいる。
まさか、私は生まれ変わって今世はクラリーチェの飼う鳥!? 神様ありがとー! と喜んだ。
だけどどうやら違うらしい。
「ふふっ、そこでゆっくり待っててくださいねフローラ」
フローラと呼ばれた。それに、私に体はなく魂だけだった。まさか、事故で死んだ時にクラリーチェがこの鳥籠に私の魂を閉じ込めたのだろうか?
クラリーチェはとっても疲れた顔をしている。真っ黒なドレスを着ている彼女は、鳥籠をそっと撫でた。
「……そういえばね、私エリゼオの婚約者になることにしました。でも安心してくださいね、すぐその場所はフローラに返しますから」
クラリーチェは、なにを言っているのだろう。私はもう死んだのに。
それに、私はクラリーチェとエリゼオが結婚しても怒ったりしない。寧ろ嬉しい。
だって私は、元々こういう運命だったというのもあるけど、そもそもエリゼオに恋してはいなかったから。
だって恋って、とっても汚いもの。
――そして、大新月の日。
なにかを唱えだしたクラリーチェの声に呼応するように、私が何処かに引っ張られていく。
そしてクラリーチェが鳥籠を抱きしめ「幸せになってください」と告げた瞬間、重力がグワリと私に乗った。
気付けば私は鳥籠の外で、鏡を見ればクラリーチェと同じ顔になっていた。――いや、クラリーチェに乗り移っていた。
それから必死に私は、月も星も見えない暗い室内で、ランプの光だけを頼りにクラリーチェの部屋の書物を漁る。
クラリーチェの部屋の書物に置いてあった、一つだけホコリを被っていなかった本を開けば、そこには『魂替えの呪い』と書かれた項目があった。曰く相手の魂と交換出来る呪いのようで、七日程で魂替えは完了し周りも、そして魂替えを行われた相手でさえも違和感を忘れていくという。つまり、元々その器にはその魂が収まっていた、ということになるらしい。
そしてこの大新月。エリゼオと一緒に、クラリーチェのことを知りたくて魔女について載っている書物を読んだ時書いてあった。月が聖女の味方のように、大新月の日は魔女の日。大新月の三日間、魔女の力は強くなる、と。
◇◇◇
「――これが、私が見た全てです」
語り終えれば、エリゼオは顔を白くさせている。
「……クラリーチェは、『半年後に愛してくれれば構わない』と言ったんだよ」
……半年後? どういうことだろうとエリゼオの言葉を待てば、エリゼオがゆっくりと話しだす。
「大新月は、年に一回しか訪れない。そしてクラリーチェと婚約を結んでから、今日で丁度半年」
エリゼオがなにを言わんとしていたのかようやく私も気づいて、喉が詰まった。
「最初から、クラリーチェは魂替えの呪いでいなくなるつもりだったんだ。そして僕とフローラで幸せになって欲しい、という意味だったんだよ」
「クラリーチェ……っ」
とても矜持の高い彼女が使った呪いは、あまりにも優しすぎた。
「私っ、私はお友達が悩んでいたのに、なにも出来なかったっ」
崩れ落ちる体をエリゼオが抱きとめる。
「フローラ、まずはクラリーチェの家に行こう。彼らならなにか出来る筈だ」
ハッとなる。たしかに彼らなら、クラリーチェの魂を戻す方法が分かるかもしれない。
「あっ、でも急に行ったらご迷惑ですよね?」
どうしよう。まずはお菓子を……それから服装もちゃんとしたモノに……
「……フローラ、君は今クラリーチェの体だから大丈夫だと思うよ?」
なんて恥ずかしい。
スコーンと一瞬記憶から抜けていた。
コホン、と咳払いをする。
「さあ、行きましょうかエリゼオ!」
クラリーチェのようにキリリと表情を引き締める。
そして私が乗ってきた馬車に、今度は二人で乗り込む。
不意に私の正面に座るエリゼオの手を見れば、微かに震えていた。
ああ、馬車の事故を思い出しちゃったのかぁ。エリゼオは天然で真面目っ子だからなぁ。と苦笑が漏れる。
そっと目を伏せた。
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。馬車からの転落事故なんて、早々起きません。――私みたいに予言がされていたら、別かもしれないですけどね」
聖女は生まれた時に、神様から一つだけ予言をされる。私の場合は、『成人を迎える前に死ぬ』だった。
聖女は自分自身に祈ることは出来ない。だから家族も使用人も、私が物心つく前から超がつく程過保護だった。
外に行こうとすれば四方を護衛に囲まれ、聖女として祈りを捧げる時は側にはお母様がいた。私が何処にいるかも逐一誰かに見られていて、いつだって気が抜けなかった。毒見が私は王族でもないのに毎食行われ、あったかいご飯だって食べたこともなかった。お父様やお母様が羨ましくて堪らなかった。そして、親戚であり騎士の家系であるエリゼオが婚約者になった。
私はきっと、大切にされていたと思う。だけどそれは高価な人形を愛でるようなモノだった。
だから私も誰かを慈しむことは出来なくて、盲目に皆に恋をした。そうでもしなきゃ、どうして私は死ぬのに、この人たちを救わなければならないのだろう。どうして私を救ってくれる人はいないのだろう、私は皆を助けて来たのに。
そんな汚い考えで満たされてしまう。
だけど、クラリーチェとエリゼオは違った。私に見返りを求めない優しさをくれる人たち。私は今ここにはない、紋様が刺繍されたハンカチを思い起こす。
「私、二人がいたからとっても幸せでした」
笑えば、エリゼオはグッとなにかを堪える顔をしてから口角を上げた。
そうこうしている内に、クラリーチェの家に着く。急いで屋敷に入れば、なにかを察したようにクラリーチェのお父様とお母様、そしてお兄様が既に座って待っていた。
厳しい顔をしたクラリーチェのお父様が、ゆっくり口を開いた。
「やっぱりあの呪い使っちゃったか〜」
ん? 幻聴? とっても明るい声が聞こえた。
「いやぁ、でもクラリーチェもあんな難しい呪いが使えるなんてな、父様感激」
「……っ、あ、あの! そんなこと言ってる場合じゃないですよね!? 貴方たちの娘が、こんなどこの馬の骨とも知れぬ女と入れ替わってるのに!」
クラリーチェのお母様がきょとりと首を傾げた。
「貴女はクラリーチェがよく話していたフローラ様よね? とてもご存知だけど」
「そーいうことじゃなくてぇ!」
憤慨していると、ポンとエリゼオの手が私の肩を叩く。
「どうしてそこまで、冷静なんですか?」
その声は震えていた。涙がせり上がる。
怒りで真っ赤に輝いているエリゼオの瞳を見遣ってから、クラリーチェのお母様はほっそりと笑った。
「私たち魔女が王家の方々を守る方法は、『呪いを跳ね返す』こと。呪いは『かける』か『かけない』かなの。だからもう、私たちにも解けないのよ」
……そんな。そんなのって。
「じゃあっ、どうしてクラリーチェを止めてくれなかったんですか! 貴方たちは、分かっていたのでしょう!?」
呪いがかけられる前に呪いを跳ね返すなら、事前に感知出来なければ意味がない。勿論クラリーチェがやろうとしていた呪いも知っていた筈だ。
それならっ、知っていたならどうして止めてくれなかったのか!
「勿論分かっていたわ。あの子、寝る間も惜しんで呪いの為の準備をしていたんだもの」
「じゃあ……っ」
「貴女たちの方こそ、あの子がわざわざ自分を呪った意味を全く考えてないのね」
クラリーチェのお母様は、すい、と窓の外へ視線を向けた。
「私たち魔女の一族はね、安易な気持ちで人を呪わないように教えられているの。『お父様』『お母様』そんな言葉を知る前に、『人を呪ってはいけない』と知るの」
視線を戻した彼女は、慈しみのこもった目で私を見た。ううん、私という魂ではなくクラリーチェという姿を見ていた。
「クラリーチェは人を呪ってはいけないということに反発していたわ。どうして、何故、と。だけどそれでもあの子は受け入れたの。自分という一族の不条理を。
――そんな子が、呪いを使った。これがどういう意味か分かる? もっと、よく考えて。貴女たちがあの子に与えたモノを、それがどれだけのあの子にとっての幸せだったのかを」
ぐう、となにも言えなくなる。衣擦れの音すら聞こえるような無音がこの場を支配した。
まあまあ、ととりなすようにクラリーチェのお父様が喋り始める。
「つまりなにが言いたいかというとね、僕たちはクラリーチェの考えを尊重しているということだ。安心して、新しい娘を、今までと変わらず僕たちは愛していくから」
「それは、何日後でしょうか」
「三日後だ」
簡潔に答えられる。
大新月の期間、その終わりを告げるように呪いは完結する。絶対に阻止しなければならない。
「失礼いたします」
考えは同じなのか、最初にエリゼオが席を立った。私も席を立ち、エリゼオの背を追いかける。
そしてさっきまでクラリーチェの家族といた部屋から離れた廊下で、私はエリゼオを呼び止めた。
「あの、もしかしたら私の祈りでどうにか出来るかも?」
「でもフローラの祈りは自分には効かないから無理じゃないかな」
二人でまた歩き出しながら、あーでもないこーでもないと話す。
悩んでいると「いいえ、大丈夫だと思いますよ」と後ろから声をかけられた。振り向けば、クラリーチェのお兄様がいた。
クラリーチェと同じ黒髪を持つ彼は、口元に笑みを浮かべている。
「慌てていると父上は妙にテンションが高くなって、母上は妙に冷静になるんですよね」
「あー……」
たしかに二人共、そんな感じだった。
「そして三日後だと断言した父上の様子から見るに、フローラ様の祈りの力でどうにかなる保証があってのことだったのでしょう」
ふむ、と頷く。
「そこまで分かっているなら、何故はっきり言ってくださらなかったのでしょう?」
納得が行かず声に出せば、クラリーチェのお兄様が苦笑した。
「クラリーチェの意志を、尊重したかったからだと思いますよ。……だけどどうしたって、そう簡単に割り切れるモノではないので」
「当たり前です。割り切られてしまったら、困ります」
この人たちの大切な娘と妹はクラリーチェだけなのだから。
ムン! と私は気を引き締める。
「では早速行きましょうか、エリゼオ!」
「うん」
決意新たにした所で呼び止められる。
「フローラ様たちに、言わなければならない所が二つあるんです」
クラリーチェと同じ垂れ目を細めた彼を、私たちは見つめる。
「まず一つ目ですが、フローラ様のご実家であるシュリナージュ家は、まあしょうがないですがクラリーチェに良い想いを持っていません。ですから、その姿で近づくのはあまりよろしくないと思います」
ヒュ、と心臓が苦しくなる。過保護に囲われてきた日々がよぎる。
まさかあの人たちは、私が死んだ理由はクラリーチェのせいだとでも思っているのだろうか。喉が渇く。
「……ありがとう、ございます」
叫びたい気持ちを抑える。エリゼオが私の背を擦ってくれた。
気遣わしげな視線を寄越しながら、クラリーチェのお兄様は二つ目を口にする。
「それから、魂替えをする時は、その魂が側にいなければなりません」
「……あっ」
言われて見れば、私の魂も多分専用であろう鳥籠に入れられていた。たしかに、人間が死んだ時魂は天上に昇り神様の手によって輪廻転生が行われるのだ。
「じゃあっ、もうクラリーチェはこの世にいないんですか!?」
私の心の内を代弁するように叫ぶエリゼオを、クラリーチェのお兄様は優しく宥める。
「安心してください。一度呪いを行使した人間は、生まれ変わりが出来ないんです」
「生まれ変わることが、出来ない?」
エリゼオが訝しむ。
「はい。一度呪いを行使すれば、魂が重くなり、天上とは真反対に位置する淀みに埋もれてしまうんです。だから、クラリーチェの魂の心配はしなくても良いと思います」
安心すれば良いのか分からない。
どうしてこの一家は、大事なことをサラァッと言うのか。悪い癖だと思う。
「あ、あと最後に。……ふふっ、二つと言っておきながらこれで三つ目ですね」
「……お気になさらないでください」
今の笑顔、なんだかクラリーチェに似てる。家族だから、当たり前か。
「では最後に」
コホンと咳払いしてから彼は真顔になった。
「フローラ様たちは、魂替えの呪いを解くという気持ちは変わらないんですか?」
――生きたいとは、思わないのですか?
瞳が私に問いかけた。
……素直になれば、私の心に住まう小ちゃな妖精は生きたーい! と叫ぶだろう。だけど、それは大切なお友達に死んで欲しいと同義ではない。
「私は、私の人生を生きたいのです」
誰に強制されるでもない、生き方をしたい。過保護に守られてばかりの私は、自分らしく生きれなかったから。
それを恨んだこともあった。
だけど、エリゼオに出会った。クラリーチェとお友達になった。
二人は私が選んだ人生に立つ人たちだから。その人たちを心底愛しているから。
だから、私はもう十分。愛する人を踏みつけまで生きたいとは思わない。
それを伝えれば、クラリーチェのお兄様は「……そっか」と儚く笑った。
◇◇◇
馬車に乗り込んだ私は、エリゼオをひたと見つめた。
「うーん、エリゼオ。あんなに偉そうなこと言っておいて今更言うのはあれですけど」
「うん、なに?」
多分、今の私の顔凄い情けない。
「ちょぉ〜っと、祈りの力足りないかもしれません!」
聖女は月から力を貰えるから、月があればどうにかなったかもしれない。
「……だけど今は、大新月」
私の思ったことを補完するように、エリゼオが呟く。
このままでは、クラリーチェの呪いを完璧に解ける保証がない。
「月の力が宿っているモノでも良いんですけど……」
「月の力、か」
むう、とエリゼオが考え出してしまった。
私もため息が出てしまう。
顎に手を当て考え出しているエリゼオをボーと見つめる。
「……あれ?」
そこで不意に、今朝のことを思い出した。
中々記憶を戻さないエリゼオに焦れったくなって人差し指で指した時、なにか力が巡るような気がした。いつもより、少しだけ強く。
「ねえ、エリゼオ――」
私の言葉にハッとなってエリゼオが取り出したモノを見て、私たちは慌ててクラリーチェの家に忘れ物を取りに戻ることにした。




