エリゼオ
……頭が痛い。血は出ていないのに、ズキズキと痛みを訴えてくる。
それは目の前に立つ黒髪の少女を見た時から始まった。
心臓を掻きむしりたくなるような歯がゆさ。
僕には大切な人たちがいた気がする。守りたいと思っていた人たちがいた気がする。
だからつい、目の前にいる少女――クラリーチェ様に酷いことを言ってしまった。
クラリーチェ様は目を見開いた。あっ、と思った時にはもう「君を愛することは出来ない」という言葉は出てしまっていて取り消すことなんて出来ない。
だが、クラリーチェ様は寧ろ嬉しそうに笑った。そして奇妙なことを言った。
「構いません。半年後に愛していただけるのなら」
◇◇◇
今日も彼女は甲斐甲斐しく僕の下へ来る。
そして色々な話をしてくれた。
今日もやって来た彼女の柔らかな表情を見て、僕は自責の念に駆られ頭を下げた。
「クラリーチェ様に酷いことを言ってしまい、すみませんでした」
「私は全然気にしてませんよ?」
「……でもっ」
言葉を重ねる前に、彼女が僕の手を取る。
「それなら、半年後の私に目一杯優しくしてください。あと、私の好きな色はミントグリーンで、食べ物はチョコレート、それからフリルがたっぷりのモノが好きです。覚えておいてください、ね?」
そう笑いかける彼女の服は水色で、フリルは少ない。それを疑問に思いながらも頷けば、彼女は幸せそうに笑った。
クラリーチェ様と目を合わせられなくて、フイと目を逸らした。それから話を違うものにすり替える。
「そういえば、車椅子での生活もそろそろ終わるそうです」
「……! 本当ですか? 良かったです」
心底嬉しそうなクラリーチェ様が軽やかに笑う。
「では、剣の練習も再開されるのですか?」
「……いや」
剣を握っていたことは覚えている。
だから昨日、クラリーチェ様が帰った後で剣を持たせてもらった。だが、吐き気がこみ上げ剣を持っていられず、父上からも「ゆっくりで大丈夫だ」と言われた。
だけど僕は、自分がもう一生剣を振れないだろうという確信がある。
「もう剣は振りません。これからはより伯爵家の跡取りとしての勉学に、力を入れます」
「……っ」
僕以上に悲壮な顔をクラリーチェ様がした。
泣き出してしまいそうな、痛々しい顔だった。
「駄目、駄目です。辞めては駄目です」
「? 何故ですか」
貴女には関係ないことだ、そう冷たくあしらおうとしたが言葉が出なくなった。
クラリーチェ様はポロポロ泣いていた。
「だって、今辞めてしまったら、本当になんの意味もなかったモノにされてしまうではありませんか!」
彼女はなにを言っているのだろう。
「エリゼオ様の剣を振る理由は、私が無くさせません。だから辞めないでください。無意味だったなんて、思わないで……っ」
崩れ落ち床を見つめるクラリーチェ様の言葉は理解できない。
でも彼女があまりにも死んでしまいそうだから、僕はそっと彼女を抱きしめた。
クラリーチェ様の腕が僕の背に回る。
「エリゼオ様、忘れないでください。貴方は素晴らしい人で、私にとって大切な人なんです。そんな貴方が何一つ大切なモノを零さない為に、私はなんだって出来ます」
ふっと心が軽くなる。
まだ剣を振るいたいとは思えない。だけどこの意外と感情豊かな人が泣かないように、剣を最初から諦めるのはやめようと誓った。
◇◇◇
とりあえず体力が落ちない為に、僕は一人で立てるようになってから散歩をしていた。庭を散策しながら、そういえばそろそろクラリーチェ様が来るからと門の方へ向かう。
だが馬車はなく、まだ来ていなかったかと首を傾げれば近くの庭から声がした。
「おいッ、なんでお前が兄上の婚約者なんだ! 醜い魔女め、お前がフローラ様を呪ったんだろうッ!?」
弟であるシモーネの怒鳴り声だった。なるべく急いで行けば、シモーネの前には座り込んだクラリーチェ様がいる。
ズキン、と『フローラ』という名前を聞いた途端痛みが脳に走った。
それを堪えながらクラリーチェ様を庇うようにシモーネの前に立てば、シモーネはしまったという顔をした。褒められることはしてないという自覚はあるらしい。
「クラリーチェ様に謝れ。女性を怒鳴りつけるなんてしてはいけないことだ」
「……ッ、なんで、なんでですか! 兄上はその女に騙されているのです! その女は醜い魔女なんですよ? 僕たちまで呪われますよ!」
僕はクラリーチェ様の手を取り立たせてから弟を見据える。
「――では、シモーネのいう醜い魔女の所業を言ってみてごらん。一つでも構わないよ」
「……! それ、は」
……やっぱりだ。シモーネは途端に言葉を詰まらせた。
この子は賢いがそれ故に自分に絶対的な自信を持ちすぎている。だからたまにこうして視野が狭くなるのだ。
これも兄の役目、と僕はため息をついた。
「一つも思い浮かばない、ということはクラリーチェ様が、いいや彼女の一族がなにもやっていないということだ」
ぐっとシモーネが唇を噛みしめる。
「そんな彼女たちに呪ったんだろうという言いがかりをつけることは、クラリーチェ様たちの矜持を馬鹿にすることに他ならないんだよ」
シモーネの肩に手を置けば、居心地が悪そうに身動ぎした。
「良かったな、彼女たちが良き方で。でなければシモーネはもう死んでいただろうね」
すっかり意気消沈したシモーネに「ほら、クラリーチェ様に謝れ」と促すと渋々ながら謝った。
そのまま、逃げ帰るようにシモーネが何処かに行ってしまう。
「……嫌な思いをさせてしまい申し訳ございません」
「いいえ。彼の怒りは正当なモノであり、私はそれを受け入れるべきです」
いつもより感情の薄いクラリーチェ様がシモーネが去っていった方を見つめている。
くるりと振り向いた彼女は、目を伏せ笑っていた。
「さっきは庇ってくださりありがとうございます。……ごめんなさい」
「なんでクラリーチェ様が謝るんですか!」
風が吹き、僕に表情は見せないとでも言うかのようにクラリーチェ様の顔が髪で隠れる。
「ごめんなさい」
最後の言葉は、小さくて風に流れてしまい僕の耳には届かなかった。
「貴方が信じてくれた矜持を、踏みにじってごめんなさい」
その晩ベッドの中で思い出されるのはクラリーチェ様の姿。
深手を負った動物のようにじっとしていた彼女は、一体なにを考えているのだろう。もう数日で半年が経つ。そしたらクラリーチェ様はなにか教えてくれるのだろうか。
夜をこっくり煮詰めた黒色の髪に、ブルーグレーの瞳。日に照らされた彼女の横顔を思い出せば、自然と心臓がドキドキする。
献身的に僕に尽くしてくれる彼女。そんなクラリーチェ様に、僕は恋に落ちてしまったのかもしれない。愛する彼女を支えたいと、心の底から思う。
ふと空を見れば、クラリーチェ様の髪と同じ色だった。星の瞬きはなく、月も姿を消している。
ああ、もう大新月の時期なのか。これから三日間、月も星も消え闇だけがとっぷりと夜を支配する期間が訪れる。
――あれ、そういえば、大新月の日はなにかがあった筈。誰かと一緒に、誰かのことを知りたくて一緒に本を捲った記憶がブワリと蘇った。
僕は一体、なにを忘れているのだろう。
◇◇◇
優しい夢を見た。
頬を染めた黒髪の少女が、四角い紙のようなモノを持っていた。リボンがあしらわれたそれが、細い指で大事そうに撫でられている。
気付けば僕の手にも同じモノがあり、よく見ればそれは真白の花が挿してあった。
その花と同じ真白の髪を持つ少女に笑いかけられて、僕たちも笑って――
そこで目が覚めた。だるい体を叱咤しながらベッドから出て、机の一番上の引き出しを開ける。
夢の中で見た栞が丁寧に収まっていた。それを机の上に置き、着替えをしながらボンヤリと眺める。
そこで、慌てたように執事がやって来た。入室を許可すれば入ってきて「婚約者様がいらっしゃいました」と言われる。
いつもは昼過ぎに来るのに、今日は早朝? と首を傾げながら彼女が待つ応接間に向かうことにした。胸ポケットにさっきの栞を入れながら、足早に向かう。
応接間に座る彼女は、キッとした表情で僕を見据えた。それにちょっと怯みながらも「お待たせして申し訳ありません」と謝罪すれば「いいえ、私の方こそこんな早くにすみません」と返される。
いつも通りの彼女だ。
いや、いつもより些か幼い印象を受ける。
「……エリゼオ。なにか気づきませんか?」
「えぇ?」
聞いたことがある。妻や恋人に「いつもと違う所なーんだ」と聞かれることがあると。クラリーチェ様には一回も聞かれたことがないから失念してた。
うんうん唸って考える。
「えっと、今日のドレスも素敵ですね」
「当たり前です。この顔という素材が良いのですから」
凄い自信。昨日までのクラリーチェ様とは何もかもが違う。
すっかり沈黙しきってしまえば、彼女は口を尖らせた。
「もう! ほんっとうにしょうがないですね!」
立ち上がった彼女が僕を人差し指で指した。
「私はフローラです! 早く思い出しなさいな、この鈍感エリゼオっ!」
刹那、ブワリと大輪の花が咲くように記憶が思い出されてく。
クラリーチェのこと、フローラのこと、事故に遭ったこと。
そして思い出したら、様々な疑問が湧き上がった。なにから問えばいいのか分からなくなる。
「……フローラ、どうして、クラリーチェの中に」
それでも振り絞った言葉を聞いたフローラは、ふーっと長めのため息をついてから僕を見上げた。
「それについては、今から話しますね」




